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きみは死なない

「きゃあ、スティーヴ!」カナコの叫び声を聞き、俺は自分のシャツに血が付いていることに気づいた。

「大丈夫だ、カナコ」俺は笑顔で言った。「これは俺の血じゃない、さっきゾンビを撃った時に付いたやつさ」

「スティーヴ、お前ゾンビ女にもモテるんだな」ビルがそう言って俺をからかった。

「あいにく彼女は俺のタイプじゃなかったがね」 と俺はこたえた。

「私たち、これからどうなっちゃうのかしら?」カナコは床にしゃがみ込み、大きなダークブラウンの瞳で俺を見上げた。

「心配ないさ」俺は屈み込み、カナコの額にキスをした。「きみは死なない。俺がいる限り」

「あなたを信じるわ、スティーヴ」まだ少し不安げな顔でそう言うと、カナコは立ち上がってショッピングモールを見まわした。「ところで、私たちの他にどれくらいの人たちがここに避難してるのかしら?」

「さあね」ボブは太っ腹を動かしてため息をつくと、彼のバックパックから散弾銃、弾薬、それに2、3個の手榴弾を取り出した。「一体誰が想像できるってんだ、いきなり街がゾンビどもでいっぱいになっちまうなんて。こんなことなら常日頃からショットガンの束を持ち歩いときゃよかったよ」

「ありがとう、ボブ。きみのマグナムのおかげで助かったよ」俺はそう言って、彼にもらった拳銃を腰に挿した。

「いいんだ、スティーヴ」とボブはこたえた。

「俺からも礼を言わせてくれ、ボブ」同じく彼からもらったハンドガンを掲げ、ビルが言った。「もし俺たちが無事に生き残れたら、俺はお前に一杯おごるぜ」

 ああ、こいつ死ぬな、と俺は思った。ゾンビや戦争などをテーマにした映画では、「無事に生き残れたら……」と語るやつはたいてい殺されてしまう。これは一種の法則みたいなものだ。

 ルールは他にもある。たとえば、主人公とヒロインは死なないものだ。このショートストーリーでは俺、スティーヴ――金髪碧眼のハンサムなアメリカ人学生――がヒーローで、俺のガールフレンドであるカナコ――まるでアニメの中から出てきたように可愛い日本人留学生――がヒロインだから、少なくとも俺たちふたりの身の安全は保証される。

 対照的に、可哀そうだが、ビルとボブはゾンビにやられてしまう可能性が高い。

 まず、ボブは黒人であり、さらに悪いことに、彼はかなり太っている。ハリウッド映画では、黒人のデブはたいてい殺される。『ダイ・ハード』に出てくるデブの黒人警官は助かるが、あれは例外にすぎない。おまけにボブの実家は銃砲店。ガンショップの関係者はたいてい悲劇的な最期を迎える。残念ながらそれは彼にとって避けられない運命だろう。

 そしてビルは、彼もハンサムなアメリカ人学生ではあるが、彼にはヒロインのガールフレンドがいないという点で、俺とは決定的に違っている。そのうえ彼はさっきあんなセリフを言ってしまった。彼の運命もボブと同じだろう。

「あら?」突然カナコが声を上げた。「あっちにアンディとマットがいる!」

「ほんとだ」俺は大声で彼らに呼びかけた。「アンディー、マーット!」

 彼らは俺たちの大学の同級生だ。おそらく彼らも1時限目の授業の途中で外の異変に気づき、ここまで逃げてきたのだろう。

「お前ら、生きてたのか」アンディはそう言って、黒光りする短機関銃に安全装置をかけた。「俺は途中のガンショップでこいつをくすねて、ゾンビどもを何十匹も掃除してきたところだ」

「僕もう少しで死にそうだったよ」マットは震える手でずり下がったメガネを押し上げた。「でも、アンディが僕を助けてくれたんだ」

「とにかく、みんな無事でよかった」俺はカナコの肩に手を置いた。「ここにはある程度の食料がある。ここで救助を待つことができるだろう」

 そう言いながらも、俺は心の中で「ノー」とつぶやいた。ゾンビ映画の元祖『ドーン・オブ・ザ・デッド』以来、ゾンビどもに襲われた人々がショッピングモールに立てこもるのはお決まりだ。この選択は、しかし、後で確実に間違いだということがわかるだろう。やつらはどのみちここまでやってくるに違いない。

「助けてぇぇぇ!」突然、モールの奥から大きな悲鳴が聞こえてきた。

「ゾンビよ!」カナコが叫んだ。「どうして? このモールは封鎖されていたはずなのに」

「たぶん外でゾンビに咬まれた避難民がいるんだろう」俺は銃の安全装置を解除して言った。「やつらは咬むだけで友だちを増やせるからな」

「クソ、せっかく俺たち避難してきたってのに」アンディがサブマシンガンを構えた。「オーケー、ケガ人はゾンビもろともぶっ殺してやる!」

「やめろ、アンディ」俺はヒーローとして彼を止めようとした。「落ち着くんだ」

「これでも食らえ、ケツ穴野郎!」彼は俺を無視し、サブマシンガンを乱射しながらゾンビの群れに向かっていく。

 ああ、こいつも死ぬな、と俺は思った。ゾンビものではサブマシンガンを乱射するやつは死ぬ確率が非常に高い。さらに言えば、他人の命を犠牲にして自分だけ助かろうとするやつは確実に殺される。

