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英語の習得とチェロの習得の関連

常々、語学の習得と楽器の習得には関連性があると感じている。

英語の技術は伝えたいという目的のために磨かれる

英語を学ぶとき、まずはアルファベットと音を覚える。(文字と音)
次に、文章の中である単語に何度も遭遇することで、生きた意味を覚え、自分でも使えるようにする。(語彙)
文法も、ひとまず論理的な仕組みを理解したら、仕組み通りに文章を理解し、さらには自分でも使えるようにする。(文法)
ただ、英語が使えるということと、コミュニケーションをとるということは、別の次元の話しだ。日本語が話せるということと、楽しい会話が出来ることとは次元が違うのと同様に。日本語において話すべき内容を自分の中に持っていないのなら、英語を使ったとしても同様に話すべき内容は無いだろう。英語は道具であって、別人格ではない。(コミュニケーション)

だから、伝えたい内容があり、伝えたい人がいて、それをうまく伝えたいという願いがある時に、手段はさらに洗練されていくのだ。その歩みは、もどかしさと失敗とくやしさを糧として進んで行く。

楽器も、基本的な技術の原則を学んだあと、さらに磨き続ける

楽器の習得も同じだ。
右手のボーイングもまずは基本の羊羹のような太い音を出せるようにする。左手もとりあえず1ポジションと4ポジションで音階を安定して弾けるようにする。誰でもそこから始めるよりほかに道はない。でも、コンサートやCDで聞くようなとろけるような音楽は当分出せない。でもそのくやしさ、もどかしさが大切だ。「どうして自分にはこんなに良い楽器があるのに、彼らのような素晴らしい音楽を奏でられないのだろう」という焦燥感が、技術の幅と奥行きを拡張していくための大きな推進力になるのだから。

開眼した言葉、三つ

①たかだか1メートル数十センチの世界

チェロを習得するうえで、いくつか開眼させられた言葉があるので紹介したい。一つは、「チェロを弾くといったって、たかだか1メートル数十センチのなかで、手をどう動かすかというだけだ」というもの。左手の跳躍は、恐ろしく遠く感じてしまう。でも、精神的なストッパーを取り払うべきである。ようは、正しい場所に、正しいタイミングで、正しく指が動けば、正しい音が出るのだ。臆病にならずに、いっぱいチャレンジしたほうが良い。どんどん先生に質問し、「まだ早い」と言われても見よう見まねでやればいい。ネットでそれとなく情報を集めて試してみて、これで合っていますか?と聞けばやる気を買ってくれるはずだ。ともかく、前のめりで、どんどん情報を集め、挑戦し、質問し、自分の中での演奏の「原則」となるものを身に着けること。やったことのないことは上手くなりようがない。どんどん挑戦して、壁を超えること。

②正しいフォームの手を、腕で正しいポジションに持って行ってやる

もう一つは、左手に関して、「一つの音を指を探って弾くのではない。正しい手のフォームで、正しいポジションに四本の指を腕で持って行く。そうすると、指が下りたところがすべて四本とも正しい場所(半音間隔)になる」。これが原則だ。(もちろん例外はいくつもあるし、いい音のために大きなビブラートをかけてフォームを崩すこともある。だが原則は原則だ。)原則をとりあえず頭と体にしみこませておくと、いろんなものがフラットにスムースになる。世界的なチェリストの演奏を見てみて欲しい。左手のフォームはいつも指板と平行に滑らかに移動しているはずだ。
「ポジション移動を音楽的に」、「しずくが落ちるように」というのも原則。

③拡張型は、左人差し指を伸ばすだけ

もう一つ、左手に関して、ネックポジションのフォームは二つだけ。ノーマルか、人差し指を伸ばすか。このシンプルな原則を知った時、開眼だった。「拡張」とはただ、「人差し指だけ」を顔の方に伸ばす(伸ばして押さえる)というだけのことなのだ。ものすごく重要なことが、とてもシンプルなのだ。この単純な原則を体得することが大切だ。
※習い始めの頃、このサイト(ゴーシュさん)をよく参考にしていた。

右手(弓)は、とにかく出したいと思う音にたくさん触れて、探求すること

右手(弓)の方は、ともかく先から元まですべてを活用して、あらゆる可能性を探れということに尽きると思う。ロングトーンとか、先弓のコントロールとか、元弓の重さやスピードのコントロールとか、時々確認すると質が上がる。何より、たくさんの動画を見て、コンサートを聞いて、音色と弓の使い方を研究するのがお勧め。見て、聞いて、盗むのが一番。良い音を出している人は、どんな弓の使い方をしているだろうかとじーーーーっと見ると良い。そして、出来るだけ癖がなく、汎用性の高そうな原則を自分に取り込むことだ。

