見出し画像

戦争を舞台にした現代の心の軌跡~1917レビュー考察~

命がけの壮絶なミッションに「同行」せよ!!

 8月最初の週のことです。家族の配達品に紛れて、『1917~命をかけた伝令~』のBlu-rayが届きました。
 今年2月にワンカット撮影の評判を聞いて興味を持った作品、視聴した後に生まれたのは、衝撃、感動、哀愁の数々でした。
 もうディスクレンタルもできるでしょうし、自分のようにディスクを買うこともできる。映画館のド迫力でないのが惜しいですが、それでも何度も見れるようになったのは自分にとっては嬉しいの一言。
 多くの感動を巻き起こした本作。せっかくなので感想も考察も含めた雑記を、あることないこと語りたいと思った次第なのです。
 読み取れるのは、撮影方法とド迫力の展開だけではありません。そこには製作陣の意図した心の軌跡と、視聴者が考えることのできる余韻があるのです。

 本稿は、1917~命をかけた伝令~のネタバレあり・なしそれぞれの感想考察になります。配分的にはネタバレありの考察が多いので、未視聴の方は是非本編を観てほしいなと思います。

1.あらすじと繊細かつ迫力ある演出

第一次世界大戦真っ只中の1917年のある朝、若きイギリス人兵士のスコフィールドとブレイクにひとつの重要な任務が命じられる。それは一触即発の最前線にいる1600人の味方に、明朝までに作戦中止の命令を届けること。
進行する先には罠が張り巡らされており、さらに1600人の中にはブレイクの兄も配属されていたのだ。
戦場を駆け抜け、この伝令が間に合わなければ、兄を含めた味方兵士全員が命を落とし、イギリスは戦いに敗北することになる―
刻々とタイムリミットが迫る中、2人の危険かつ困難なミッションが始まる・・・。(1917~命をかけた伝令~公式サイトより引用)

 そもそも自分がこの作品に興味を持ったのは、ワンカットという触れ込みからでした。こういった映画はあまり見ないのですが、どうしてか惹かれるものがあって、見てみよう、といった流れだったのです。
 正確にはワンカットではなくて、そう見えるように巧みな演出と編集をしています。これを「嘘つき」というのは無粋でありもったいない。重要なのは没入させてくれることだと思います。
 第一次世界大戦下という背景。舞台は塹壕、ドイツ軍の最前線、有刺鉄線の壁、破壊され廃墟となった街並み、それが本物であると伝えてくるようなリアリティーがあります。


 特筆すべきは、打ち棄てられた死体の数々です。白骨化したもの、土砂に埋もれ手だけが見えるもの、朽ちてカラスやネズミに食われる死体、川に浮かびせきとめられた死体の山……本物を見たことはありませんが、その迫力は間違いなく本当でした。
 戦争映画やグロテスクな表現というものが苦手な人もいるでしょう。ただ、おそらくですが同じようなジャンルの映画よりは見れるのではないかと思います。何故かというと、物語への没入感が強すぎて、一々嫌悪感などを感じるよりも早く「どうすればこの窮地から脱せるか」を真面目に考えようとするからなのです。

2.ネタバレなしレビュー~映像以上に強い生と死のメッセージ~

 特に映画館で見たときの興奮は言い表せないものがありました。2人の伝令兵の軌跡がリアルタイムで描かれ、そこがいつ銃弾が頭をかすめるのかも判らない戦場であれば、一瞬たりとも気を休めるわけにはいきません。自然自分も肩肘を張るようになり、スクリーンを注視し……気づけば3人目の同行者となった体験を語る人は多いと思います。
 作品の性質上、ホラーでなくとも驚きと恐怖にかられるシーンはいくつもあるのですが……自分はとあるシーンで冗談抜きで椅子から飛び跳ねました(笑)後ろにいた人、申し訳なかったです……


