A子さんの恋人

10月15日に発売になった最終巻、楽しみすぎたのか朝いつもより1時間早く目が覚めて、Kindleに配信されたのを起き抜けに読んだら涙がだーっと流れて鼻が詰まった。
何でこんなに揺さぶられるんだろうとしばらく考えて、冷静になって1巻から読み返して、わたしも自分のことを好きと認められていないからだ、一見好きそうに見えて。と思い至った。
1巻を読んだ時はこんなに泣いたりする物語になっていくとは全く思っていなかったな。

登場人物はみんないい感じにゆるくて、ちゃんとしていなくて、怒ったり泣いたり鬱々したりしているところがいい。わたしはその人の人間っぽさを見つけたときに好きと思ってしまうらしい。

クラスの半分以上が一度は好きになってしまうようなタイプのA太郎。飄々としていて、わたしごと何処か楽しいところに連れて行ってくれそうだと思ってしまう。
A太郎のような本人にその気がなくても人を惹きつける人は嫉妬されることもあるだろうし、そのキャラクターを演じるみたいな部分があって孤独を感じることもあるんだろうな。だからA太郎はブレないA子ちゃんに憧れてしまうのだ。

わたしは憧れと好きの違いを未だによく分かっていない。自分の持っていないものを持っている人に憧れと羨望と嫉妬と好きとごちゃまぜの感情のまま接しているうちに何がなんだが分からなくなる。
10代の頃は見てるだけでキュンとして、話すだけでドキドキして、それを人を好きになることだと思ってた。どうやらそれだけじゃないらしいと大人になって気付いたけど、そこで思考はストップして好きってなんだか分かんないまま年だけ取っている。


「誰が好きかよりも誰といるときの自分が好きかなんだよ」って、言葉では見たり聞いたり読んだりして知っているけど、最終話まで読んで初めて実感としてちょっと分かった気がする。
誰かを憧れで好きになることは、自分にないその箇所を相手で埋めようとする行為だからどんなにどんなに好きでもうまく行かないのかなぁ。自分のことを好きじゃなくても、憧れの人と恋人になれた自分はちょっといいものになれた気がしてしまう。でも自分を否定したままだと結局こんな自分を好きでいてくれる筈がないと思って、わざとフラれるようなことをして試したり、相手の気持ちも否定してしまうのだ。

自分を認めてあげるって30歳になってもこんなにも難しいことなんだなって分かってちょっと安心もした。

かわいそうなんかじゃないけど悲しいのよってゆうこちゃんが泣くシーンがすき。
いっぱい悲しんだらまた立ち上がればいいのだ。

似ているところを愛するのもいいけど、違いを愛したほうがきっと世界は広がる。A太郎もA子もA君もみんなみんな幸せになっていってほしい。

40歳になったみんなをまた見たいな。
登場人物全員愛しかった。

この記事が参加している募集

#読書感想文

192,504件

#マンガ感想文

20,546件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?