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愛と正義の赤ちゃんごっこ【7ーB】

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 窓から見える空が暗い。きょうは雨だから、みんな教室でお昼ごはんを食べている。

「ほらあ!」

 おべんとうをつついていた一実(かずみ)が、箸を私に向けて声を上げた。

「やっぱ私の言ったとおりじゃん。その女とまだつきあってるんだよ、きっと」

「それはないよ!」

 細めた目でこっちを見ながら玉子焼きをほおばる一実に、つい大声で反論してしまう。

「だって、もう別れたって言ってたもん!」

 わざとらしくため息をつく一実。

「あのさあ、たとえばニセモノを売ってるブランドショップがあったとして、そこで『あなたの店の品はニセモノですか?』って聞いたらさ、そこの店主はなんて答えると思う?」

「ギュンちゃんはブランドショップじゃないもん」

「仮にさ、仮にほんとに別れてたとしてもだよ? 今でも部屋に写真が飾ってあるってことは、なっ? そういうことだよ」

 だまってごはんをかきこむ。このぶんじゃ、キスしたなんて言ったらもっとバカにされるだろうな。

「桃下っ」

 後ろから声がした。

「なあに?」

 箸をとめてふり返る。茶山(ちゃやま)くんだ。綺麗に整えられたまゆ毛に、ギョロっとしたするどい目。見下ろされてドキッとした。

「桃下ってさあ、赤地と同じ塾なの?」

「そうだよ」

 私が答えると、茶山くんはにこっと笑った。

「なら、オレもそこ行こっかなあ」

 こんな笑顔、はじめて見たかもしれない。

 クラスの派手な男子グループの中でも、茶山くんはいちばんチャラチャラして、目立っている。うちの学校は茶髪禁止なのに、茶山くんの頭はいつも先生に注意されるかされないかの色で、しかもウェーブのかかった髪が長くて、ホストみたいだ。それで私は、正直この人がちょっと苦手だった。

 別に嫌いなわけじゃない。去年の文化祭でギターを弾いている茶山くんを見て、カッコいいなあと思ったくらいだ。ただ、なんとなく話しかけづらいというか、下手に話しかけたら「あ゛~っ?」とか言われそうでこわかったから、同じクラスになってからもあいさつくらいしかしたことがなかった。でも、たぶんそれは私の勝手な思いこみで、本当は案外フレンドリーな人みたいだ。

 後ろを見ると、青木くんと山吹くん、それにマーくんもこっちを見ていた。茶山くんとマーくんが仲よしだなんて、ちょっと意外だ。

「どう思う? オレじゃついていけないかな?」

 茶山くんにそう言われて、入塾キャンペーンのことを思い出した。今月中に友だちを入塾させれば、図書カード3千円分がもらえるんだった。マーくんはもう入ってくれたし、茶山くんも誘いこめば6千円分。6月もあとちょっとでおわってしまう。このチャンスを逃がすわけにはいかない。

「そんなことないよ。あたしだってついていけてるんだし」

「桃下がそう言うなら安心だ」

「あっ、ひどい!」

「ウソウソ。おまえ英語得意だもんな」

「ねえ、よかったら放課後いっしょに塾行かない? 案内するから」

「ほんとに? じゃあたのむわ」

 茶山くんはそう言って、スマートフォンを取り出した。

「番号とか教えてくんない?」

「もちろん」

 私もスマホを出して、番号とかを交換する。

「ほんじゃまあ、今後ともよろしく」

 右手をさし出す茶山くん。

「こちらこそ」

 私はその手を軽くにぎり返した。

 帰りのホームルームがおわると、茶山くんと一実をつれて昇降口へむかった。3人で上履きを脱いでいると、一実が意外なことを言いだした。

「私も塾、いっしょに行っていい?」

「えっ? 全然いいけど、きょうはカズも塾じゃないの?」

「いや、休む。試験前だから」

 一実は美大を目指していて、それ専門の塾に通っている。だから美術はもちろんだけど、それ以外の教科もマーくんの次に優秀だ。その一実が、定期テストなんかのために大事な美術の塾を休むなんて……。きょとんとしている私に、一実は早口でつづけた。

「塾の件が片づいたら、私んちでいっしょに勉強しない?」

「いいよ。そうしてくれたらあたしも助かるし」

「いいなあ。オレもまぜてよ」

 茶山くんがそう言うと、一実はあわてて「ごめん」と答え、口ごもった。

「私の部屋せまいし、ちらかってるから」

「あはは。そんな必死に言いわけしなくていいよ。オレ、速水に嫌われてるんだな」

「そんなことないよねカズ?」

 一実はまだなにか言いたげな顔でうなずいたきり、だまってしまった。

 ちょっと案内しただけで、茶山くんはうちの塾を気に入ってくれたらしい。さっそく入塾テストの受験日を決めて、談話室で10分くらい休憩した後、塾を出た。茶山くんとは駅前で別れて、私たちは一実の家にむかう。あとはあさってにそなえて試験勉強にはげめばいいわけなんだけど、その前にもうひとつ、やるべきことが残っている。茶山くんがいるあいだ中、ずっとだまったままだった親友の取り調べが。

