連載小説【フリーランス】#15:ユエナは虹の子

 幸代の説明を聞いている間はざわざわと落ち着きのなかった子供たちも、一度ねんどの袋を開けると、目の前の作業に夢中になった。一人一袋ずつ配られた白い紙ねんどをこねて、ちぎって、丸めて形を作り、ヘラやつまようじで模様や凹凸をつけ、最後にアクリル絵の具で色を塗って仕上げる。それぞれの手の中に、飼っている犬、スポーツカー、アイスクリーム、フルーツ盛り合わせ、カブトムシ、ティラノサウルス、魔法少女の変身アイテムなどがだんだんと姿を現してくる。シャリとネタを量産して寿司屋を開こうとしたり、キャンドルケースみたいにこの時間を明日から使えるものに替えようとするちゃっかり者もいれば、マグカップとそのフチにつけて遊ぶミニチュアの人形を作ってセット商法を思いつくアイディアマンもいた。その一角で、巨大なタマゴが手と足を生やしたみたいな物体に、色とりどりの絵の具でグラデーションをつけたものが生まれようとしていた。

 見慣れない何かを作ろうとしているユエナちゃんに気づいた友達がそのまわりに集まってきた。

「それ何?」
「これはね、ユエナのお父さん」
「ちょっと待って、ユエナのお父さんって何者?」
「私のお父さんは虹なの。この足には水かきがついてて泳げるし、手は翼になって飛ぶこともできる。すごいでしょ」
「え、じゃあユエナは虹の子ってこと?」
「そうだよ」

 いいなあー、かわいいー、なになに、見せて見せてと群がる女の子たちの輪の後ろから、遅れて覗き込んだ男の子の一人が、虹のタマゴを見るなり勝ち誇ったように鼻で笑った。

「そんなわけないじゃん」

 ユエナちゃんの机を囲んでいた女の子たちがパッと後ろを振り返り、その中心からユエナちゃんの二つの目が覗いた。

「なんでタマゴから人間が生まれるんだよ、小三にもなってバカじゃねーの」

 少年はなおも続けた。ほかの男の子たちも騒ぎのタネを嗅ぎつけて集合し、ほんとだ、バッカじゃねーの、バーカバーカと口々にリピートする。

「どうして?」

 両手を虹のタマゴに添えたまま、ユエナちゃんの目が、最初の少年をロックオンした。

「は?」
「どうしてそんなわけないって言いきれるの? これが私のお父さんじゃないっていう証拠でもあるの?」
「証拠なんかねーよ。でも決まってるだろ」
「何が決まってるの? 誰が決めたの?」
「誰が決めたって、あれだよ、大人だよ。昔からそう決まってんだよ」
「じゃあ証明して。どうしてこれが私のお父さんじゃないのか」
「知らねーよそんなの」
「できないの?」

 ユエナちゃんの追撃は緩まない。

「そんなわけないって証明できないなら、そんなわけあってもおかしくないよね」

 先陣は撃沈した。が、すぐに第二陣が反撃に出る。

「ふざけんなよ、いい加減なこと言ってんじゃねーぞ」
「ふざけてない」
「そうやってみんなを惑わせるのやめろよ」
「惑わせてなんかない。何がいけないの?」
「だって嘘だろ。だいたいそんなやついねーし」

 虹のタマゴはユエナちゃんの手の中でじっとしている。

「そうだよ、見たことねーぞ」
「見たことなければ、いないことになるの? イリオモテヤマネコを見たことないからって、イリオモテヤマネコなんかいないっていうの?」
「イリオモテヤマネコは本当にいるんだよ、実際に見た人がいるんだから。でもお前のは違うじゃねーか」
「嘘はだめだろ」
「嘘つき、嘘つき」
「ちょっと男子、そういう言い方やめなさいよ!」
「だったらワンピースのルフィは嘘じゃないの? それとも本当にいると思ってるわけ?」

 第二陣に紛れていた、人気漫画の異常に腕の長いキャラクターを作ろうとしていた誰かは、急に矛先を向けられて動揺を隠しきれていなかった。

「ルフィぐらいなれば嘘でも本当なんだよ。みんな知ってるからな」

 別の誰かがフォローした。が、その弾はあまりにも雑すぎる。

「みんなが知ってても知らなくても嘘は嘘だし、本当にいるものしか作っちゃいけないとも言われてない」

 第三陣はもうやけくそだった。

「なんで肌をいろんな色に塗ってるんだよ」
「そうだよ、変だよ」
 変だ変だ、と連呼するだけの便乗部隊はしかし秒で一蹴された。

「ダサい」

 たった三文字で十分だった。その破壊力は絶大だった。

「肌が一色でないと変だなんて、ダサすぎる」

 揺らぎのないユエナちゃんの追い打ちに、つい今しがた得意げにはやし立てていた子たちは返す言葉を見つけられず、今度は何やら不安そうにそわそわしている。もしかして自分たちが間違っているのか?

「私はお父さんをきれいな色で塗りたいからそうしてるだけ。それのどこがおかしいの?」

 だって、図工の授業ではそんなこと習ってないし。と誰かが言い訳がましく反論するが、その声はいかにも頼りない。ユエナちゃんはそんなことでは動じなかった。

「私はそんなダサい教育を受けて育ってない」

 以上だった。教育にダサいとダサくないがあるのか。考えたこともなかった子供たちは何が起こっているのか理解できずに、でも何かとてつもなくネガティブなことを言われたという空気だけは感じていて、戸惑い、途方に暮れて、誰かが何かを言うのを待っていた。

「かっこよ」

 それまで黙って粘土をこねていたジン君がボソッと言った。ジン君は口数が少なく、あまり群れない子だったが、手先がとても器用で、絵も切り絵も木工細工もずば抜けて上手なので、アートクラスでは一目置かれていた。

 するとマジックが起きた。さっきまで得体の知れない奇怪な何かだった虹のタマゴが、クールでヒップなアートへと、流れるようにトランスフォームしたのだ。ユエナちゃんの手はまだストップしたままだ。タマゴの形も色も変わらない。変わったのは子供たちの頭の中だった。

 つまんね、戻ろーぜ。アンチのヘイター集団は退散した。

「一番楽しんでたくせに、都合が悪くなると、何でもつまらなくなるんだね」

 ユエナちゃんの声がそれを見送った。

 これで虹のタマゴはようやく塗りかけの色をまた塗ってもらえるようになった。攻撃するターゲットも投下する燃料も失った炎は急速に鎮火し、あとには黙々と作業する時間だけが残った。

 幸代は一言も口を挟まなかった。教室の端の机でずっと自分のねんどをこねながら、ときどき成り行きを見守っていたが、とうとう席を立つことはなかった。良美さんたちは最初と最後にしか立ち会わないし、正和は休憩に行っていた。そしてクラスが終わるときには、犬や車や果物やルフィに混じって、虹のタマゴも当たり前のように肩を並べていた。

「ユエナちゃん、これ、好き?」
「うん、大好き」

 隣に立った幸代の肩の下で、少女は恐れもせずに宣言した。⏩#16


⏪#14:白でも黒でもない
⏪#13:ムーンボウの娘
⏪#12:沈丁花の夜
⏪#11:ミスター模範解答
⏪#10:完璧な仏像に似た
⏪#9:割れた風船の中には
⏪#8:マッチ&デートツアー
⏪#7:人生はレディメイド
⏪#6:残されたまばたき
⏪#5:マスゲーム襲来
⏪#4:風の強い日
⏪#3:渋滞のハイウェイ
⏪#2:神々の大量虐殺
⏪#1:夜の教室

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