 常に肩ひじを張る緊張。しかし緊張にも『いつ襲われるか判らない恐怖』と『敵に追われいつ殺されるか判らない恐怖』、静と動の2つの緊張があります。質の違う感覚は自分を物語に没頭させ、視聴後にはある意味重い、しかし貴重な疲労感に襲われました。
 戦場である以上、死の恐怖は常にそこにある。主人公の一人、ブレイクからすれば任務が成功しなければ兄が死んでしまう。そもそも自分たちでさえいつ死んでも不思議ではなく、死地の中を駆け抜ける。この心の在り様ならドラマが生まれるのは必然。先の疲労感とは違う、清々しさもありました。
 2人は任務を達成できたのか? ブレイクの兄をはじめ、1600人を救えたのか? 是非本編を見てほしいと思います。

 ※次からは、ネタバレあり感想になります。


3.ネタバレあり感想~『全力』と『全霊』~

 まず衝撃だったのは、主人公と言えるはずのブレイクが呆気なく、本当に呆気なく死んでしまったこと。まったくの予想外だったのではじめは呆然としました。時間が経つにつれ、ブレイクの顔が青くなるにつれ、静寂の中で理解し始める戦友の死。それまでも没入感たっぷりでしたがあくまでそれは第3者視点でした。ブレイクの死の瞬間、ついにスコフィールドに憑依したような感覚がありました。
 人間受け入れられないまま次の現実に向かわなければならない瞬間はある。まさにスコフィールドが味方の隊の兵士とトラックに乗っている時だと思います。

 思ったのは、最初はこの任務に消極的だったスコフィールドが、このブレイクの死の辺りから『全霊』をかけるようになったこと。そりゃ将軍直々の命令ですし、命令は絶対な縦社会ですし、1600人の命がかかっているとなれば、全力をかけるのは当然だとは思います。ただ、ブレイクという気の置けない相棒がいたにせよ、「他の奴を選べばよかった」「(出発を)夜まで待つべきだ」など、前のめりなブレイクと比べれば消極的な発言があったのは事実です。
 任務の開始の時から「(前線に入るのは)年上からだ」「冷静にならないと兄さんを救えないぞ」など、男気と冷静さでブレイクをサポートしていたスコフィールドは、確かに自分の立場と能力を考慮して『全力』をかけていた、けどその気迫というのはどこか消極的だった。

 『全霊』をかけるように、少なくとも筆者にはそう見えたブレイクの死後。狙撃兵と全力で撃ち合い、夜の廃墟を駆け抜け、娘と赤ん坊と出会い、川に飛び込んで泣きわめいてでも生き残るその精神は、何よりも『全霊』をかけていたと思います。人間は生存本能があるので、過酷な環境になればもがく人はいる。ただ同時にもがけない人もいると思います。パニックになった時に火事場の馬鹿力を発揮する人と、思考がフリーズして動けなくなる人がいるように。
 スコフィールド自身『ソンムの戦い(第一次世界大戦で実際にあった激戦らしいです)』を経た兵士なので、動ける気質を持っていたにせよ、ブレイクの死が影響を受けていることは間違いないと思います。相棒の死に震えたのか、静かな狂乱に陥ったのか、彼の遺志を継ぐと決めたのか……いずれにせよ、筆者を始めた視聴者がスコフィールドに憑依した(あるいはスコフィールドに成り代わった)ように、スコフィールドにはブレイクが憑依した(あるいはブレイクに成り代わった)のでしょうか。

 静寂の後に聞こえる聖歌『I am poor Wayfaring Stranger』、戦場の中を走り抜けるクライマックスのド迫力、そして最後にブレイクの兄を見つけた瞬間の対話。疲れ果てたスコフィールドが物語の開始と同じように、一本の木の根元に寄り添って眠る。あの瞬間は忘れがたく、静かなるカタルシスに満ちていました。
 また演技として個人的に「すげえ」と思ったのは、ブレイクの兄が弟の最期を聞いたとき。近親者の訃報を聞いたとき、自分は本当に静かに膝から落ち、深い呼吸をしたことがあります。弟の死を聞いて、自分が何を考えているのかさえ分からなくなり、喉と体は震えても、毅然と立ち続けてスコフィールドの話を聞く。あの静かな演技は何よりも激しい感情を表していました。

