見出し画像

「やりたいことが無い」と本気で悩み、考え抜いて見えたこと

私について

社会人2年目OL
独身
専門的な文章を書くお仕事をしています📝

こんな方にお届けします

・やりたいことがないことにコンプレックスを感じている
・やりたいことを探したけど、見つからなかった
・やりたいことを見つけたい
・やりたいことがないし、そもそも人生迷走中
・就活中で、行きたい業界や企業がわからない
・キャリア迷子
・もぐのファン♡

やりたいこと探しの歴史


物心ついた時から、
「これといった、やりたい事がない」
ことにずーっとずっと、真剣に悩まされてきました。

夢なんて無くても、この上なく幸せなこと、恵まれていることはわかっているつもりでした。自分をよく理解し、自分を喜ばせてあげて、勉学や仕事をコツコツ頑張り、周りの少しの大切な人を大切にして生きていく。なんの取柄もない自分は、このように自分と周りの幸せを守っていこうと思っていましたし、今もそう思っています。

だけど、
何かに向かって努力する人、夢に向かって努力する人のことが羨ましくて仕方なかった。それを叶えているかなんて関係なくて、そういうものを持っていること自体が奇跡だと思うし、興味のあることやずっとやっていられること、叶えたいことや目標があるのっていいなあと思っていました。
自分になにも無い、才能もないのはわかっているけれど、そんな私にもやりたいことがあったらいいなと思っていました。
そう強く思わされたのは、考える必要があったのが就活の時でした。

それでも、好きなことや、やっていて楽しいことはありました。

ぬいぐるみ
もふもふの毛布に包まれる
美味しいものを食べる
家族、愛する人と一緒に料理する
親友とゲラゲラ笑ったり、スイートな時間を過ごす
自然や景色のいいところに行く
北海道の雪で遊ぶ
ゆるい絵を描く
ゴロゴロする
いきものを見る

でも、どれも、自分の思い描いていた
「夢」や「やりたいこと」ではありませんでした。

私の思い描いていた夢ややりたいことの条件は、今振り返ると、以下のようなものでした。

・能動的であること
(映画を見る、美味しいものを食べる、ではなくて、お店を開く、バンドを組む、絵を描く、作品を生み出すのような、「〜する」で表されること」)

・そればかりやっていたいと思うこと

・たとえ叶わなくても、ただその夢があること

・その夢を通して、叶えたい世界があること
(例えば、自分のパーソナルサロンを開くことで、オシャレして自信をもつ女性を増やしたい!✨みたいな。)

つまり、好きなことや、素敵な時間を過ごせるものはあったけれど、「Do」で語れる夢のようなものがありませんでした。
(今もまだありませんし、楽しみながら探している最中です。)

先にあげた自分の好きなことを、夢ややりたいことっぽく無いと卑下していましたが、ぼんやり不幸なままは嫌なので、もうそれを認めることにしました。
別に、たった一つの夢ややりたいことがなくたって幸せに生きている。その事実から目を逸らさず、今自分が恵まれていて幸せであることをかみ締めようと思ったのです。

それをわかった上で、やりたいことを探すのは楽しそうだなと思いました。

これまでは、やりたいことがない自分がマイナスだったけれど、これからは、どんな自分も加点方式にしていこうと思っているのです。加点方式ということは、今のままでもいいんだけど、何かをしたり見つけたり楽しんだら加点。「今のままでもいいんだけど」が入ると、人は途端にやる気が湧いてくるものだと思っています。

今回の記事では、今のままの幸せ、状態をしっかりと噛み締めている前提で、何かを始めること、やりたいことを見つけること、その過程や方法に着目して綴りたいと思います。

やりたいことを見つけるのに必要なこと

就活が始まり、求められたのは、学生時代に頑張ったこと、やりたいこと、将来のビジョン、自己PR、、、。

正直、普通の学生生活をのんびり過ごしてきた私には何も書くことがなかったです…(苦笑)

それでも、過去の経験を深掘りして自分の良いところや頑張ったところを捻り出しました。
そうしてみると、凡人にもそれなりに色々あるもので。大切なのは、人と比べずに、当時の自分の心の内を思い出してあげること。
「この時の自分頑張ってたなあ」
それがあれば、もう大丈夫。

