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一人娘はかく語りき


「一人っ子で可哀想ね」

とんでもなく失礼な言葉だと思うのだが、私の子供時代はこれを普通に言ってくる大人が結構な数存在した。子供の私が数えきれないほど言われていたので、親は私以上に言われていたのかもしれない。
成長するにつれ赤の他人からは言われなくなったが、たまに会う親戚には大人になってからも「町子ちゃんは一人っ子だもんなあ、気の毒になあ」なんて言われる。


幼い頃はそんなことを言われるたび「なんで一人っ子だと可哀想なの?」とキョトンとしていた。兄弟がほしいと思ったことなどないからだ。
友人達には皆兄弟姉妹がいたが、私にとってはいないことが当たり前なので特に羨んだこともなかった。


「一人っ子で可哀想ね」なんて言われたところで、自分の家に自分以外の子供が住んでいて自分一人で親を独占できない状況なんて想像もつかなかったし、いきなり家族が増えるのも別に嬉しくない。
いたらいたで私はその状態を受け入れていたと思うが、いないからと言って「ほしい!」と駄々をこねる気も起こらない。いないもんはいない。それだけだ。
物心ついた時から両親と私の三人で「家族」として完成しており、兄弟姉妹のいない状態が私の普通なのだ。それを「可哀想」とは何事か。


大体「可哀想ね」と言われたところで私はどうすれば良かったのだろうか。私の努力でなんとかなる話ではないのだ。親に弟や妹をねだれとでも言うのか。
私が小学校に上がる時、両親はすでに五十を超えていた。別に高齢の親に気を遣っていたわけでもない。出産が現実的ではない年齢だからとか閉経していて無理だからとか、そんな知識は当時の私にはなかったが、それでもほしいと思わなかったのだ。

もしも私が「可哀想ね」と言われたことが原因で、兄弟に憧れを抱いたとしてもどうにもならないではないか。
誰かの差し金で絶対に手に入らないものを羨むようになり、もう子供を作れない年齢の親に向かって「なんで私には兄弟がいないの?〇〇ちゃんにも××くんにもみんないるんだよ」「ねえねえ弟か妹作ってよ〜ほしいよ〜」なんて残酷な言葉をぶつけたとして、誰が幸せになれるのだろう。
私の親が高齢ではなかったとしても、他人の家の家族計画に口を挟む権利なんて誰にもないのだ。
いたら楽しいのかもしれないがいなきゃいないで別に構わない、当の一人っ子である私がそう思っているのだから正直放っておいてほしかった。



兄弟姉妹が必要だと思ったことはないし、いたところで良好な関係を築けたかどうかは博打みたいなものだ。
もしいたとしても、親戚付き合いやら墓のあれこれやら全ての面倒事を引き受けてくれる又はそれなりに協力し合えるマトモな人間とは限らない。なにせ私と遺伝子が似たり寄ったりなのだ。いない方がマシな人間というパターンも十分有り得る。

遺産相続で揉める相手がいないのは正直ありがたいし、こりゃ私にとって一人っ子のデメリットとは「他人に可哀想がられてイラッとする」しかないのでは?
別に一人っ子だからといって可哀想ではない。兄弟がいる人と比べて不幸でもない。




私が三十路に突入する頃、詳細は省くが母と母の弟や妹(私の叔父叔母)で集まる機会が何度かあり、私もそこに同席していた。
年老いた兄弟姉妹が集まると、自然に子供の頃の思い出話が始まるようだ。とうの昔に亡くなった彼らの母親(私の祖母)の話が多い。

「お母さんにあのときこんなことを言われた」
「私たちのお母さんはこれこれこんな人だった」
「お母さんは…」

古希を超えた爺さん婆さんが、お母さんは…お母さんが…としみじみ話している。お父さん(私の祖父)の話はあんまり出てこないのね…なんて思ったが、私には口を挟む余地はないので端っこでポケーとしながら老人達のお母さん談義を聞いていた。


なぜ一人っ子は「可哀想」と言われてしまうのか、少しわかったような気がした。

この先母が亡くなった時、母の思い出を同じ目線で語れる人が私にはいない。
「〇子さんはこんな人だったわね」と母の知人から聞くことがあるかもしれない。しかし、育てられた子供の目線で母親を共に懐かしむことのできる人、他人の〇子さんではなく「母親としての〇子」を共有していた人は、この世のどこにもいないのだ。
自分の中だけで懐かしめば済む話なのかもしれない。しかしそれは兄弟がいてもできる。
この先誰かと「母親」の思い出を語らいたくなったとしても、私にはそれが絶対にできない。最初から選択肢として存在しないのだ。

共通の母親を持つ老人が同じ子供の立場から自分たちの母親の話をしているさまを見ながら、なるほどこれは確かに悪くないと思った。
ああもしかしたら一人っ子の不幸ってこれができないことかもしれないな、確かに兄弟がいる人から見たら可哀想なことだろうなと、そう思った。



親の思い出を共有できる人間がいないことに関しては確かに兄弟姉妹のいる人から見たら不幸かもしれない。しかし今さら「町子…僕が種違いのお兄ちゃんだよ…」みたいな人物が出てきたところで全然嬉しくない。
正直非常に困るので、もしいたとしても「我が妹よ…お小遣いを存分に与えよう…何億必要か言ってごらん」なんて大富豪でもない限りは絶対私の前に出てこないでほしい。




