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人には言えないグッとくるもの



最近まで気付かなかったが、私はどうやら貼り紙が好きらしい。ここで言う貼り紙とは心を揺さぶるキャッチコピーの書かれたような、無表情の若い女性が媚びない服装をして凛と立っているような、何かの購買意欲をそそるような、蜷川実花に影響を受けてるのかやたらとパキパキした色合いのような、その手の小洒落たポスターのことではない。


《駐車禁止》
《ポイ捨て厳禁》
《猫に餌をあげないで》

町中に貼られているこの手の注意書きのことだ。
もちろんこれら全てに対して「好き!最高!興奮する!」というわけではない。そのような性癖はおそらく持っていない。

具体的にどのような注意書きに興奮を覚えるのか。
感情というか、怨念の込められていそうな注意書きがたまにあるのだ。
それらに対して「さ、最高…!あ〜これよこれェ…たまんない…グッとくる…」と勝手に興奮してしまう。
そんな貼り紙はなかなかレア度が高い。どこにでもあるわけではないからこそ、より一層魅力的に見えるのだ。


実際に過去見かけて「グッときた」貼り紙(注意書き)を三つほど挙げてみる。



・バス停の前の家に貼られた《ポイ捨て禁止》

ポイ捨て禁止と大きく印字された注意書きの下部分に「何度もペットボトルやごみを捨てていく『男性』がいます。防犯カメラ確認済。子供が真似をします。止めなさい!」と、太めのマジックによる手書き文字が添えられていた。

これはたまらない。印字されている《ポイ捨て禁止!》の部分のみしっかり中央揃えの太字ゴシック体で、その下の手書き部分はマジックで殴り書きだ。
おそらく「あの人いつも…」と当たりをつけてはいたものの、初手から特定の個人に宛てた文言を貼り出すのはさすがに憚られたのではないか。

「ここはポイ捨て禁止ですからね。別に特定の誰かへのイヤミとかじゃないですよ。まあバス待ってる皆さん全員に向けてってことでね。よろしくね」と、角が立たないように配慮して《ポイ捨て禁止!》を貼ったに違いない。

残念なことにポイ捨て常習犯はそんなものを見て心を痛めたりはしない。注意書きを読んだだけで「そっかポイ捨てはいけないのね」と改心できるような人間は元々道端に物をポイしないだろう。注意されたからやめなければ…なんて思える最低限の倫理観すら持ち合わせていないからこそ恥知らずな行いが可能なのだ。

不特定多数に向けた言葉では効果がなかったため、貼り紙の主も痺れを切らして「おいお前!お前だよ!こっちは誰がポイ捨てしてるのか全部知ってて言ってんだからな!マジでいい加減にしろよ!」といった旨の文言をオブラートに包んで書き足したのだろう。そのうち防犯カメラの映像を印刷したものが貼られるかもしれない。



・店の窓に複数枚貼られた《道を聞くな》

「道を聞かれると業務を中断せざるを得ない、こちらは道案内を生業にしているわけではない、そもそも道を聞きに来る人はお客様じゃない、非常に迷惑している、絶対に来るな、来ても対応しないと決めた、仕事中の人間の貴重な時間を奪うなんて許されないことだろう」といった内容の注意書きが6枚か7枚かそれ以上、ガラス張りの店の内側から外に向けてビッシリと貼られていた。

店の名前と電話番号、何かのキャンペーンを開催しているらしくその広告、近所の高校の文化祭ポスター、道案内を拒む注意書き。全面ガラス張りにも関わらず店内がほぼ見えない。

業種の詳細は伏せるが、客商売とは思えないほどキツい言葉が丁寧な手書き文字で綴られている。達筆なのが余計に恐ろしい。複数枚貼られている注意書きは全て文章が異なる。コピーではない。様々な言い回しで《道を聞くな》と書かれているのだ。これは相当怨念が込められている。

