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京阪神ミステリツアー【きょうの本】

 いまをさかのぼること十…いくつ? 年まえ、読書ブログなどをやっておりまして。
最近家にいる時間がふえてきたのでまたはじめてみようかなとちょっと筆をとってみました。
 かつての読書ブログはネットのもくずと消えてしまいましたが、ひさびさにあのきもちをとりもどしてみたいなあとおもった次第。
 おとなになってずいぶん経つというのにどうしてか、最近になって学生のころにやっていたことをいろいろとまたはじめてみたりしています。
 三つ子の魂百までということかしら。
 続くかはわからないけどちょっとしばらくやってみようとおもいます。
 よろしければお付き合いください。

ということでこのあいだ読んだ本2冊のおはなし。


 1冊めは有栖川有栖『狩人の悪夢』。
 火村シリーズ。
 白状いたしますとわたくしいまをさかのぼることむにゃむにゃ年、小学生のみぎりよりずーっと、ずーっと火村先生のご活躍を追いかけているものです。
 追いかけるあまり高校のときには某大ミス研にこっそりお邪魔したり、大学のときには北白川をうろうろしたりしていたくらいには人生の何パーセントかが確実に火村先生へのあこがれによりできている。
一時期は夕陽丘がホームでもあった。そんな日常。
 ていうことなんですけどちょうどこの本が出たとき長期入院したりしていてあれこれしているうちに読むのがいまになってしまったんだよと釈明したくなるくらいには火村ファンなんですよね、わかる? この釈明したくなるきもち……
わたしほんとはあんまり自分でもよくわからない。本は自分のすきなときに読めばいい。でもなぜか火村先生のご活躍をリアルタイムで読んでなかったことに対する釈明が自然に出てきてしまう。
 というアンビバレンツな思いはさておいて。
 火村シリーズ長編です。
 舞台は亀岡。
 亀岡、仕事で一時期よくいってたしすきなところなのでうれしい。
 最近大河で人気かな。
 仕事ちゅうによくいったハンバーガー屋さんまたいきたいな。
 というだいすきな場所にだいすきな先生がいらしたということであらすじからしてたのしみだった今作。
 ミステリなのでトリックとか謎解きとかについて語るのはまあ野暮ということで。
 こどものときから読んでいるこのシリーズ、舞台になるのがわりと近場ということもあり、火村先生もアリスも物語のなかの登場人物というより身近な存在というか自分のとしが実際いくつかということはさておいて「近所のおにいさん」みたいな気がちょっとしなくもないのですが、そう、いまこのとしになって読むと火村先生もアリスもあーいるいるこういう三十代前半D大文系出身男子……てなるとこある……のはまあ置いといて。
 今回もあちこち、うわー知ってる知ってるこういう関西私大文系卒男子的反応―てとこめっちゃあったのも置いといてっていうかそこはけっこうひとさまと共感しあいたいところもあるんですけどうん置いとこう、このとしになって火村先生とアリスにそんなリアリティ感じるとおもってなかった。
としはとるもんですね。
 まあそういう感慨もあるんだよという。
そのうえで今回、アリス一歩踏みこんだな! とか、ラストのえっあのひとが!? とか、そういうところがすごく目について、なんというか、ずっと読んできた目にはびっくりというか新鮮というか、むかし有栖川先生の書評集で、若いころにBJを読んでピノコが邪魔だとおもってたけどおとなになって読み返したらピノコがいないとさびしい、みたいなことを書かれていたなあということをぼんやりおもいだしました。
 われらが親愛なる近所のおにいさんがひとりで苦しまないでいられるならよかったな、とおもいました。


 そしてそれからもう一冊、塩田武史『罪の声』も読みました。
ひょんなことから昭和の未解決事件「ギンガ・萬堂事件」をあらためて追うことになった文化部の記者と、おさないころの自分の声がギン萬事件の指示テープに使われていることを知ったテーラー。
それぞれに事件の謎を追うふたり。二つの道は交錯し、そして──
 という。
 ギンガ萬堂事件ならぬグリコ森永事件って小学校の社会の授業とかで習った記憶しかなくてなんなら下山事件とか帝銀事件とかとひとくくりにされて昭和の事件っておぼえかたしかしてなかったんですが、え、意外と最近だったね……?戦後すぐくらいとおもってたね……? あれ、三億円事件っていつ?
ってくらいの知識だったのでこちらを読んで、舞台が関西だしおもったより自分の生活圏で犯人が警察とやりとりしてるしびっくりしました。
その掲示板のまえ一時期毎日通ってた、えっうそ、ここでカーチェイスしたの? とか新鮮に驚いてしまったし、こんなに身近だったらそれこそ小学校でいろいろ具体的に教わったりしてそうなのになって素朴におもいつついやまあ小学校の授業なんてはるか太古の記憶なのでもしかしたら先生はちゃんと教えてくれていたのかもしれないな。
社会や道徳の授業で記憶に残っているのは「はせがわくんきらいや」だったというあたりでなにと年代がごっちゃになっていたのかはお察しいただけるかと思います。
世代的に事件のことはなにひとつ体感として知らないのですけども、このお話を読んでみると当時はこどものいる家庭はすごいこわかっただろうなあとおもってしまう。
この事件まではお菓子や食品にビニールコーティングがなかったっていうのも、まえにどこかで聞いたような気はしていたものの今回あらためて知りました。
ちかごろの騒ぎでもがらっと世間の風潮が変わってるし、こういう変化も出てくるかな。
お菓子に毒はいってるかもしれないとかこわいな、でもいまみたいにネットで追いまくられるように周知されたり恐怖心あおられたりするわけでもないから市民としては新聞やテレビで観るくらいだしそんなでもないのかな。いや、でもこわいな。
学生運動の興奮がまだ残る時代ということで、そういうところも自分の身に置き換えてみることはできないし、そもそもネットや携帯電話がない感覚も(それはたしかに知っているはずなのに)だんだんよくわからなくなってきているから、ほんとうに「昭和は遠くなりにけり」なんだなという気もちょっとしたり。
事件にかかわるひとたちのつらさ悲しさに、ああそうか、もしかしたらほんとにこうやってくるしんでるひとがいるのかもしれないなとおもったり。

登場人物のひとりの女の子がすごいかわいそうでつらいなとおもいつつ、遠田潤子『アンチェルの蝶』のなかに出てくる女の子もこの子と境遇とか舞台が関西だとかで近いなとおもいだしたり、高村薫のシリーズにもなにか似たものを感じてそれぞれをくらべて作家の持ち味というものについて考えてみたり。
おなじ大阪市近辺を書くのでも雰囲気が違うなあ、男性作家と女性作家ってこともあるかなあとか考えました。
『罪の声』は場面によっては重いところもたくさんあるけどどろどろしたところがないので読みやすい。
最後は泣いてしまいました。
おもしろかったです。

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