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クック諸島滞在記 No.8

「名もなきフィジー人」

 南太平洋に浮かぶ小さな島国で一年の半分近くを過ごしていると話すと、大抵の人は羨望の言葉や表情を浮かべる。でも大半の人たちの頭の中にはクック諸島の具体的な情報はほとんどなく、ただ単に南の島=楽園のイメージを思い描いているに過ぎないのだろうなぁと感じる事が多い。それもそのはずで、クック諸島という場所がこの世界に存在しているかどうかも、大半の人は知らず、「それは国?どこにあるの?」と答える人が多い。 


 僕はそんなとき、彼らの思うままに任せている。その夢を砕くようなこともしないし、彼らの南の島に対する根拠のない良いイメージを無意味に増幅させることもしない。実際、そこに行って自分の目で見てみないと、何もわからないといつも思っているからである。

 それはかつて3年近く世界各地を旅していたときにも感じたことである。3年近く旅して日本に帰ってきたとき、久しぶりに会う知人や友人たちに旅の話をしたとき、ほとんどの人が想像すらできず、僕の3年間の旅の話は5分程で終わり、大体、みなそれぞれの日本での生活がどんなものだったかを延々話し続けた。旅を終えた僕は、もっぱら聞き役となり、やがて旅について多くを語らなくなっていった。

 結局、そこにどんな風景が広がり、どんな人々が住み、そしてそれらがどういう風に自分の心に作用してくるかなんて、実際にそこに立って自分の目で見て、肌で感じないと、存在しないのと同じなのかもしれない。

それでもここに「クック諸島滞在記」と題していろいろ書いているのは、できれば少しでもこういう島が世界にはあるということを多くの人に知ってほしいということもあるし、また自身が島で体験したことを文字として残して確かなものとするためという意味合いがあるからである。

 もともと、クック諸島を始め、ポリネシアの人々は文字を持たない。彼らが生きてきた歴史は歌となり踊りとなり継承されてきた。しかし、それは島の人々にとって大きな転換点となる物事が中心で、島での普段の日々は語り継がれることはそれほど多くはない。


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 前置きが少し長くなってしまったけど、今日、僕が書こうと思っているのは、先週、島で起こったとある事故のことである。

 ラロトンガ島は人口8000人。信号などはなく、基本的には島をぐるっと一周廻る道があるのみ。交通量は最近増えてきたといえども、それでも日本に比べれば格段にのんびりしている。そんな島でも交通事故は時々起こる。


 その事故は、14歳の少年が深夜、前を走っていた車を追い抜こうとして車線をはみ出したところ、前から来たバイクと正面からぶつかり死亡したというものだった。しかも、少年は飲酒しており、さらにあとから聞いた話だとマリファナも吸っていたという。さらには二人乗りをしており、後ろに乗っていた同乗者は意識不明となった。

 少年は島では有力なファミリーの一員であり、地域では有名な存在だったようである。そのことも手伝って、この事故のことは各所で話題となった。新聞にも一面で掲載され、多くの議論を生んだ。首相が少年の葬儀に参列するまでにも至るほど、島では大きな出来事であった。

 しかし、それらのニュースを見聞きしているうちに、違和感が大きくなっていった。それは少年のバイクに正面から追突されて不運にも亡くなったフィジー人のことに触れられていなかったからである。

 そのフィジー人については新聞にも名前は出てこず、少年のことばかりが取り上げられていた。それもなぜ14歳が飲酒して、しかもマリファナを吸って、さらには無免許で運転していたのか、ということは触れられず、ただなぜヘルメットをしていなかったんだ、ということに論点が置かれ、みながヘルメット着用の是非について語っていた。
 そこには、巻き添えになってしまったフィジー人のことは、ひと欠片も触れられてはいなかった。


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 そうやって数日が過ぎたある時、僕はそのとき島にはいなかったが、我が家の庭にある小屋にトラックがやってきた。その小屋にはフィジー人男性がひとりで住んでいた。トラックはその小屋の荷物をまとめて載せ、どこかへ去っていったという。そして、残された言葉がひとつ。その小屋に住んでいたフィジー人こそが、先日のバイク事故で亡くなった人物だったということだった。

 そのフィジー人とは深く話すこともなかったが、それでも同じ敷地に住むものとして毎朝挨拶はしていたし、その人の良さそうな表情はよく覚えている。

 もともとそれほど荷物はないのだろう。きっとトラックが来て片付けるのも、それほど時間もかからなかったのだろうと思う。そして、はやくもその小屋には新たな人が住むことになるということだった。

 庭のヤシの木は変わらずカサカサと風に揺れ、浜辺では波は打ち寄せては引いていく。そして、まるでそんな人間など始めから存在しなかったかのように、フィジー人の痕跡が消えていく。

 思えば、僕はそのフィジー人の名前さえも知らないのだった。

 誰でもいいから、あのフィジー人のことをすこしでもいいので記してあげるべきではないだろうかと思った。ヤシの木でさえ、時折、その重い実を地面に落として、この世界に存在の証を残そうとするのである。せめて、ささやかな文章でもいいから、名もなきフィジー人のことが記されてもいいのではないだろうか。


 そういう経緯を経て、僕はいま日本でこの文章を書いている。いまこの瞬間、僕がいるカフェには愛を語らう若きカップルがおり、買い物帰りに世間話に興じるたちがおり、スマホを熱心に覗き込む人々がいる。おそらく、クック諸島にかつて住んでいた出稼ぎのフィジー人の死を悼んでいるのは、他にはいないだろう。僕がこのような文章を記しているということも、だれも知らないだろう。

 誰が読んでいるかもわからず、どれほどの人が目にしているかはわからないが、それでも、この出来事が文字として記されることに意味があると思いたい。

「魂は大地の一部となり、木となり、、花となり、その花の蜜を吸った小鳥が海の向こうへと旅立つ。僕らはクジラの歌声を聴いたり、燃える森の静けさを眺めたりしながら、この星が紡ぐ彼らの歌声に耳を傾けるのです」

  自身がかつて書いたことのある文章の一節を思い出しながら、この文章を書いた。


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