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所有して手放してまた手に入れて

人生は不平等だ。生まれた時代、国、地域、家庭が平等ではない。才能、教育、健康、体力、外見もまた平等ではない。

でも、人生は不平等という時に、一体誰との間にある不平等を想定しているだろうか。普段自分と比較して優越感に浸ったり劣等感を覚えたりしているものは、ごく身近にいる数十人との間にある、取るに足りない僅かな差ではなかろうか。


アフリカの貧しい国の子どもたちのためにボランティアに行った知人が言っていた。子どもたちの目がキラキラ輝いている、と。貧しくて、服もボロボロ、テレビゲームもスマホもないのに、泥だらけになってニコニコ暮らしている。そんな姿に感銘を受けたらしい。

人間は置かれた環境に慣れるという素晴らしい才能をもっている。どんな劣悪な環境でも、どうにかこうにか納得して対応出来てしまう。生活水準が低くても高くても、人間は慣れてしまうのだ。
だから、低いことに慣れていれば、多少のことでは不幸にならない。
しかし高いことに慣れてしまうと、少し欠けただけで不満が生まれてしまう。

手に入れた良い暮らしのおかげで、失った朗らかさがあるのかもしれない。

断捨離が言われるようになって久しいが、ものを持たないことへの志向というのはそうした身軽さへの回帰ではないか。
お金があっても無いかのように暮らす。
物で豊かさや幸せを確かめようとしない。

自分が本当に大切にしたいものを大切にする。


ふむ。聞こえはいい。この考え方は好きだ。

ただ、これにも続きがある。ものを持たない暮らしにも、そのうち慣れてしまう。そう、飽きてしまうのだ……!

たぶん、慣れることと、変化することの両方が必要なんだと思う。
僕は安定を大切にする人間だけど、同時に刺激も常に求めている。両方が必要だ。

ものが無いシンプルな暮らしが好きだけど、興味が湧いたものがあれば慎重に買い集めていきたい。買う喜び、所有する幸せも欲しい。出来ることなら、持つだけでなく、活用して、成長、成熟していく満足まで進みたいのだ。

つらつらと書いて、終わります。思考がここで止まりました。読んで下さり感謝。

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