やりたい曲にはどんどん挑戦してみる

そして、いろいろと技術が身についてきたら、同時進行でどんどん弾いてみたい曲の楽譜を手に入れて、弾いてみるといい!
弾けなくてもいいのだ。どうして弾けないのか、何が足りないのか、それを満たすためにはどんな練習と技術が必要なのか、と想像する。そうすると情報収集の質と速度が上がるのだ。是非、英語でも検索するといい。一気に情報量が上がるから。
僕は、チェロを弾き始めて2年目くらいから、バッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜を何種類か買い集めて、1~3番の弾けそうなものをガシガシ弾いていた。弾けるとか弾けないとかじゃなく、弾きたくてしかたがなかった。練習すれば、ともかくも弾けるようになるのが嬉しかった。
なにより、好きな曲だと、音程にもシビアになるし、リズムがこけているのも気になって仕方がない。めちゃくちゃ練習したし、いつまで弾いていても飽きなかった。これでハーフポジション~6,7ポジションくらいまでは、かなりはやく譜読みが出来るようになった。(実際、バッハの無伴奏組曲は、音楽的にも優れているけれど、練習曲集らしいつくりにもなっている。)ゴリゴリと頭と体にノウハウをしみ込ませていった時期だったように思う。
よく指番号を自分で工夫して考えろとも言われるのだが、何事もまずは型を大量に仕込むことが大事だと思う。そうでないと、あまりに習得に時間がかかりすぎる。開放弦を使うパターンと、使わないパターンと、いろんな奏者の指番号を試してみて、学ぶことは多かった。

学び続けているDVD

さて、右手も左手も、あらゆる技術の習得を速めてくれたのは「こんな音で、僕もチェロが弾きたい!弾いてやる!」という欲求だった。その欲求を刺激し続けてくれたものがある。
僕がチェロを弾き始めてこの方もうかれこれ20年くらい、何度も何度も(実質何百回も)見返して、飽きずにいまだに見続けているDVDがあるのでそれらを紹介しておきたい。

①若かりし日のミッシャ・マイスキーのバッハ無伴奏

1つは、若かりし日のミッシャ・マイスキーのバッハ無伴奏のDVD。これはもう、ため息が出るほど美しい。(巨匠の風格となった現在のマイスキーは、どうもなんでもマイスキー風に仕上げてしまうので僕の好みではなくなってしまった。だが安心してほしい。この時の彼は、今の彼とは別人なのである。)このころのマイスキーは抑制が効いており、適度なビブラートと、甘やかな音程と、ふくよかな音量で、「チェロでバッハを弾く魅力」を存分に魅せてくれている。最近の古楽演奏とは全く異なる趣味であるけれど、過度にロマン寄りにならず、「楽器をよく鳴らして丁寧に歌ったバッハ」の見本と言える。
なによりカメラワークが優れている。左手も右手もよく見えるように撮ってくれる。重音、跳躍、親指ポジション。それも軽やかで適切で見とれてしまう。ラトビア(かつてはロシア)出身のユダヤ人マイスキー。一体どんな訓練をしてここまで仕上げてきたのだろうか。映像のバッハ無伴奏組曲は様々出ているけれども、全体として映像でこのレベルを保っているものはないと思う。今でも時々見て研究している。

②ベルリンフィル12人のチェリストたちの創設40周年記念のDVD

もう一つは、ベルリンフィル12人のチェリストたちの創設40周年記念のDVDである。これも、もう大好きで、何百回も見ている。見すぎて、一緒に見ている妻がメンバーにあだ名をつけてしまうくらい見ている。(そのうちの一人マルティン・レールという人が僕の父に顔が似ているので、ついたあだなは「お父さん」だ。)
これは、アンサンブルのためのチェロの超絶技巧の見本市のようなDVDだ。超絶技巧というと、ソリストが激早で弾いて、目まぐるしく手を動かしているイメージがあると思う。だが、この動画で見る彼らは、そのような自分の技術を披露するために弾いていない。すべての技術はアンサンブルのために奉仕していて、12人全体で作り上げる音楽を目指している。
速いとか高いとか、音程取るのが難しそうとか、もうそんなことは完全に超越している。めちゃくちゃ難しそうなことを、涼しい顔してひょいひょいとやっている。微笑みながらアイコンタクトなどをしておられる。これはマジで痺れる。どうやって、アンサンブルしているんだろうというのを研究するために見ている。アンサンブルのできる演奏家でいたいからだ。

