「考えすぎだなぁ」と思った人に「考えすぎ笑」なんて絶対いうな。
よく「考えすぎ」と言われる。
あるいはネガティブだとか、悲観的だとか。
僕ら考えすぎ族は物事を考えるあたって、スタート地点が違う。
みんなは「どう成功するか」を考えるが、僕たちは「どう失敗しないか」を考え、そうならないよう知恵を振り絞るのだ。
…僕たちは根っからネガティブなのではなくて、なんならネガティブにならないよう努力するポジティブさみたいなのが人より強い。
自分なりで見えてしまった未来を変えようとしたい人。
それを「考えすぎ笑」と言われるのは少し寂しいのだ。
この記事では考えすぎな僕が考えることを書く。
少し長いかもしれないのでこの記事で伝えたいことを要約する。
「考えすぎだなぁ」と思った人に「考えすぎ笑」なんて絶対いうな。
考えすぎの苦悩
さっきもかいたけど、考えすぎは族はスタートが世にいうネガティブなのだ。
「失敗しないように」と思いあれこれ考え意見をするのだが
たいていは自分が思ったことを「考えすぎ」と上部だけを見られて否定される。それ以上言っても相手はそれっきり。
結果モヤモヤは残り、それを自分で消化できず「考えすぎな人」と自分を認めてしまう。
そして自分の思ってた未来が当たってしまえば、さらに考え込んでしまう。
このループが考えすぎ族をより鋭敏にさせてしまうのだ…
だって仕方ないじゃん失敗したくないもん。
恥ずかしい思いしたくないもん。
死にたくないもん。
そして、できればみんなと幸せに笑いたいもん。
それを「考えすぎ笑」で断罪しないでほしいよなぁ。
考えすぎなことくらい知ってんだよばーか
あと、考えすぎ族は自分が考えすぎということを知っている。
正しくいえば、自分が「世にいう考えすぎ族」なのだろうということを知っている。
成功に向かってみんなと一緒に走って行けたらどれだけ楽しいか。
小さなことは気に留めず大雑把に進めれたらどれだけ楽しいか。
自分が考えすぎということ自体にもう「考えすぎ」ているからわかってるのだ。
そして考えすぎ族は少数派なのだなと知り、自己否定に走ってしまう。
考えすぎの自己否定を甘く見るなよ。
ほぼ生き地獄だから。
「考える」という日常的な行為を否定される感覚はけっこうきつい。
考えすぎな人に、考えすぎって言わないでくれ。十分言われてきた。もうこりごりなんだ。
じゃ、どうしたらいいの
これを読んでいる人はどういう人だろう
僕と同じ「考えすぎ族」なのか、考えすぎな人と近い関係にいる人なのか。
どっちだろうが、考えすぎという性質は変えることができない。それは諦めろ。俺も諦めてる。
そもそも「気合で考えすぎは治る!!」とかいう輩は「考えすぎ族」の天敵だ。そういうやつが「考えすぎ笑」を使うのだ。
じゃあどうするか
話を聞いてみてほしいのだ。
考えすぎ笑 と変な寄り添いはやめて、普通の人と会話するみたいに、「なぜそう思ったか」をきいてほしいのだ。
それがあなたにとって考えすぎだとしても、僕らからすればただの意見だ。ほかの人と同じく会話をしてほしい。意見として尊重してほしい。
そして考えすぎ族は
話をするのだ。
話している時も「考えすぎてんだろなぁ」ってなるはず。自分の意見が考えすぎ笑と拒まれるのは怖い。辛い。
それでも話すんだ。どこかであなたの考えは「意見」としてみてくれる場所が絶対ある。
あと考えすぎ笑というやつからは距離を取ろう。話もろくに聞かずフィルタリングする差別主義者に言う意見も時間も俺らにはないはずだ。
いつか俺らの意見は世界を救う。まじで。
…こう書きながらやっぱり「僕は考えすぎなんだなぁ」と実感するのでした。
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