4.考察①~スコフィールドの出自と心~

 彼の名前がウィリアムであることが語られるのは物語の最後、ブレイクの兄に自分の名を明かすとき。それまではスコフィールド、スコなどと呼ばれています。
 そもそも任務が確定していたのは兄がいるという背景のあるブレイクだけ。スコフィールドはたまたまブレイクから選ばれた(楽な任務だと思ったから)だけの人物。情報はほぼありません。
 徐々に明かされていくのは、イギリス人であること。ソンムの戦いという激戦を潜り抜けた兵士。世慣れしている(印象)。「家に帰りたくない」という発言。兵士の生きた証である勲章に執着しないこと。
 「家に帰りたくない」、自分の心安らぐ場所に帰ることへの拒否反応。不思議なのは、本人はウィットにも富んでいるし、相棒をサポートできるし、見ず知らずの娘と赤ん坊に食糧をあげるような優しさもある。別段人間として愚かでもなさそうな彼が、親兄弟家族がいたとして嫌われるようにも思えない彼が、どうして「家に帰りたくない」と言うのか。
 真実は判りませんが、少なくとも彼自身が自らの帰る場所に対して、劣等感や恥を感じているようには思えなかったのです。ただ勲章を捨てているということから、どこか彼の死生観が戦時下の兵士のそれとは一線を画しているように感じたのです。家に帰りたくない、それは二度と家族と会わないこと。とはいえ勲章などの物質に自分の証を刻もうとは思わない。
 戦時下といういつ死んでもおかしくない状況。家族の下へ帰るのなら、それは必ずこの身を持って帰ること。けれどどうせ死ぬのなら、勲章などでは帰せない。だから家に帰りたくない、ということなのではないでしょうか。

 ただ。
 スコフィールドは文字通りの死地を駆け抜けました。相棒の遺志を継いで『命を懸けた伝令』を届けることができた。相棒が死ぬ、『生きながら死を味わえる空間』で生き残るという、何より生を実感できる経験ができた。ブレイクの家族に彼の生き様を告げた時、そんな心境だったのではないでしょうか。
 だから。
 物語の最後、木の根元に腰かけ。彼はずっと軍服の胸ポケットにしまっていた煙草缶を取り出しました。缶の中にはスコフィールドの家族の写真があった。愛すべき、妻と二人の娘がいることがわかる。写真の裏には「無事に戻って」というメッセージ。生きて帰れる実感をして、初めてスコフィールドは自分が生きて家に戻る実感と覚悟と、イメージを持つことができた。だから何度も命を削るような旅路の中で、最後の最後に、やっと「無事に戻って」という願いと向き合うことができた
 自分が確認できた中では、その煙草缶に触れたのは他に、命からがらドイツ兵たちから逃げ、朦朧とした中でD連隊を見つけ、聖歌『I am poor Wayfaring Stranger』を聴いたとき。歌詞の一部には「明るく輝く世界を目指して 私は父なる方に会いに ただひたすらふるさとへ」……これも、「生きて帰る」という強烈なメッセージです。