過去の経験については、すでにあるものを分析したり思い出すことでなんとかなりましたが、本当に苦戦したのは、将来やりたいこと。そもそもの業界選び。この時、やりたいことが無いことに本気で悩み始めました。
だから、必死に、分厚めの自己分析のワークシートに取り組みました。できることはなんでもやりました。
当時の自分は、やりたいことは本気で探したら、
自分の中に答えはある、やりたいことは見つかるはず、まだ気づいていないだけだと信じていたからです。

だから、新しいことを試すより、過去を振り返ったり、望む未来を考える、自己分析や内観を徹底的にやっていました。

努力の甲斐なくやりたいことは見つからず(笑)今の会社は、社風、人柄、業績、シェア、お給料、消去法(金融系は、数字が苦手だから無理、転勤のある仕事はむずかしい、みたいな。)で決めました。内定もそんなにたくさんはいただいてなくて、ご縁を感じた今の会社に決めました。

入社時点では、配属先は決まっていませんでしたが、結果的に、やりたいことがないままでも、会社の中で行きたい部署を見つけられたし、無事に配属されました。

具体的なやりたいことではないけれど、自分にとって、自分の意思で「この部署に行きたい」と思い、その思いを伝える努力を全力でできたあの数ヶ月間は特別なものでした。

行きたい部署が見つかったのは、研修期間でした。

いくつかの部署を回り、研修させていただける期間がありました。

行きたいと思った部署は、思ってもみなかった部署でした。まず選択肢にも無い、脳内にもない。当たり前に未経験。文系だし、営業は内気な自分にはできないだろうから、私にできるのは、なんとか少しでも役に立てるのは、経理か人事か総務かなあとぼんやり思っていましたが、まさかのそのどれでも無い。そもそもそんな仕事が世の中にあることも忘れていた。そんな感じでした。

研修期間中、その部署の皆さんの人柄、雰囲気、空気感、そして、スキルが身につきそうな仕事であること、というより、多くのスキルや知識、経験が必然的に身につくであろうこと、とても専門的なこと、単純にその仕事をしている人をすごいなぁと感じたこと、自分の好きな文章を書くことが活かせそうなこと、いろんな要素がマッチして、初めて行きたい部署が見つかりました。

こうして、研修期間を経て行きたい場所を見つけた私は、こう思いました。

やりたいことは、必ずしも自分の中にあるわけじゃ無い。
考えるだけじゃなくて、まず経験してみて見つかることもあるんだ!

これまで、自分の中に答えがあると信じて
徹底的に自己分析してきた自分にとっては衝撃的な発見でした。

会社に研修の制度がなかったら、無今もこの仕事には出会っていないはず。

もちろん、自分の本音、正直な気持ちは自分の内側にあると、今でも思っています。

しかし、その気持ちだけではやりたいことは見つからないんだという発見がありました。

いろんな機会でなんとか勇気を出していろんなことをやってみて、それに対する自分の心の変化をじっくりと観察してあげることで、興味のあることや、やりたいことが見つかるのだと分かり、腹落ちしました。

やりたいこと探しは続く

さて、研修期間に行きたい部署を見つけて、懸命にその想いを伝えた結果、ご縁があって今もその部署で働けています。

それはとてもありがたいことであり、
自分から「こうしたい」を見つけ、掴んだという貴重な経験でした。

しかし、私の中でのやりたいこと探しは終わっていません。
むしろ、最近また始まりました。

今の仕事は、大変なことも多い。
ていうか、ほぼ大変。
まだまだわからないことや至らない点もたくさん。
これから成長していきたいと思います。
実は、向いてない、辛い、辞めたい、と、神社の木陰で号泣して休日を潰したこともありました。
家族、恋人、親友に泣きついたことも。
心を開くのに時間がかかる、そして人からの評価を気にし過ぎてしまう私は、上司に正直な気持ちをなかなか話せず、身近な人に聴いてもらいました…。そんなこともあった。
今ではなんとか、忙しい毎日でも前向きに過ごせるようになったかなと思っています!

