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愛と正義の赤ちゃんごっこ【5ーA】
普段なら笑顔でおはようと言ってくれるはずなのに、愛ちゃんは僕に気づかないふりをして教室の外へ出ていった。おしまいだ。怖れていたことがとうとう現実になってしまった。
力なく席に着くと、僕は机に突っ伏して、これから始まるだろう過酷な毎日に思いを馳せた。卒業まで愛ちゃんに嫌われたまま過ごすなど、とても堪えられそうにない。いっそ高校など中退してしまおうか。たとえ高校を出なくとも、高卒認定試験にさえ受かれば大学受験資格は得られるのだ。いや、そもそも大学進学自体もう、どうでもいいか。
「おはよ」
不意に声をかけられ、ぎょっとして顔を上げた。目の前にいるのはまぎれもなく愛ちゃんだ。
「あ、おはよう」
「これ」
彼女が手渡してくれたのは、僕の通学用鞄だった。
「あたしのロッカーに入れといたの」
「ありがとう」
「昨日は大丈夫だった?」
「え?」
「ほら、鞄忘れてっちゃったけど、無事に帰れたのかなって」
「ああ、うん。定期は財布に入ってたから」
そう答えてから、上目遣いでおそるおそる彼女の顔色をうかがう。
「ごめんね愛ちゃん。いろいろと、その、迷惑かけちゃって」
「いいよマー君。気にしないで」
そのまま自分の席に向かって歩きだした彼女は、何を思ったか途中で振り返り、にこっと笑った。
「あんまりストレス溜めすぎると病気になっちゃうよ。もっと気楽に生きよ。ね?」
その笑顔は若干、引きつっているように見えた。だが、失神した僕を膝枕で介抱してくれたことや、僕の置き忘れた鞄を自分のロッカーに保管しておいてくれたことなどを考慮すると、それほど嫌われているとも思えない。まだ少しは希望がある……だろうか。
いずれにせよ、問題は愛ちゃんと男の関係がどの程度まで進展しているかだ。考えたくはないが、すでに男のものになってしまっている可能性もある。そんなふしだらな娘とは思えないけれど、相手は大学生。それも彼女が一目惚れするくらいだ、きっと西洋人のような、彫りの深い男前に違いない。そんな奴は絶対、女たらしに決まっている。
愛ちゃんは警戒心が弱いから、部屋に連れこむのは容易だろう。陳腐な口説き文句を耳元でささやけば、唇を奪うのもそう難しくはないはずだ。半開きになった口へ舌をねじこみ、ピチュピチュと唾液を交換しつつ胸を揉む。互いの息が上がってきたところで、名残を惜しむようにつうっと糸を引きながら舌を離し、ゆっくりと服を脱がしていく。ブラジャーを外すと、押さえつけられていた乳房がぷるぷるるんと躍り出る。剥き出しになったおっぱいは、はち切れそうなほどに豊満だ。張り巡らされた青い血管がうっすらと透けて見える。男の生温かい吐息が、色素の薄い乳頭を湿らせる。緊張と恥じらいのため、愛ちゃんの頬は紅く染まっている。困惑の表情を上目遣いで楽しみながら、男は先端に舌を押しつけ、そのままぺろりと舐め上げる。ぴくっと身震いをした愛ちゃんは、眉間に皺寄せ溜息を漏らす。味わうように二、三度舐め上げた後、今度は思いきりしゃぶりつき、聞こえよがしにチューチューと音を立てて吸う。愛ちゃんの溜息は、もはや溜息とは呼べぬほど荒くなっている。熱い体を後ろから抱きしめ、耳たぶを甘噛みし、首筋に舌を這わせる。片手で乳房を揉みしだきながら、むっちりとした腿のつけ根にもう片方の手を伸ばす。下着の上から大事な箇所を指でつーっと撫でると、そこはすでにじっとりと湿っている。男はごくっと喉を鳴らし、布と肌との間に指を滑り込ませ――
「赤地!」
数学教師の藍沢(あいざわ)が、大声で僕を呼び醒ました。すでに授業が始まっていたのだ。
「はい?」
「どうした?」
僕は狼狽しつつ答えた。
「ちょっと、頭痛がしまして」
