お金と若さの話

金が欲しい、そんなことばかり毎日考えている。


私は倹約家でドケチの癖に金銭感覚が割とバグっている(矯正中)ため、お金の入出金に関わる行為が基本的にめちゃくちゃ苦手だ。公共料金は中々払えずに溜め込んでしまうしたまにストレスから馬鹿みたいな買い物をして月末に苦しむ羽目になったりする。勿論貯金なんてほぼ無い。そんな感じで日々ギリギリで生きているので、口座にお金が入る嬉しさよりも出費の罪悪感が勝ってしまうし、つくづく気持ちいいお金の使い方が下手な性格だと思う。

人生20年間を振り返って思うのは、私は「豊かさ」に関しては両親からほんとうに潤沢に与えてもらっていたのだな、ということだ。

堅実な職業の代名詞でもある公務員の父親と、パートで働きつつ存分に家事子育てに時間を掛けられる環境にある母親、そして年の離れた兄と姉。その末っ子に生まれた私は、でろっでろに甘やかされてもうどうしようもないくらい我儘で世渡り上手のしたたかな女に育ってしまった。小さな頃から年に数回は家族旅行に行っていたし、大きなショッピングモールに行くことがあれば好きなだけ服を買って貰えた。お小遣いだってきっと周りの子よりも多く貰っていたと思う。ご褒美として努力したら努力した分だけ、ちゃんと"豊かさ"を与えてくれる家庭で育ったので、親元を離れるまでお金に関して困ることも、そもそも深く考えることもなかったのだ。

そんなわたしが最近"お金を稼ぐ"ことに執着し始めたのは本当に最近のことで、これは親に言えないことでもあるのでひっそりとnoteに吐き出しているのだが。

わたしがお金を稼ぐことに躍起になり始めたのは、この先一生"貧しい将来性のない自分"と向き合って生きていくことに絶望したからだ。

貧しいということは人生の選択肢がない、ということなのだと思う。挑戦したいことがあっても、貯金が無いから"自分に投資する"ための初期費用が出せない。お金があれば出来たかもしれないことを、するまでに至らない。そういう感情すら湧かない。あの時見送った"いつか"はきっと一生来ないのだ、ということを知ってしまう。

私に残されているのは毎日をどうにか野垂れ死なないように生きていくための端金だけだった。

だから、働いている。最近はシフトを入れ過ぎて周りから心配されるほど。誰かから必要とされたい。自分は給料に見合うだけの価値がある人間だと思いたい。自分の存在と労働が"お金"という確からしい価値に還元されることが純粋に嬉しい。自分を好きになりたいから、働くのだ。

そんな感じで、私は現在アルバイトを掛け持ちでやっているため完全に限界アルバイターと化している。それに加えて、人に言えない収入がすこし。正直小遣い稼ぎにもならないけど、それでも自分自身の価値が分かり易く金銭になって返ってくる、というだけで安心する。

若さはお金になる。そして、悲しいことに若さは有限であるので私は私の若さが擦り切れてもう使い物にならなくなるまで、こいつを大切に大切にしてあげた上で"お金"という確かな価値に変えていこうと決めた。

一人暮らしを始めて1年半になるが、未だにずっと「お金を思いのままに使う快感」と「お金が手元から離れる罪悪感」が身体にまとわりついて離れない。そんな感覚が抜けないまま、私は大人になろうとしている。

10年後の私がこのnoteを読んだら「思い詰めすぎでしょ笑」と笑ってくれるだろうか。それとも、無茶な稼ぎ方をして自分をすり減らしていた過去の自分を恨むのだろうか。

どちらにしても、将来の私が自分や大切な人のために自由にお金を使えるようになって、ちゃんと"豊かさ"を感じるような生活をしてくれていたら、今の私はすっごく嬉しい。


それまでもやし食って生きるわ。


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