 彼は威勢良くゾンビどもに突撃したものの、すぐに弾が切れ最期の叫び声を上げた。「ノォォォォォ!」

「次は俺たちの番だ」ショットガンを手に取ると、ボブが立ち上がった。「俺はやられる前にやつらをやる!」

「よせ、ボブ」 と俺は言い、彼の肩に手をかけた。

 俺の手を振り払うと、彼はショットガンを乱射しながらゾンビの群れに突っ込んだ。しかし、重い体のせいですぐに疲れ果て、彼はアンディと同じく生きたままゾンビどもの餌になった。

「どうして? どうしてなの?」カナコは床に泣き崩れた。「アンディィィ! ボォォォブ!」

「こんな危険な場所、もうたくさんだ」マットが蒼白な顔で言った。「僕は倉庫の中で助けを待つ」

 ああ、こいつも終わりだな、と俺は思った。ホラーやミステリー作品では、主人公以外が単独行動をとろうとすると確実に死ぬ。

「落ち着け、マット」

 彼は俺の忠告を聴かず、ひとりで倉庫に駆け込もうとしたため、案の定ゾンビどもに食い殺されてしまった。

「ここを出よう」ボブの遺した弾薬と爆弾を再び彼のバックパックに詰め込み、俺はカナコの手を握った。「日没までにはまだ時間がある。今のうちにここを出て、別の避難所を探したほうがいい」

「別の避難所?」カナコはしゃがみ込み、床を見つめてつぶやいた。「そんなの一体どこにあるのかしら?」

 ショッピングモールを脱出したカナコ、ビル、それに俺は、ゾンビどもがさまよい歩く街を必死で逃げまわった。途中で何人かの生き残りの人々に出会ったが、彼らはみなすぐゾンビどもにやられてしまったので、詳細は省こう。まあ、ヒーローの周りの脇役が死にまくるのはゾンビもののお約束だからしかたない。

 生きとし生けるものたちが消え、荒涼として静まり返った市街地の中、俺たちは途方に暮れて道端にしゃがみ込んだ。

「一体俺たちどうすりゃいいんだ?」ビルが疲労の浮かんだ顔でため息をついた。「やつら延々とわき出てきやがる」

「心配ないわ、ビル」カナコは彼女のハンカチでビルの額の汗をぬぐった。「私たち、必ず生き残るのよ」

「誰かあ!」突然、路地裏の方からひとりの子どもの大きな悲鳴が聞こえてきた。「誰か助けてぇぇぇ!」

 その声を聞くやいなや、ビルは銃を握ってそちらへ駆けだした。もちろん俺もすぐ彼の後に続いた。俺たちが路地裏に着くと、そこには何体ものゾンビどもがうろついていて、その中の1体がひとりの少女に襲いかかろうとしていた。

「伏せろ!」ビルはそう叫んで、その少女に覆いかぶさろうとしていたゾンビにマグナムを撃ち込んだ。彼の放った弾丸に眉間を貫かれたゾンビは、脳漿(のうしょう)を撒き散らしながら2、3ヤードほど後方へ吹っ飛び、近くにいた仲間もろとも地面に倒れた。

「大丈夫、お嬢ちゃん?」ビルは少女に駆け寄り、しゃがみ込んだ。「もう心配ないよ」

「ありがとう」 と彼女はこたえた。

「きゃあぁぁ!」ビルと俺が少女を連れて戻ろうとした時、再び大きな悲鳴が聞こえてきた。この声はカナコに違いない。

 俺たちが必死に走ると、1体のゾンビが彼女に襲いかかろうとしているところだった。

「カナコォォォ!」ビルは叫びつつ、今度も見事にゾンビの眉間を撃ち抜いた。

 これではきりがない。俺はボブのバックパックから3つのハンドグレネードを取り出し、この一帯のゾンビどもを一掃することを決意した。幸運なことに、やつらは『28日後』に出てくるような動きのすばやいゾンビではない。これらの爆弾があれば、やつらを倒すことはそれほど難しくないだろう。

「カナコ!」ビルは彼女に駆け寄った。「よかった。きみがいなかったら俺は生きていけない」

「ありがとう、ビル」彼女は彼に抱きついた。「あなたは私の命の恩人よ」

 すると、信じられないことに彼女は彼の首に腕をまわし、夕日をバックに彼と激しいキスを始めた。

「おい、冗談はよしてくれ、カナコ……」俺はしばらく唖然としてふたりを眺めていた。

 不意に誰かに脚をつかまれ、俺は地面に引き倒された。振り返ると、10体ほどのゾンビどもが俺を獲物にしようと狙っていた。

「きゃあ、スティィィヴ!」カナコは俺の異変に気づき、ビルとのラヴシーンを中断して悲鳴を上げた。ビルは銃を構えた状態で立ち尽くしている。

 今頃になってようやく俺はある重要な事実を知った。俺も単なる脇役のひとりにすぎないということを。

「カナコ」覆いかぶさってきたゾンビの群れの中で、俺は手榴弾のピンを抜いた。「きみは死なない。彼がいる限り」

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