主人公達が最初に到着した松尾山ってどんな所?
はい!こんにちは浮島龍美です!「VANISH!」にて主人公兼村未来や知花蓮がタイムスリップで到着した最初の場所であり、潜伏地にもなった松尾山(まちゅーま)と言う場所がどんな場所だったか紹介したいと思います。
ちないに上の画像は那覇市歴史博物館提供の松尾山から眺める泊ですね。
松尾山(まちゅーやま)とは
松尾山(まちゅーやま)とは「まつおやま」と書いて「まちゅーやま」と読みます。地域の人達から「マーチュー」と呼ばれていていました。那覇市歴史博物館のホームページにはこんな事が書かれています。
また、1603年に来琉した浄土真宗の袋中上人(たいちゅうじょうにん)がいた
桂林寺(けいりんじ)跡とされる場所もこの辺りだそうです。
なんとその跡地には袋中上人行化碑が1924年に建立されています。
こちちらは1877年に伊地知貞馨(いちじさだたか)という幕末の薩摩藩士によって書かれた「沖縄志」の中に書かれた図です。こちらは琉球併合前後の那覇の街並みが描かれており、松尾山がこんもりと見えます。
この頃はまだ琉球国時代の面影がありますが、1899年、ハジチ禁止令が出た辺りから大きく変わります。
なんと土地整理事業によって県有地となり、そこから松尾山の開発が始まったようです。小説「VANISH!」の作中の時代(1916年)では那覇尋常高等小学校、那覇地方裁判所、松山尋常小学校、沖縄県立沖縄病院、裁判所官舎、連隊区司令部及び官舎がありました。金城拓也が潜伏地にするかどうかかなり迷っていましたね。
ちなみに知事官舎はその年の11月に設立されるみたいなので、作中でも言及されると思います。
一方、東側はどうなったかというと・・・
東側は西側と違い、琉球国時代の面影があったんですね・・・その松尾山も沖縄戦を境に劇的に変化していきます。
劇的に変わった?戦後の松尾山
10・10空襲や沖縄戦により、殆どの公共施設が壊滅した松尾山。戦後、どうなったかというと・・・
なんと戦後は那覇商業(戦前は今の那覇中の場所にありました)が設立し、アメリカのマニング社向けの外人住宅が設立されたそうです。
しかし、1977年以降は現在の形になっているそう。実は私も高校時代に部活の試合で那覇商業に行った事がありますが、そこが松尾山の周辺だったとは・・・ちなみに小学校~中学校まで那覇にいた私の母はこんもりとした丘の松尾山を微かに覚えているそう。
出典
伊地知貞馨「沖縄志」1877年
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