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愛と正義の赤ちゃんごっこ【10ーB】



 世界史の授業がおわると、教室の中はガヤガヤしはじめた。ルーズリーフとテキスト、ペンケースをバッグの中にしまっていたら、茶山(ちゃやま)くんがとんとん肩をたたいてきた。

「桃下、ほら、赤地が浮気してるぞ」

 茶山くんに言われて前を見た。教室の最前列の席にはマーくん。そのとなりにはパッと見で目を引くくらいキレイな女の子が座っていて、女の子がマーくんに話しかけている。茶山くんは私に手まねきして、マーくんたちに近づいていった。

「赤地!」

 茶山くんに呼ばれてふり返るマーくん。

「その娘は? ナンパでもしたのか?」

「マーくんの友だち?」

 私たちの質問に、マーくんは口を開けたまま5秒くらいかたまってから答えた。

「いや、あの……たまたまとなりに座ってて……」

 おどおどしながらそう言うと、またレトロなおもちゃみたいにだまってしまった。

 マーくんのとなりの女の子は、席を立つと私ににっこりとほほえんだ。なんてキレイな子なんだろう。ツヤツヤ輝く黒のロングヘア、大きな目と口と高い鼻、きめの細かい小麦色の肌は、まるで「アラジン」に出てくるお姫さまみたいだ。背は私より10センチくらい高い。スラッとしていてメリハリのある体、それに長い脚がうらやましい。

「桃下愛です。よろしくね」

「カナモトエミナです。こっちこそよろしくね」

「俺は茶山剛。ここの塾には入ったばっかだけど、よろしく」

 マーくん以外の3人で自己紹介をしあって、エミナちゃんのことを教えてもらった。名前は漢字で書くと金本瑛美菜。文芸女子大という大学の付属校に通っていて、私たちと同じ高2生。この塾には今回の夏期講習から通いだしたから、まだ入ったばっかりだ。

 次の授業がはじまるし、のども乾いたからいったん荷物をまとめて、エミナちゃんとふたりで談話室に行った。

「ねえねえ、愛ちゃんに聞きたいことがあるんだけど!」

 談話室には私たち以外にも塾生がいて、みんなおとなしく休憩している。エミナちゃんの元気な、元気すぎてちょっと耳が痛くなりそうな声が部屋にひびいて、私は思わず苦笑いした。

「愛ちゃんってさあ、ゴーくんとつきあってるんだよね?」

「えっ?」

 突然そう言われて、なにもことばが出てこなかった。ついさっき茶山くんに告白されてふったばっかりだよ、なんて言えるわけない。

「やっぱつきあってるんだあ」

「つきあってないよ! ただの友だちだから」

「ほんとにい?」

 口もとだけにやにやしながら、でもギョロっとした目でこっちをにらむエミナちゃん。きっと茶山くんのことが好きなんだ。たしかに茶山くんはカッコいいから、エミナちゃんの気持ちもわからなくはない。けど、まさかついさっき知り会ったばかりの子から、こんな取り調べを受けることになるなんて思わなかった。とにかく誤解をとかなきゃ。

「だってあたし、彼氏いるもん」

 それを聞くとエミナちゃんは、またにこにこ顔にもどって言った。

「よかったあ。こんなかわいい子がエミナのライバルだったらどうしようって思ってたの」

「あはは……」

 笑うしかない。

「ねえねえ、愛ちゃんの彼氏ってどんな人? ここの塾に通ってんの?」

 エミナちゃんの質問を聞いて、ギュンちゃんの顔が頭に浮かぶ。顔がにやにやするのをおさえるのはあきらめた。

「えっとね、三田塾大の3年生でね、日本とドイツのハーフでめっちゃカッコいいの。しかもね、頭も超よくって、小学校のクラブでコーチやってるくらいサッカーもうまくてね、そのサッカークラブでも小さい子から好かれるやさしい性格で――」

