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男の子ってなんでできてる?(きょうの本)

 こどものころから、宇宙とか海とかが舞台の作品があまり得意ではありません。
 なんでだろな。
 なんとなく、そこは男の子の住む場所と、だれかははっきりわからないだれかからきめつけられているような気がしているからかもしれません。
 公園のジャングルジムで男の子たちが宝島ごっこをしているからわたしは砂場で遊ぶ、みたいな、どこか旧弊的な感覚が身にしみついているのかもしれない。
 男の子向け、となんとなくジャンル分けされたものに対して距離をとってしまうというか。
いやもしかしたら海に関しては山育ちでふだん海を見たことがないので慣れてないからとか、海も宇宙も酸素がなさそうで息できなそうでこわいとか、そういうこともあるのかもしれませんけども。
たぶんそれらがいろいろいりまじってのことだとおもいます。
そういえば川にもあんまり興味がない。
 海に興味がなさすぎてアーサー・ランサムも読んでない。読みたいのに。
 90年代ゼロ年代の少年漫画やライトノベルにもおなじようなものを感じてしまうところがちょっとあって、それは否定とかではなく苦手意識があるというか、たぶんやっぱりそこそこジェンダーがくっきりしている作品が多いせいだったかもしれないけれど、いれて、と言ってもいまいちいれてもらえないだろうなという感覚になってしまうものが多いというか、なんていうか。
 たぶん少年向けライトノベルや少年漫画を愛好される方からすれば「そんなことないよ」と言われること必至なんだろうなあとはおもいますが、うん、あのね、なんかね。
あとついでに間口を広げてゆくと、これはラノベとか少女漫画というよりもっとおおきな話で、そもそも男性作家の小説によくある、例をあげればベアトリーチェやソーニャ、「永遠に女性的なるもの」の存在。もよくわからない。
マドンナとか……聖女とか……そういうの託されたヒロインほんとよく出てくるじゃん……しかもそのマドンナが生身の部分を出すとコラッって怒られがちじゃん……すぐ批評とか解説とかで男性の論者が「これは人間としての花子ではなく理想化された花子であり」みたいなこと言ってくるじゃん……
とかっていうのもわりと苦手で。
 そういうものをひっくるめていろいろと、「少年向け」のものに対しては、読みはするけど戸板一枚下はなにがひそんでるかわからない怖さというかなんというか、ずっと感じておりました。
 わかりにくいかな。どうかな。むしろさっぱりだれにもわからないかもしれないな。わたしもよくわからない。
 よのなかには女の子向けのお話や遊びはいまいちしっくりこないからずっと男の子向けのものを読んでいたよという女の子とか、女の子向けを読んでいると楽になった、戦わなくてすむから、という男の子とかもたくさんいるので、そういうひとたちと出会うたんびにわたしはわたしのなかの内面化した「女の子」、それはもちろんとってもグラデーションのある響きなのだけれど、について考えたり、もっと反射的に(その反射をつくりあげているのも結局はただの蓄積だとはわかったうえで)「自分とはちがう」とおもってしまったりするのでありました。
 そんなわりあいに根暗なことをぼんやり考えてしまうのも時節柄ということで。
 時節柄、みなさんたいへんでありましょう。
 みんなたいへんだ。ほんとにね。
 と、なんだかなにを書いているのかわからなくなってまいりましたがつまるところ要するに、今回は『三体』2を読みましたよということです。


 宇宙にまったく興味がない人間が読んだ『三体』、おもしろかったです。
 宇宙にまったく興味がない人間なので物理とかなんとかまったくわからないのですが、興味深いなとおもったのは文明の都合上おもってることがなんでもストレートにばれちゃう宇宙人に対して本音と建て前を使い分ける人間の特徴を生かした面壁者という設定。
そしてその面壁者のひとりが思い描く、「この世には存在し得ない完璧な女性」。
彼女を現実に探しあて面壁者のもとに連れてきた人物の言ったことば。
そして物語の結末。
なんとなく、「永遠に女性的なるもの」にトラウマ的に忌避を抱いていた身には拍子抜けしたというか、なーんだ、そんなことでいいんだ、とあっけにとられたというか、でもそれが普通でありまっとうなことであるのかもしれないなあとおもったり。
物語の読みかたとしてはいまいち合ってないのかもしれないけれど。
そういうところがちょっとおもしろかったなあとおもいました。
それからあと、FGOというゲームをはじめてから興味が出て手に取った『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿』。

こどものころのわたしがわりとにがてだった(ごめんなさいね)スニーカー文庫系列なのだろうお話。
読んでみたらすごくおもしろかった。
ラノベとか少年漫画とか少女漫画とかそういうものが規定してくる「少年少女」にいまいちはいることができないとおもいこんでいた(そしていまおもいかえせばじつにとっても枠組みにすっぽりおさまりそうに青あおしかった)こども時代、年長者の背中によじのぼり、頼り、ときにはすがるようにして読みふけった「おとな向け」の新本格推理小説につながるだろう、いつかきっとどこかで親しんだことのある、なつかしい物語だなあとおもいました。
なんとなく苦手とおもいこんで逃げまわっていた世界にちょっと足を踏み入れてみたら、べつになんのことはない、おもしろい世界だったんだな、とこの2作品を読んでおもいました。
なーんだ、平気じゃないか。たのしいじゃないか。
それでもあのとき感じていた「にがて」をなかったことにはまあしないでおいて、それはそれできっとわたしにとってはだいじなことだから、とりあえず、おもしろいものをおもしろいとおもえるようになったことはうれしいなとおもいながら『事件簿』の続きを読もうとおもいます。

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