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愛と正義の赤ちゃんごっこ【6ーB】

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 蛍光灯を反射してピカピカ光るフローリング。ひろいリビングのあちこちにあるめちゃくちゃ高そうなインテリア。テレビに出てくる芸能人のマンションみたいだ。

「いいなあ。こんなとこに住んでみたい」

 私がそう言うと、大きな白いソファーの上でギュンちゃんはにやっと笑った。

「いっしょに住もうか?」

「ほんとに?」

「こんな部屋に住んでるとさむざむしくってさ」

 私もソファーに座って、ギュンちゃんの横顔を見つめる。

「オレのオヤジ、むかし三田塾で働いててさ、そのときこのマンションに住んでたんだって。子どもが三田塾行けるように、売らずに残しといてくれたってわけ」

「大学教授なの? お父さん」

「そう。いまは陸奥(むつ)大にいるんだ」

 さすがギュンちゃんのお父さん。国立大の教授なんて、エリート中のエリートだ。

「あっ、ひょっとしてお父さん、ドイツ留学中にお母さんと知りあったとか?」

「よくわかったね」

「そういう小説なかった? 日本のエリートがドイツに留学して、そこで知り合った女の人と恋に落ちて……ってやつ。夏目漱石だっけ?」

「鴎外の『舞姫』か。まあ、オヤジはちゃんと結婚したけどね」

 ギュンちゃんが先生だったら、嫌いな国語の授業も楽しくなるんだろうなあ。そんなことを考えながらソファーに座る。目の前にあるガラスのローテーブルの上に、ビールの空きカンがちらばっていた。

「飲んでたの?」

「そう、きょうは授業なかったからさ、朝までひとりで飲んでたんだ。愛ちゃんと待ちあわせするちょっと前に起きた」

 苦笑いしながらそう言うと、ギュンちゃんは空きカンを持ってキッチンに行った。そのあいだに、私はバッグから勉強道具を取り出してテーブルの上へならべた。

「なんか飲む?」

「うん。ありがと」

 ギュンちゃんが持ってきてくれたペットボトル入りのウーロン茶を、のどの渇いていた私は一気に飲みほした。

「ジュースでも補充してこようか?」

 ギュンちゃんはそう言うと、ちょっと古びた感じの長サイフを取り出して中をのぞいた。

「ううん、だいじょぶ。まだウーロン茶残ってるし」

「ちょっとコンビニ行ってくる」

 私を置いてさっさと玄関にむかうギュンちゃん。

「あたしも行く」

「いいよいいよ。愛ちゃんはしっかり勉強しなきゃ」

 しかたなくギュンちゃんを見送った私は、ヒマつぶしに一実(かずみ)へメッセージを送った。

残念でした!
1000円もーらいっ♪

 放課後、ギュンちゃんの家で勉強すると言ったら、一実はあきれ顔で言った。

「おまえ、そりゃむこうは完全にヤるつもりだよ。部屋に入ったとたんベッドに押したおされるぞ」

「またそういうこと言う。ちゃんと勉強みてくれるって言ってたから」

「ウソに決まってんだろそんなの」

「ウソじゃないってばっ」

「まあ、たしかにそれも人生勉強にはなるか」

「だいじょぶだよ。ギュンちゃんはそんな人じゃないから」

「そんな人だから」

「じゃあ賭ける?」

「いいよ。『部屋に入ったとたん押したおされる』に1000円」

 試験勉強をしようにも、なんとなく気がのらない。まだかなあ、ギュンちゃん。やっぱり私もついて行けばよかった。一実はメッセージを返してくれないし、退屈。

 そうだ、リビング以外はどうなってるんだろう。

 非常識とは思いつつ、好奇心に負けた私は部屋を見てまわる。キッチン、トイレ、バスルーム。どこも掃除がゆきとどいている。あまりにもキレイすぎて、人が住んでいるとは思えないくらいだ。ベッドルームはどうだろう。エッチな本とか落ちてないかな? そう思って中をのぞくと、ここも他の部屋と同じく、モデルルームみたいに整頓されている。

 よく見ると、ベッドの脇のローテーブルに写真立てが置いてある。思わず近くまで行って、まじまじと見つめた。

 そこにはギュンちゃんと、私の知らない女の子が写っていた。ゆるいパーマのかかった栗色のロングヘアに、とろんとたれたやさしそうな目。全体的にほわっとしていてかわいらしい子だ。ギュンちゃんに肩を抱かれ、幸せそうにほほえんでいる。年は私と同じか、ちょっと上くらい。スコティッシュフォールドの子ネコを大事そうにかかえている。