「どうしちゃったのカズ?」

「なにが?」

「とぼけちゃってっ」

 まっ赤な傘で顔を隠しながら、一実はさっさと歩いていく。

「秀才の速水さんが、期末テストなんかのために塾を休むなんて」

 そのまま自分の家につくまで、一実はずっと黙秘をつづけた。

「おじゃましまーす」

「愛ちゃんひさしぶりじゃない。あいかわらずかわいいねえ。そんなにかわいいんじゃ男の子からほっとかれないでしょ。ああ、それで最近遊びに来てくれなくなっちゃったんだあ」

 半年ぶりくらいに会った一実のお母さんは、あいかわらずめちゃめちゃ元気で、マシンガントークも健在だった。ひとしきり相手をしてから、一実の部屋に行く途中、2階でばったりケイジくんに会った。

「あっ、こんちは桃下センパイ」

「ケイジくーん、元気だった?」

 しばらく見ないうちに、ケイジくんはすっかり大きくなっていた。こないだまでは一実と同じくらいだったのに、いまじゃ完全にケイジくんのほうが高い。さすが中3。成長期まっさかり。顔だちもキリッとして、もうあどけなさはほとんどない。一実ゆずりの切れ長な目が輝いている。

「背ぇのびたねえ。男らしくなったね、お姉ちゃんに似て」

 一実が私の頭をこづくと、ケイジくんは得意そうに言った。

「センパイはあいかわらず小さいですね」

「あーっ、ちょっと成長したからってナマイキな。彼女はできた?」

「いや、まだっす」

「あたしとつきあってみる?」

「は?」

「年上の彼女はヤダ?」

「えっ、えっ……」

 みるみるまっ赤になっていくケイジくんを残して、私たちは一実の部屋に入った。

「中学生をからかうなよ」

「だってかわいいんだもん。あたしも弟ほしかったなあ」

 ベッドに腰を下ろした私は、にやっと笑って一実を見る。そろそろ事情聴取を再開しよう。

「ところでさあ、カズが塾休んだ理由、あたしわかっちゃったかも」

 デスクにむかったままだまっている一実に、思いきって聞いてみる。

「好きなんでしょ? 茶山くんのこと」

「……はーっ?」

 一瞬間を空けてから、一実はふり返って全力で否定した。

「んなわけないじゃん! なんで私があんなバカを? あんな性根のくさったホスト野郎を?」

「そこまで悪い人じゃないと思うけど」

「おまえは人を見る目がない」

「またはじまった。そんなこと言って、ほんとはやっぱり好きなんでしょ?」

「断じて違う。私は……」

 次のセリフを待ったけど、一実はそれきりだまってしまった。

「もしかしてだれか、別の人?」

 ふだんは私をからかう専門家が、めずらしく耳をまっ赤にしている。

「だれだれ? うちの学校? 2年生? 何組? ねえ教えてよ、ヒントだけでもいいから」

 しつこい質問ぜめに、一実はとうとう口を割った。

「片想いだよ」

「もう告白したんだ?」

「いや」

「じゃあまだ片想いかどうかわかんないじゃん」

「わかるよ」

「なんで?」

「赤地くんなんだよ」

「えっ、えーっ?」

 おどろいた。たしかに、ふだんなら他人のことにはあまり関心を持たないはずの一実が、マーくんのことにだけは積極的に関わろうとしていた。「赤ちゃん返り事件」のとき、なんだか一実がふてくされて見えたのは、私の気のせいじゃなかったんだ。

「でもさあカズ、まだわからないんじゃない?」

 デスクにむかってだまっている一実に、私はおそるおそる言った。

「だってマーくんは、まだカズの気持ちも知らないわけだし」

 ふっと鼻を鳴らしてから、一実はふり返らずに答えた。

「私はおまえと違ってかわいくないし、胸も小さいし性格も悪いし、告白なんてするだけムダだから」

「そんなのわかんないじゃん。想いつづけてればマーくんだって、いつか好きになってくれるかもよ?」

「想いつづけてればいつか? なんのJポップだよ、それ」

 しばらく気まずい空気が流れた後、一実は私に背をむけたまま、ゆっくりと口を開いた。

「ごめん。別にさ、嫉妬してるわけじゃ、ないんだ。赤地くんのことは好きだけど、おまえは私の、貴重な友だちだしさ。むしろ、ふたりが幸せになってくれたらそれが、それがいちばんいいと思ってるよ、私は」

 わざとらしくデスクに問題集をひろげる一実。そんな親友の後ろ姿を、私はちょっとかわいいなと思った。

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