苦し紛れの言い訳だが、まったくの出まかせでもない。昨日から後頭部にもわっと広がるような違和感があるのだ。他に心当たりはないから、たぶん失神した時にぶつけたのだろう。
「じゃあ保健室に行ってこい」
ちょうどいい。昨日はろくに眠れなかったから、保健室のベッドで一休みしよう。そう思い、席を立とうとして重大な問題に気づいた。さっきまでの卑猥な妄想のせいで、僕の下半身は非常事態になっていたのだ。
「やっぱりあの……もう少し、休んでから行きます」
「教室は休む場所じゃない」
「でも……」
「いいから早く行け。授業が進まないだろうが」
とっさに鞄で下腹部を隠した。
「早退するのか?」
「いえ、でも、念のため」
いちいちうるさい奴だ。内心そう毒づきつつ、僕はよちよちと歩きだした。藍沢だけでなく、クラス全員から訝(いぶか)しげな視線を浴び、冷や汗をかきながら教室を後にした。
保健室は施錠され、ノックをしても応答がなかった。職員室に行って事情を聞いたところ、今日は養護教諭が休みなのだという。その場にいた副校長に頼んでみると、二つ返事で鍵を開けてくれた。
照明を消してベッドに横たわり、これからのことを考える。現時点ではまだ、愛ちゃんが男の手に落ちたと決まったわけではない。純真な女子高生をたぶらかそうとする、おぞましい悪漢から彼女を守らなくては。
窓から射しこむ陽光が、ベッドを囲む白いカーテンを照らしている。ずいぶん長い間眠っていたようだ。今は何時間目だろうか。そう思ってカーテンを開けると、ソファーに誰かが座っていた。
「ごめん、起こしちゃったかな?」
「速水さん」
思わず跳ね起き室内を見まわす。
「愛は教室にいるよ」
腹の内を見透かされ、苦笑混じりに愛想笑いをした。ソファーから立ち上がった速水さんは、短めの後ろ髪を撫でつけながら、ちらりとこちらを見て言った。
「昨日倒れた時、頭ぶつけたんでしょ? 大丈夫?」
「平気だよ。ありがとう」
頭の痛みなどたいしたことはない。問題は愛ちゃんだ。
「あいつ、自分のせいで怪我させちゃったから、合わせる顔がないみたい」
そう言うと速水さんはソファーに座り直し、床に視線を落とした。僕はベッドに腰を下ろし、吹っ切れた風を装って言った。
「合わせる顔がないのは俺の方だよ。女にふられて失神するなんて、男として最悪だよね」
自棄になって空笑いをしながら、あの時のことを思い出してわっと叫びたくなる衝動を抑える。
数秒の間、沈黙が続いた。室内の掛時計はちょうど十二時半を示している。
「私が来たって嬉しくないよね。そろそろ戻るわ」
時計を見上げた僕に気兼ねしてか、速水さんはそそくさと出口に向かった。
待てよ。彼女なら例の男について、何らかの情報を持っているかもしれない。
「あの、速水さんにちょっと、教えてほしいことがあるんだけど」
話が一段落ついたところで、僕は自分の口がだらしなく開いていることに気づいた。
男の名前はギュンター。私学の名門、三田塾大学の三年生で、ドイツ人と日本人のハーフ。愛ちゃんいわく「恐ろしいほどかっこいい人」。大学では常に優秀な成績を修め、学外では小学生を対象にしたサッカークラブのコーチを務めている。まるで安っぽい恋愛コメディに登場する主人公のライバルのような、完全無欠の男ではないか。そんな奴が相手では、僕に勝ち目などあるはずがない。
「赤地君はどう思う?」
「どうって?」
まごつく僕にかまわず速水さんは続けた。
「そんないかにも遊び人っぽい大学生が、本気で女子高生と付き合うと思う?」
「いや」
「弄ばれてるだけだよね、絶対」
自分の気持をことごとく代弁してもらい、僕は思わず涙目になった。
「こんなこと言ったらおかしいかもしれないけど、私は赤地君を応援するよ。赤地君と付き合った方が愛にとっても幸せだよ、きっと」
もはや涙目どころではない。
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