 玄関のドアが開く気配がした。私はあわててリビングにもどった。

「ただいま」

「おかえりなさい」

 気づかれないように息を整えながら、にこっとつくり笑いをする。

「勉強は進んだ?」

 ギュンちゃんはそう言って、ローテーブルの上のノートをのぞきこんだ。

「まっ白だな」

「なんかうとうとしちゃって」

「ダメじゃん」

「すみません先生。いまからしっかりがんばります!」

 ガリア戦争、ローマ内戦、三頭政治の崩壊……。せっかくギュンちゃんにみてもらっているのに、ちっとも頭に入らない。私にとってはクレオパトラより、さっきの女の子のほうが大事な問題だ。

「ちょっと休憩しようか」

 ギュンちゃんはそう言うと、コンビニで買ってきたマスカット風味の炭酸をコップについでくれた。

「ありがと」

 それを飲みほしてから、私はさりげなく聞いてみた。

「ねえ、他の部屋も見せてもらっていい?」

「いいけど、別におもしろいもんはないと思うよ」

 ギュンちゃんの案内で、さっき見たばかりの部屋をもう一度見てまわった。ベッドルームについたとき、ドアを開けたギュンちゃんが一瞬固まったのを、私は見逃さなかった。

「ちょっと待っててくれる? いま、ちらかってるから」

 そう言ってから、ギュンちゃんはしばらく部屋の中でごそごそやっていた。

「おまたせ。どうぞ」

 やっぱりあれ、私に見られたらまずいものだったんだ。ベッドに座ってはだけたスカートのすそを直しながら、私はさっき写真が置いてあったローテーブルの上をながめた。「スコティッシュフォールドを飼っている知り合い」というのは、きっとあの子のことだろう。もし彼女とつきあっているんだとしたら、カズミの言ったとおり、私はただ遊ばれているだけということになる。それに、たとえもう別れていたとしても、あんな写真を大事に飾っていたってことは……。

「だいじょうぶ? 疲れた?」

 心配そうにのぞきこむギュンちゃんを、なにも言えずに見つめ返してしまう。どう言えば自然にあの子のことを聞き出せるだろう。自然に。なるべく自然に。

「ねえねえ、ギュンちゃんってさあ、ネコ好きなんだよね?」

「ん? まあね」

「前にさあ、スコティッシュフォールドが好きって、言ってたもんね」

 ギュンちゃんがふきだした。

「見たんだ、あの写真」

「えっ、写真?」

 私はとぼけて、5秒くらいのあいだ必死に言いわけを考えたけど、やっぱりなにも思いうかばなかった。

「ごめんなさい、勝手に」

 ギュンちゃんはだまって、にやにやしながら私の頭をなでた。

「あの子とはむかしつきあってたけど、いまはもう、なんでもないんだ」

 だったらあの写真、なんでいままで飾ってあったの? そう思いつつ、私は無言で床を見つめた。 

 そのとき、ギュンちゃんのくちびるが私のと重なった。思わず目を閉じて、口を半開きにしたままおたがいのくちびるをはさみあう。にゅるんと入ってきた舌が、あたたかい。大きな手で胸をさわられて、そのままベッドに押し倒された。目を開くと、ブラウスのボタンが全部はずされていた。

「待って。ねえ、きょうはまだ、あの……」

 私はあわててはだけたブラウスを元にもどした。

「きょうは、きょうは私、テスト勉強、しなきゃ」

「ごめんごめん。これじゃ家庭教師失格だな」

 ギュンちゃんはそう言って、ブラウスのボタンをはめなおしてくれた。

 会社帰りのサラリーマンでうめつくされた改札口。見送りにきてくれたギュンちゃんに、習ったばかりのドイツ語でお礼を言う。

「ダンケシェーン」

「ビテシェーン。がんばってね、試験」

 さっきの女の子が頭に浮かぶ。あの子もこうして見送られながら、何度もこの改札を通ったのかな? もしかしたらギュンちゃんは、彼女と私を重ねあわせているのかもしれない。

「だいじょぶ愛ちゃん?」

 改札機のトビラに直撃されたお腹をおさえながら、私はふり返って笑顔をつくった。

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