「へえ、じゃあさあ、愛ちゃんもエミナがうまくいくように応援してね」

 私の話をぶった切って、エミナちゃんは無邪気にそう言った。

「うん。あたしにできることがあれば」

「なになに? なんの話?」

 突然後ろから茶山くんの声がした。

「ゴーくん!」

 エミナちゃんの声が、あからさまに甘ったるくなった。

「なにしてたのー? エミナ愛ちゃんとおしゃべりしながらゴーくんのこと待ってたんだよー?」

 エミナちゃんはそう言って、茶山くんの肩に手をかけた。

「あっ、なにそのペンダント。かわいいー」

「これね」

 茶山くんはちょっと照れくさそうに、首にかけているシルバーのペンダントをつかんだ。

「ピックケースなんだけどさあ、なにげに気に入ってるからいつもつけてるんだよね」

「ギターひくんだ?」

「いちおーバンドやってるからさ」

「そうなんだあ。ゴーくんかっこいいし、服のセンスもいいもんね」

「そうかな?」

「ポジションはギター?」

「いや、ボーカル」

「ボーカルかあ。ゴーくんにぴったりだね」

 夢中で茶山くんをほめまくるエミナちゃん。完全にふたりだけの世界ができあがっている。途中から談話室に入ってきたマーくんも、私さえも眼中にないみたいだ。

「今度うちの文化祭でライブやるんだ。よかったらエミナちゃんも来てよ」

「えええ、行く行く! ゴーくんが出れば絶対盛り上がるね。ていうか、今からみんなでカラオケ行かない?」

「だったらうちに来なよ。カラオケ屋なんだ」

「マジで? ゴーくんちカラオケ屋さんなの?」

「そそ、チェーン店のフランチャイズやっててさ」

「えええ、フランチャイズ? すごーい」

 そんなわけで、私たちは茶山くんの家へ遊びに行くことになった。

 みんなで電話番号とかの情報を交換してから、塾を出て駅にむかう。外はおそろしく暑い。もう夕方だっていうのに、めまいがするようなカンカン照り。首にふれる髪さえジャマくさい。しかも駅への道は、夏休みまっ最中の学生でめちゃめちゃ混んでいる。ああ、もう、早くクーラーのきいたところに行きたい。

 いつもの倍くらい時間をかけて、やっと吉祥寺駅に到着した。井の頭線とJRの乗り場をつなぐ広場は、混んではいるけど直射日光があたらないだけまだマシだ。

「あの、オレこれから、新しいスマホ買いに行くから」

 突然そう言って、マーくんが立ちどまった。そうか、きっとマーくんもエミナちゃんから、ふたりをくっつける手伝いをお願いされたんだな。よし!

「あたしもマーくんといっしょに行こっかな」

 見事に作戦成功。ふたりの後ろ姿を見ながら、私はにやっと笑った。

 マーくんといっしょにスマホの新機種を見てから、家に帰ってシャワーをあび、お母さんのつくってくれた早めの晩ごはんを食べ、部屋できょうの復習をする。ウィーン会議、メッテルニヒ、正統主義とタレーラン……。用語は覚えられるんだけど、結局なにが起こったのか、イマイチ流れがつかめない。こんなんで受験に間に合うのかな。用語は覚える、されど進まず。

 集中力が切れかけていたところに、エミナちゃんから電話がかかってきた。

「もしもし愛ちゃん?」

 興奮ぎみに話すエミナちゃん。まだテンションが下がらないらしい。

「あのね、ふたりでカラオケしてね、帰り駅まで送ってもらったんだけど、なんとゴーくん手ぇつないでくれたの。もーう、マジやばかったあ」

 きょうの昼まで「オレには桃下しかいない」とか言ってたのに、茶山くん……。エミナちゃんには見えないから遠慮くなく苦笑いしながらあいづちをうつ。

「よかったねえ」

「マジ愛ちゃんのおかげだよ。はじめママに塾入れって言われたときさ、いっしょに行く友だちいないのにどうしようって思ってたんだあ。エミナ、愛ちゃんに会えてほーんとよかったよ」

 でもまあ、これで茶山くんとはいい友だちでいられそうだし、エミナちゃんとも仲よくなれたし。

「そうだ愛ちゃん」

「なあに?」

「土曜日ヒマ?」

「え? えーっと……」

 今週の土曜はギュンちゃんの誕生日だ。ふたりで花火大会に行って、そのまま家へ泊まりに行くことになっている。

「ごめん。今週はちょっと」

「そっかあ残念。ゴーくんと隅田川行くから、愛ちゃんもいっしょにどうかなって思ったんだけど」

「えっ、エミナちゃんたちも花火行くの?」

「愛ちゃんも?」

「うん。彼氏と」

「えええ、だったらダブルデートしない?」

「いいねえ」

「浴衣持ってる?」

「持ってるけど、新しいの買おうかな」

「いっしょに買いに行こうよ」

「それ最高!」

 どんな浴衣がいいかなあ。白かピンクか。紺も捨てがたいし。私にいちばん似合う色ってなんだろう。ギュンちゃんの誕生日プレゼントもまだ買ってないし。あしたエミナちゃんに相談しよう。

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