今まで一人っ子として生きてきて特に不満はない。不幸だとも思わない。いつか必ず来る親との別れのその先なんて、憂いたところで意味はない。
兄弟姉妹のいる人から見て不幸だとしても、私にとっての親は今も昔も「私だけの親」なので、そもそも最初から思い出を共有する対象ではない。
同じ立場の人間と対象について懐かしむのも悪くないとは思うが、そもそも集団で懐かしむ「私たちの親」なんてものを、私は最初から持っていない。
その代わりに親をずっと独占してきた。親の愛情や子供にかける時間を独占してきた分、懐かしむ時は一人で目一杯懐かしむの以外方法はないし、共に懐かしむ兄弟がいた場合はもれなく「私だけの親」ではなくなってしまう。それは親を独占してきた私にとって少なからず不幸だと言える。一人っ子としては、そうとしか思えないのだ。
自分一人愛情や時間を独占した上で「私たちの親を同じ立場で共に懐かしみましょうね」なんて都合のいいことは不可能だ。
私は一人っ子として育っているので「私だけの親」しか知らないし、今さら誰かと共有したかったとも思わない。


結局一人っ子の不幸というものは兄弟姉妹のいる人達から見た不幸でしかないのだ。
逆に私が「ご兄弟がいらっしゃるの?親を独占できなかった人間なんてとんでもなく不幸だわ!おお可哀想に」なんて言ったとしよう。兄弟がいる人からしたら「こっちはそれが当たり前の環境で育ってるのに何言ってんだこいつ」でしかないだろう。

一人っ子の不幸についてなんとなく見当がついたところで「やっぱり兄弟ほしかったよーッ」「なんで私は一人っ子なのーッ」と騒ごうとも思わない。
まあ別にいても良かったかもしれないな、いたら親の思い出話をする相手ができたってことかな、いたらいたで親の愛情と時間を独占できないことを不幸だと一人っ子に言われたかもしれないが兄弟のいる私はそれを不幸とは感じないだろうな、そうすると今とあんまり変わらんのかな、だったら今のままでいいですわハハハくらいのものだ。




そして繰り返しになるが、これだけははっきり言わせてもらう。
「一人っ子で可哀想」は、巨大なお世話でしかない。
この言葉は何も救わないどころか「可哀想な一人っ子」を新たに作り出すだけだ。
私はそういうタイプではなかったが、周囲からしつこく可哀想がられることで「私って可哀想なんだ…エーン私兄弟いなくて可哀想」と手に入らないものを渇望し続け、本当に「可哀想な一人っ子」になってしまった人も存在するだろう。
いちいち「一人っ子で可哀想」「やっぱり兄弟がいた方が」なんて口にする人は、家族の形にわざわざ不満や不安を抱かせて何がしたいのだろう。意地悪がしたいとしか考えられない。

いつか向き合わなければならない悲しみや寂しさや面倒事は、一人っ子らしく一人で立ち向かい、一人で消化するしかない。そうするしか手立てはないし、おそらく多くの一人っ子は誰に言われずともそんなこと成長の過程で理解して受け入れるだろう。
可哀想だ不幸だと赤の他人に野次を飛ばされるいわれはない。兄弟のいる人から見て不幸なことでも、一人っ子からしたら不幸でもなんでもなかったりするのだ。
自分の物差しで勝手に不幸を作り出し、その不幸の原因を取り除けるはずもなく、新たな不幸の種を撒く…本当に意味がわからない。
私には兄弟のいる人がどう幸福かわからないし、兄弟のいる人からしたら一人っ子がどう幸福かもわからないだろう。もちろん苦労もあるだろうが、それをお互い真に理解することはできない。自分と異なる立場に立ったつもりでも、結局自分の立場から見た幸不幸しかわからないのだ。



「一人っ子で可哀想」
これを一人っ子やその親の前で口にする人には、さっさと絶滅していただきたい。


ついでに「兄弟を作ってあげられなくて申し訳ない」なんて、そんなことを考える親御さんもいるだろう。
一人っ子本人が気にしていない限り、親も気にしないでくれと言いたい。親が自分のことで申し訳ない気持ちになるだなんて、子供からしたらやるせない。とても歯がゆく悲しいことだ。
というか「申し訳ない…」などと言われたところで、子供にできることなどない。
一人っ子が当たり前に受け入れている「普通」の環境を、たとえ親でも勝手に可哀想だと決めつけないでほしい。
自分の子供をわざわざ「可哀想な一人っ子」へと誘導しても、子供にとってプラスにはたらくことなど何一つないのだ。
兄弟を作ってあげられなかったなんて後悔は、子供に見せるものではない。それは親の後悔で子供には関係がない。一人っ子でいることそれ自体は、一人っ子からしたら全く不幸なことではないのだから。


何が言いたいのかよくわからなくなってきた。
まあ私は自分が一人っ子で良かったと、今も昔もずっとそう思っているし、たぶんこれから先もそう思って生きていくのだろう。それだけの話だ。

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