すぐ死にたくなる話


秋は情緒不安定になりがちだ。
なんとなく憂鬱になりついつい「死にたい…」と呟いてしまう。

なぜ秋はこうも切なく悲しいのか…
夏というギラギラ蒸し蒸し生命力満ち満ち海でウェイ↑ウェイ↑的な季節とのギャップだろうか…


考えてみたらこの「死にたい…」は別に秋に限ったことではなかった。


一月 どうせ今年も変わりない死にたい
二月 もう一ヶ月経っちゃった寒い死にたい
三月 別れの季節だしまだ普通に寒い死にたい
四月 新生活を始める人々が眩しい死にたい
五月 今病まずにいつ病む 五月病だ死にたい
六月 じめじめして気分が落ち込む死にたい
七月 もう一年半分終わり?死にたい
八月 暑いしコロコロ変わる気圧が無理死にたい
九月 まだ暑いけど秋の気分 切ない死にたい
十月 秋本番じゃないかもうダメだ死にたい
十一月 急に冷えてきた冬季鬱が始まる死にたい
十二月 一年早すぎるもうやだ死にたい


我ながら酷すぎる。
気圧にやられただの季節の変わり目だの冬季鬱だの五月病だの、若い頃には全く気にしていなかった気象の変化を言い訳に、暇さえあれば死にたい死にたい騒ぐのだ。
騒ぐと言っても人に話すのではなく(今こうしてネット上に書いてしまったが)、基本的にひたすら頭の中で一人ギャーギャー喋っている。


普段「行き過ぎた他責思考は嫌よね」なんて思ってるくせに、常に天候に責任転嫁しているじゃないか。
すぐ悲観的になるしつい現実の全てから逃避したくなっちゃう…なんて悪癖があるだけだ。
「天候ならしょうがないよネ☆己が力の及ばないところだもんネ☆」と自分に言い訳をしているのだ。
これはかなり愚かだし、時間の無駄だ。


「死にたい」
「軽々しくそんなこと言うもんじゃない!」
「うるせーバカ!一度でも本気で死にたくなったらその後の人生ふとした時に選択肢として死が出てくるもんなの!思うのは自由でしょうがッ」
「不健康にもほどがある!治せバカ!」
と脳内で真剣30代しゃべり場(一人二役)に勤しんだり、フラリと鴨居の強度を確かめる暇があるなら立ち上がったついでに床のゴミでも拾った方がいいし、縄がないぞと夜中にすずらんテープを編む暇があるなら水回りの掃除でもした方が幾分マシだ。

「♪二〜月〜は冬季鬱〜で首が吊れるぞ〜」なんてとんでもなく不謹慎な替え歌を考える暇があるなら、スクワットでもやった方が絶対にいい。もう陽気なんだか陰気なんだか自分でもよくわからない。


「死にたい死にたい言う人に限って死なない」なんて言説がある。私の場合は当てはまっている。どうせ私は結局自分で死ねないのだろう。


しかし死にたい死にたい言いながら本当に逝ってしまう人もいる。身近な人がぽつりと「死にたい」なんてこぼした時は、共倒れにならない程度に気にかけた方が良いかもしれない。

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