アンサンブル能力というのは、こればっかりはやってみないことには身に着かない能力である。でも、実際には、体験したからと言って身に着くとも限らないのがアンサンブルの恐ろしいところだ。
要は、「アンサンブルが緊密に機能するために何をどうすればいいのか」ということが客観的にも体験的にもメンバー全員が周知徹底していなくてはならないのだ。それは呼吸であり、カウントであり、フレーズ内の揺れであり、和声の動きと声部の役割である。旋律の役目、ベースの役目、中声の役目、装飾音の役目。それぞれが全体の中で自分の役目を適切に果たさなくてはならない。
大学合同オケの演奏会に乗った時に、他大学のコンマスの人が言っていて開眼だった言葉がある。

個人練では10割自分の音を聞く。でも「合奏では8割他人の音、2割自分の音を聞くこと」と。

これは、合奏の時に手を抜けということではない。「2割の集中でも合奏時に十分にパフォーマンスできるよう個人練習してくること。そして8割の集中力はアンサンブルのために何をしたらよいか考えることに使える様にしろ」ということだ。まことにその通りだ。合奏で個人練習をしていては、時間の無駄になる。このあたりが、能力が同じくらいか少し上の人たちとアンサンブルした方がいい理由である。アンサンブル上達のためには、アンサンブルが出来る人たちと、「アンサンブルの練習」をしなくてはいけない。

③ベルリンフィルとアバドによるヨーロッパコンサート2002

最後に、もう一つお勧めのDVDは、ベルリンフィルとアバドによるヨーロッパコンサート2002だ。曲目はドボルザーク新世界より、ベートーヴェンエグモント、ブラームスバイオリンコンチェルト、ヴェルディシチリアの晩鐘だ。これは何度見ても鳥肌が立ち、胸にこみあげるものがある。最後にはオーケストラの存在すら忘れて、作り出される音楽にのめり込み、夢を見てしまう。音響はもちろん、DVDの映像も非常に美しい。オーケストラの圧倒的な美しさを体験できる録音だ。
大病から復帰したアバドは、弱弱しいからだでありながら、そのタクトによってオケからすさまじい音楽世界を引っ張り出していく。ベルリンフィルのアバドに対する溢れるような愛と信頼を存分に感じることが出来る。バイオリンソリストは若き日のギル・シャハムだ。これもまた溌溂とした喜びとひりひりするような刺激に満ちた劇的なブラームスだ。技術には一点の曇りもない。気持ちが良い。
「オケっていいなぁ」とほれぼれしてしまう。音楽へのあこがれというか、自分もこんな素晴らしいオーケストラ音楽の渦の中で演奏していたいというイメージを持っているのは良いと思う。そのうちに、このイメージが実現する日が来ると思っている。

まとめ

DVDを紹介した理由は、素晴らしい音楽に憧れながら、同時に「どうやって体を動かして、どんなふうに楽器を扱うと、こんな音を出せるのだろう」と僕は考え続けてきたからだ。そして、いつの間にか、CDで音源を聞いていると、「あぁ、この人は駒寄りで弾く人だな」とか、「開放弦を多用するなぁ」とか、「ビブラートが細かすぎる」とか、音から弾き方がなんとなく想像できるようになった。つまり、自分の好きな音色を出すために、どうやって弾いたらいいかというアイディアがストックされたのだ。YOUTUBEでもたぶん見られると思うのだけど、そうではなく、DVDを、運転しながらとか、ソファでごろんとしながらとか、ともかく暇さえあれば演奏姿を見つめていたことで、習得したものが多かったように思う。頭に音と映像がインプットされ、練習にに活かせようになった。

そして、あとは練習あるのみである。技術を磨くのは、それはそれでコツコツとずーっと続ける必要がある。それはそれで面白いのだ。エチュードやスケール、アルペジオは、どこまでも研ぎ澄ませていく快感がある。
その一方で、音楽を音楽として表現する喜びも追及していく必要がある。そのためには、まずいい音楽のストックを自分の中に作り、さらに自分の楽器でたくさん実験してみることだ。憧れが動機を強くしてくれる。

こんな感じで、いつも憧れて、挑戦して、達成して、また憧れてを繰り返して、ここまでやって来た。

これからも楽しく上達していきたいと思う。

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