ただ、AIの力がどんどん浸透してきているこの世の中、私の仕事柄、いつまでこの仕事ができるのかわからないのが正直なところ。

それだけでなく、会社の人事異動などのリスクもあります。

できることなら、この仕事をしばらくしていたい、一人前になれるまで続けたいと思います。

だけど、もしそれができなくなった時に、自分に何もなくなってしまうのがとても不安で怖くて。

私には、「これは自分には絶対できない…」と思う仕事がたくさんあります。本当に、不器用だからです。

人見知り、単純作業、細かい作業が苦手、遅いので、事務作業は向いてない。

かといって、コミュニケーション力が必須である営業なんて絶対できない…恐ろしい…

適性診断にそれが出てしまい、事務にも営業にも向いていないと、就活で落とされたことも多々ありました。

私が向いていないと思っていることは、適性検査で見抜かれました。笑

そんな私でも今の仕事を見つけることができ、
幸いにも私のいいところを評価してくれる、教えてくれる、暖かく接してくれる人たちに囲まれ、仕事をすることができています。

やりたいことは自分の中にあると信じ、自己分析や内観を徹底していた時期に、自分の特性を活かしてできる仕事が思ったより狭く、限られたものであることを思い知りました。

だからこそ、今の仕事を失うのが怖いです。
ただ、いつまでもこの仕事ができるとはわからないので、もしそうなった時でもなんとか自分を活かしてできる仕事、やりたいことを探そうと決めました。

どうやってやりたいことを見つけるの?


それは、

「やると決めたら最後までやる」
「完璧でなきゃ」
といった、最初の一歩を阻む意識を捨てる

足取り軽く、興味を持ったことを始めてみる
(実はここが1番むずかしいし、気力も体力も必要)

この2つかなと思っています。

ただ、これを意識しても、ものごとを始めてみる前に大きな壁があると思います。

それは、

「もし始めてみて頑張っても向いてなかったら?時間の無駄になってしまうかも。」「本当に役に立つのかな?本当に意味があることなのかな?」

という気持ちになることです。

何かを始める時、その先の結果や成功を期待しない。始めることに意味がある。途中でやめても失敗しても、そのこと自体に意味がある。

私あるあるなのですが、せっかく興味のあることを見つけても、それを始めるときに、その先の結果や成功の保証を探そうとして、でもその確信は持てるはずもなく(だって将来なんて、向いてるかなんて、誰にもわからないから。)失敗や途中で辞めるのが怖くてなにも始めることなく、知らない間に時間が経ってしまったということがしょっちゅうありました。

その結果、後悔ばかりがつのりました。

あの時あれを試していたらなあ

もう遅いのかなあ

こんなことを繰り返し、それでも時間は流れていく。いろんな経験をし、愛する人に出会い、たくさんのことを学ばせてもらった。恋人は、私とは違って器用で優秀、物事を始めるフットワークが軽い。遊びのようなテンションで勉強できる、そんな人。それでも、正反対の私のありのままを愛してくれる。そんな恋人を見て、尊敬の気持ちがあふれて。自分も、いい加減、足踏みだけの状態を抜け出して、一歩前に進みたい、そう思いました。

だから、どうして、自分が興味のあることを見つけても、なにかやってみたいと思ってもできないのかこんなに不安なのか、そして、やりたいことが見つからないのか、それはいけないことなのか、どうしてやりたいことを見つけたいのか、自分と向き合いました。

この経験から、これまでの自分がひっくり返ってしまうような気づきに出会いました。

・やりたいことを見つけたいというより、やりたいことがあって初めて自分を認めてあげられるような気がしていた。
・やりたいことを見つけたいというより、ちょっと興味があるな、始めてみたいな、の自分の声を、聴いてあげたかった。
・何かを始める時、その先の結果や成功を期待しない。確証を持たなくてもいい。始めることに意味がある。
途中でやめても失敗しても、そのこと自体に意味がある。
なぜなら、人間が1番不幸になるのは、「失敗したこと」「途中で辞めたこと」ではなく、「後悔すること」だから。


もし何かを始めて失敗しても、自分に合わなくても、飽きたとしても、間違いなくそれは自分の糧になっています。

「あの時やってみたらよかったなあ」という後悔から、自分を救ってくれます。

もちろん、無理に何かを始める必要はないんです。
大切なのは、やりたいことがあることより、やりたいことがあろうがなかろうが、自分が自分を認めること、ただ存在を受け入れること、心の声を聴いてあげること。

でも、もしやりたいことを見つけたくて、少しでも興味のあることが出てきたとしたら、足取り軽く、始めてみてほしいのです。

なぜなら、それは、自分の心の声を聴いてあげたということであり、その一つ一つに私たちの心は癒されていくからです。

わたしも、まだその旅の途中です。
これからも、自分を愛する、物事を始める、やりたいことを見つける、などについて綴っていけたらいいなと思っています。

私の言葉が、少しでも誰かの背中を押せていたら、また、癒しになっていたら、嬉しいなと心から思います。

リラックスした1日をお過ごしください、

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?