5.考察②~神話という心象の再現~

 購入したBlu-rayには、監督サム・メンデス、そして撮影ロジャー・ディーキンスによる本編音声解説がありました。考察でも参考にしているのですが、特に気になったのは監督の口から何度か放たれた『神話』という言葉です。
 物語の中には監督が「イメージした」「モチーフにした」というように、確かに神話と関連付けられる要素があります。恥ずかしながら神話というものを自分は心理学の観点からしか知らず、神話そのものには詳しくないのですが、少し妄想していこうかと思います。
 まず旅という要素。『行って帰ってくる物語』であること。物理的な意味では物語の始めと終わりの場所は違いますが、最初スコフィールドとブレイクが寝ている『生ある静』の空間から、前線という『死ある動』の空間に飛び込み、多くの葛藤を経て、最終的にまた一人で木の下で眠る『静』の空間へ戻る。最後の場所が最初と同じように木の下というのは明らかにそれを意識していると思います。
 違うのはブレイクが死に、最後の空間は『生と死が混じった静』であること。片方でなく、相反する両者を統合した性質を持つ。それは物語や心理学的な成長、そしてその両の性質を持つ創作・神話の性質と言えるかもしれません。

 監督の解説でこんな説明もありました。「自然主義的から神話的な表現に移るためだ。地獄への転落ともいえる」
 音楽面でも『Gehenna(ゲヘナ)』という曲もあります。Wikipediaを参考にすると、ゲヘナとはキリスト教的解釈では『地獄』ということです。
 スコフィールドが夜のエクーストの廃墟をかけるシーン、あれは恐ろしく浮世離れしたもので、神話的表現と言ってもおかしくはない。その神話的な地獄の世界に入る前、ブレイクの死と同じ場所でスコフィールドはミルクを手にしています。そのミルクは地獄の中の安息な場所で、赤ん坊の飢えとスコフィールドの心を満たす対価として支払われました。
 エクーストで娘と赤ん坊と会い、彼は赤ん坊にこう語り掛けます「彼らはふるいで海へ出た……」調べてみると、『ジャンブリーズ』という名の現実にある絵本のようです。イギリスの画家、詩人であるエドワード・リアの作品。解釈はそれぞれだと思いますが、監督はこれを「第一次世界大戦のメタファー」だと感じたのだとか。

 ドイツ兵が残るエクースト、すなわち地獄を駆け抜け、スコフィールドは川へ飛びこむ。飛び込んだ先には、ブレイクと話した白い花びら。この後に聞こえる聖歌『I am poor wayfaring stranger』には、「ヨルダン川を越え」「明るく輝く世界を目指して」というような歌詞があります。明らかに、その時のスコフィールドの状況を表している。

暗い雲が私を取り巻く 私の進む道は険しく遠い けれど輝く平原が広がっている 神に赦された者が身を横たえる地 私は帰ろう母に会うために 愛しき者たちが迎えてくれる 私は行こうヨルダン川を越えて 私はいこうふるさとへ受かって 私は貧しきさまよえる旅人 悲しみの世界を旅してまわる もはや病や苦労危険もない 明るく輝く世界を目指して 私は父なる方に会いに 私は行こうもうさまようことなく ただひたすらヨルダン川を越え ただひたすらふるさとへ(Jos Slovick『I am poor wayfaring stranger』本編日本語訳より引用)
「(歌は)彼ら全員の旅を表している。時代の巻き添えを喰らった若者たち。僕らはたまたまスコだけを追っている」(監督トム・メンデスの解説より)

6.彼らの旅路が2020年に現れた意味

 これらの構想や考察から、どんなメッセージを受け取るのか、それは人それぞれ、誰にもわからない。ただ、別の記事でも書くつもりなのですが、『wayfaring stranger(さまよえる旅人)』という歌が、なによりこの作品が激動の2020年に現れた意味というものを、考えずにはいられないのです。

「僕はこの映画に現代社会を反映させたかった。この映画は歴史物を現代的な解釈で描いている。多様なキャストをそろえることを意識した。史実から外れたとしてもかまわないと思った。我々が生きるのは多様性と多民族の社会だと示すことが重要だと思ったんだ」(監督トム・メンデスの解説より)

お付き合いいただき、ありがとうございました。

記事を最後までお読みいただきありがとうございます。 創作分析や経験談を問わず、何か誰かの糧とできるような「生きた物語」を話せればと思います。これからも、読んでいただけると嬉しいです。