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クック諸島滞在記 No.7

「8ドルのココナッツ」

 先日、8ドルのココナッツのことが島で噂になっていた。

クック諸島はニュージーランドからやってくるツーリストたちのホリデーデスティネーションで、他の国ほどではないが、それでもいわゆる高級リゾートがいくつかある。
   大抵はムリビーチエリアに集まっているのだが、そのうちのひとつのリゾートで、ココナッツが8ドルで売られていたのである。それを見かけた地元の人が撮影した写真が、「これ、どう思う?」というコメントともにSNSに投稿されていた。

   投稿のコメント欄を見る限り、値段をつけるのは売る人の自由であるという意見もあるものの、否定的なものが多くあった。なぜ否定的かと言うと、島の人達にとってココナッツとはそこら中に転がっているものだからである。


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  ラロトンガの我家の庭にも、ココナッツの木が10本ほど育っており、どの木もいつも重そうにたわわに実った果実がぶら下がっている。

僕は毎朝起きると、テラスでパソコンを開いて仕事を始める前に、夜の間に庭に落ちたココナッツを拾うのが習慣である。重い実を持ち上げ、運んでいると段々と血液が体内を駆け巡り、目が覚めていく感じがするので、朝の大事な儀式となっている。

毎朝、大体4〜5個ぐらいは落ちている。風が強い日の翌日などは、10個ぐらい落ちているときもある。そのうちのいくつかは果汁を飲んだり、熟れているものはハスク(外皮をむくこと)して果実を削ったあとに絞ってココナッツミルクにして料理などに使ったりしているが、それも限界があり、大体が週に数個もあれば十分である。

   ココナッツの果汁をカップに移し替えるとよく分かるのだが、本当にたくさんの水分が含まれている。一個の実で大体、1.5リットルのペットボトルがいっぱいになるぐらいである。なので、当然のように使い切れないココナッツが山のようになっていく。それらは大体二週間に一度ぐらいの頻度で他の枯れ葉などと一緒に燃やしてしまう。
(余談だが、ココナッツを効率よく燃やすためには乾燥させてからナタで半分ほどに割って火に投げ込むのがいいのだが、この作業が薪割りみたいで、僕のストレスの発散方法になっている。ナタで実を叩き割るとき、体全身を使うのでいい運動になる。これは朝ではなく、夕方の儀式として行っている)

10本ほどのココナッツの木があるだけでそれなのである。この島には数万本ものヤシの木があり、それこそヤシの実は掃いて捨てるほどある(実際に捨てているし、豚や鶏の餌となっている)。

  そのココナッツが、8ドルで売られていたというのが、島の人にとっては驚きだったのだと思う。もちろん8ドルで買うローカルはおらず、その高級リゾートに泊まっているお客さんが買うものである。


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そこら中に転がっているココナッツが8ドルの価値もあるものなのか。そしてそれを何も知らない観光客に売っているなんてひどいじゃないか。というのが否定的な意見の中心であった。

  家にヤシの木がなかったり、実を取ったりするのが面倒な人もいるので、商店でココナッツミルクが瓶に入れられて売られていたり、道端でヌ(飲むためのココナッツ)が売られていたりする。値段はひとつ3ドルほどが相場であるが、それでも買う人はそれほど多くはない。


   物の価値は需要と供給の上で成り立つ。そういう意味で言えば、僕が毎日拾って燃やしているココナッツが8ドルするというのは、バランスを無視していると言える。でもそれでも買う人がいれば、それはそれでいいのでは、というコメントもあった。


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   クック諸島の人口は18000人ほど。ラロトンガ島には8500人ほどが住んでいる。資本主義経済の枠組みから見れば、人口が少ないこの国はまったく魅力的な市場ではない。同時に、島の昔ながらの生活をするならば、タロイモ畑があり、ヤシの木があり、ラグーンがあればお金はそれほど必要ではない。それでも、海外から様々な商品が輸入されスーパーに陳列されるので、それらを買うときにはニュージーランドドルを使う。

   ローカルの経済と、海の向こうから入ってくる経済と、その2つが存在していると言うこともでき、同じトマトを買うのにNZから輸入されているものか、ラロトンガ島で育てられているものかで、二倍以上の値段の差がある時がある。もちろんローカルのほうが安い。気が付かずにうっかりNZからやってきたトマトを買って失敗して後悔したこともある。

   ココナッツの値段というのは、この島において大きな意味があるように思える。
   ココナッツを買って手に入れるのか、それとも自ら採るのか。自分たちの昔ながらの生活スタイルを維持するのか、それとも海の向こうから入ってくる資本主義経済の枠組みのなかで生きるのか。または買う場合、それにいくら払うのか。
   ココナッツにいくら払うのかは、そのまま、島でどうやって生きているのかが反映されると、僕は思っている。


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   ちなみにニュージーランドのスーパーマーケットに行くと、ココナッツが4ドルぐらいで売られている。しかし、それは我々が普段目にしているココナッツの姿をしておらず、機械で底が平らにされ置きやすいようになっており、また外皮は筒状にきれいに削られており、初めそれを見たときココナッツとは気づかなかったほどである。
 それがラップでぐるぐるに巻かれて、きれいに陳列されていた。その姿かたちからは、潮の香りも、カサカサと風に揺れる椰子の葉の音も想像できなかった。

    もしそのココナッツがラロトンガでも売られ始めたとしたら、それは島にとってとても大切な何かを失う瞬間かもしれない。もしそうなったとすれば、もはや僕はこの島で生活する理由はなくなるかもしれない。

 深夜、ココナッツが庭に落ちるドスンという音を聞くとき、僕は安心をして、また眠るのであった。

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