何が怖いって、そこは繁華街でも観光地でもなんでもないのだ。周辺には他の店もある。なんなら真向かいはコンビニだし、50mほど歩けば交番もある。貼り紙がされていなかったとしても、わざわざこの店の扉を開けて道を尋ねようとする人はそう多くないはずだ。
もしかすると私が知らないだけで、ここはとんでもない方向音痴かつ向かいのコンビニを視認できないほど近眼の人間が数多く訪れる町なのかもしれない。




・植物とブロック塀に貼られたとんでもない一言

民家の周りを取り囲むブロック塀から、綺麗なあじさいが道路に向かって顔をのぞかせている。あらステキだこと…と目をやると、あじさいの葉に文庫本サイズの紙がペタリと貼られていた。

《庭に毒を投げないで》

もう二度見どころじゃなかった。一体全体どういうことなんだ。何の話なんだ。立ち止まってじっくり眺めてしまった。青々と生い茂ったあじさいの葉に隠れているが、よく見るとブロック塀にも小さな紙が貼られていた。

野次馬根性丸出しで数枚の貼り紙を確認したところ、どうやら家主を狙う「不審者」が庭に毒を撒いており、そのせいであじさいの色がおかしくなってしまったらしい。しつこく投げ込まれる毒があじさいだけでなく家主の体に悪影響を及ぼしているらしい。直ちにやめてほしいらしい。その毒(毒と書かれていたり有害物質と書かれていたりバラバラ)が気化すると家の空気まで濁るので夜中にこっそり来られてもすぐに「わかる」らしい。これ以上嫌がらせを続けるのなら警察に行くらしい。あ〜…それは…大変ですね…

本当のところはどうなのかわからないが、単なる通行人が見た限りその貼り紙は迷惑行為への注意喚起ではなく、凡人には感じ取ることのできない何かを受信してらっしゃる方の奇行にしか見えなかった。
あじさいを撮影するふりをして貼り紙の写真を撮りたかったが、シャッター音が鳴った瞬間、頭部にアルミホイルを巻いた家主が飛び出してくる可能性がある。冗談抜きでその可能性はある。追いかけられでもしたらたまったものではない。後ろ髪を引かれる思いでその場から立ち去った。




こんな注意書きたちにグッとくるのだ。
普段道を歩いているだけでは、他人の強い感情に触れる機会などほぼない。他人の家の塀なんてただの背景だ。こちらが貼り紙に気付かず通り過ぎてしまえば、向こうから何か訴えかけてくることもない。

もちろん「道端で電話しながらかなりキレてる中年男性」や「何があったのか知らんけどめちゃくちゃ泣きながら歩いている女性」「酔っ払い同士の喧嘩」といった感情むき出しの方々を見かけることはたまにある。
これらも見かけた際は相当ギョッとしてしまうが、前述した貼り紙の異質さとは違うのだ。こちらが気付くまで無感情な背景に過ぎない貼り紙とは性質が異なる。

かなりキレてる中年男性の場合は「怒りの感情」と「怒っている中年男性」がセットで存在するが、貼り紙の場合は「感情」だけがそこに存在している。
誰かが抱いた特定個人に向けての怒りや拒絶等の強い感情が、書いた本人の姿や意識はそこになくとも貼られた場所で「〇〇するな」と主張し続けている。駅構内に貼られた《痴漢は犯罪です》、その辺の小学校に貼られた《緑を大切に》、なんてポスターとは、一線を画す何かがある。

貼り紙の主は困っていたり怒っていたり、とにかく何かしらの不満がある。他人のそういった感情を面白がるのは不謹慎極まりない。
不謹慎なことは理解しつつも、発信者不在の中強い感情だけがそこに在り続ける、そんな状況に可笑しみを感じてしまう。要は街中に「知らん人がバチバチにキレ散らかした痕跡」が存在することがたまらなく面白いのだ。

悪趣味だという自覚はそれなりにあるので、noteにこっそり書き記すだけにしておく。

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