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会津若松城へ

福島県会津若松市、会津若松城へ
会津城、鶴ヶ城とも呼ばれる

赤瓦が特徴的、冬の凍えで瓦が縮み、割れて痛むのを防ぐために、鉄分を含む釉薬が使われているそう
赤い瓦なんて、どんな景色だろう、
義理がたいお殿様がいたお城


車の旅はいつも早出で、走り出してしばらくすると、朝日が上がってくる

東北道方面へ向かう首都高にて
ここの朝日は、どこかの夕日

会津若松市の中程の、若松城址公園、お堀に囲まれている
公園の東側の駐車場に車を停め、公園へ向かう

駐車場の近く、城跡の入口あたりには「八重の桜」の新妻八重の像があり、ちょうどお城を見上げているような格好
戊辰戦争の舞台となった城、今まで学ぶ機会がほとんどなかった、会津若松城と白河小峰城も訪れる予定、よく見てみたい

土曜日の早朝、ジャージ姿の学生とすれ違う公園内には、城跡のほか、テニスコートや体育館、野球場や、グラウンドがあり、地元の中高生らしき人たちが練習を始めていた

さて、
三の丸跡のあたりの大きな石垣を横に眺めながら、進むと視界が開ける
二の丸跡が左側に広がり、右手にお堀と本丸を囲む石垣が見えてくる
今回のルート、新妻八重の像がある、公園の北東の方から公園に入ると、本丸、天守閣跡へ向かう際に、お堀にかかる「廊下橋」を渡ることができる
蒲生氏郷の築城当時はこちら側が追手口で、正面口だったそう
明治以降には美しい朱色に塗られ神々しく、入城する者を威圧するかのような高石垣とのコントラクトから、お城のスケールの大きさを感じさせる

お堀を渡ってもしばらくは天守跡は,姿を見せてくれない。2-3階の建分はありそうな石垣を横目に進むと,やっと見えらてくる、赤い瓦の鶴ヶ城天守閣朝の光が眩しく、輝いていた

廊下橋と高石垣

築城からの変遷は
1384年(至徳元年)葦名直盛が東黒川館を建てる,これがここに城が建てられた最初とされる
1590年(天正18年)蒲生氏郷が入場、1593年(文禄2年)7層の天守閣が完成、黒川を若松に改め、城名も鶴ヶ城と命名
1639年(寛永16年)加藤家により天守閣は5層に改められ、西出丸、北出丸が整備され、現在と同じ構成に

幕末の戊辰戦争で鶴ヶ城は砲弾にさらされ傷つき荒れ果てた、その後1874年、後に政府の命令により取り壊された
1965年(昭和40年)天守閣が復元され今に至る

城主はたびたび変わった
⚫︎葦名家 1384-1584
室町時代、源頼朝から領地として与えれ、7代目が入城し会津を直接統治したそう
⚫︎伊達家 1589-1590
伊達政宗が念願だった会津を手に入れるも、翌年豊臣秀吉に取り上げられる
⚫︎蒲生家 1590-1598、1601-1627
会津といえば蒲生,という印象があった。名将、蒲生氏郷により鶴ヶ城が築城され、町も若松となり,産業が栄え始める
⚫︎上杉家 1589-1601
上杉景勝が、豊臣秀吉亡き後、若松の北西の外地新しい城をに築こうとしたことが、徳川家康との争いにつながり、関ヶ原の戦いへ発展したとされる
⚫︎加藤家 1627-1643
伊予松山から加藤嘉明が会津に入る
城を改築し、今の姿に
⚫︎保科・松平家 1643-1868
家康の直径である、保科正之に始まり、
幕末まで一貫して幕府を支える

特にエピソードが素敵だったのは、
保科・松平家だった。上記をもう少し詳しく述べてみる

徳川家光の実弟である保科正之、
徳川家康が一代、二代は徳川秀忠の四男である、保科正光の養子となり、寛永二十年(1643)に会津入り。保科家のちの松平家は以後幕末まで三百年以上にわたり会津を統治した。徳川将軍家への絶対的な忠誠を是とし、安定した藩の経営が長く続く。19世紀の半ば、幕府の支配力が弱まると京都の治安が不安定になり、九代松平容保は京都守護職を拝命して重責を担う。しかし最終的に将軍は大政奉選して幕府の支配は幕を下ろす。幕府に不満を持っていた諸藩は会津討伐へと兵を進め、幕府のために忠義を尽くした会津藩は、賊軍とされることになる。

保科正之は、徳川家光の実弟だったが、幼い頃に保科家の養子となり育ち、家督を継ぎ、鶴ヶ城に入り若松を治めていた。今では会津の特産品である薬用人参や薬草を、御薬園で栽培を始めた。もとの領主の別荘的な土地で荒れ果てていたが、正之により整備し直されたもの
(ここからしばらくはなぜかメモや資料がなくて、記憶より)
徳川三代将軍家光が、保坂正之が自身の実弟であることを知り、貢献もふまえ松平姓を名乗る許可を与えた。しかし正之はそれを断った。徳川に忠誠はあるが、自分自身を育てた保坂家には恩義があり家督と名を守る責務がある、保坂の姓を名乗り続けたし、と。
家系図を見ると、確かに正之は保坂姓を名乗り、肥後守となった正之の子、正容は松平姓を名乗っている。
ぐっと来る

このように充実した常設の説明のほか、企画展示の部屋もある。2024年5月の展示は、「会津松平家」であり、保科家家訓(江戸時代に写本されたもの)、刀や装具など展示されていて、とても興味深かった
また、白虎隊、戊辰戦争の記録も丁寧に解説されており、会津の藩が,藩一体となって戦い抜いたことがわかる

天守最上階からの景色も素晴らしい
赤瓦が近くで見られるし、会津の町を360度眺められる
天守閣を地下から一層→五層と周り、南走長屋もゆっくりとながめ、本丸をぐるりと散策できる
東南の角の辺りには、茶室麒麟があり見学と共にお茶も一席いただける
売店も充実しており、福島名物もたくさんあって、牧場アイスを
あぁおいしい

天守5層から南走長屋をみる、赤瓦がキレイ

ところで、お城に訪れた時はどんな楽しみかたがあるのだろうか
ある時から楽しみ方を心得た、私は文章に残された手紙や家訓、帳簿、家系図が好きです、ざっくり言えば古文書全般
現代語訳があるなら,ガラスケースに張り付いて読んでしまうし、要約や要旨が捕捉されているだけでも、嬉しい
100年以上前の人たちの人生に、少し触れられるような気がするのです
こもんじょを読めるようになりたい、
改めて感じたお城だった

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