毎日の満員電車に嫌気が差した。 朝と夜、私の生活の中で決まった時間に起こるイベントのそれに抵抗したくなった今朝。 「行かぬ」という選択肢を外した抵抗。 如何にして行き、如何にしてそれを避けるか。 如何にそれを避けて行くか。 いつも私を大学まで運んでいってくれる路線は使わないからな、という噛みつき。 路線を運営している人々にしてみれば「おいおい見当違いだろう、やめてくれよ」といったところか。 身勝手で、不器用な、わたしの反抗。 しかし大阪というところはどこも複雑
ただ自分に近しいようなもの、自分を波立たせないものをうっすらとなぞるだけの日々であった。 しかし、彼が私の前に現れ、テストを与えたとき、私は激しく動揺した。 それは私の信じる美しさそのものであった。 その美しさに、呑まれ、ることを、恐れ。 私は己の汚さを突きつけられ。 時期が来たのだ。線引きをやめる時期が。 私と彼は同一であり、私とテストは同一である。 テストは決して私を傷つけはしなかったし、私はテストを損ないはしないだろう。
絵を描こうと思い至った。 大層なものではない。絵というよりも、落書きと言った方がしっくりくる。 別に、自分の中に抑えきれない衝動とでも言うべきものがあって、それが膨らみに膨らんで、耐え切れずに表出したわけではない。 私は本来、芸術とはそうあるべきだと思い込んでいるのだが、残念ながら、未だ自分の中にそのような創造性を見出したことはない。 昨晩はただ、眠れなかった。それだけの理由だ。 私は内向的な人間である。 20年以上生きていても、薄情で自己中心的な人間である。 他人に評価さ
ある日、色が見え、井戸から出たことを知る。 足下に散らばる紙切れ。 文字が読めることの安堵。 ある日、壁に掛かるパレルモ。 文字が無くなっていたことを知る。 井戸とはそういうものであった。 人生には文字が必要であり、また生きるためには記号が必要である。 記号が並び、色彩に溢れる日々。 ある夜の誓い。 誇り高き沈黙。 文字としてのテスト。 100年の月日が経ち、横たわる少年、屈む少女。 記号は必要であったか?
何者かでありたいと望んでいるのに、 いざ「君は何者かである」と言われると、変な顔をしてしまう。 何者かである自信がないのだ。
去年の今頃、私はカウンセリングに通うのをやめた。 それまでは約半年ほど、月2回くらいのペースで通っていた。 私は高校生の頃から摂食障害を患っている、と思う。正直断定したくない。「自分はそうなんだ」って思うと、ますます引っ張られてしまう気がするから。 病院に初めて行ったのは、大学2年の初夏。母との間に「摂食障害」のワードが出たのがきっかけだった。 母は私が高校生のときから拒食症を患っていることに気が付いていたが、私本人には何も言わなかった。私が、症状から目を逸らすことでバラ
生きれば生きるほど、矛盾が大きくなっていく気がする。 まるで、ひとつついた嘘が、取り返しのつかないことになるように。 人権だの、差別だの、学んでいるくせに、 幼少期に教えられた「行ってはいけない地域」には足を踏み入れていない。 ジェンダーだの、LGBTだの、平等だの、学んでいるくせに、 男の人が優しくしてくれる「女」としての私に甘んじている。 その優しさを甘受しておきながら、それでいて、男の人に嫌悪感を持っている。 他者を見た目で判断しないようにしているはずなのに、自分
私は、中小企業の社長の娘に生まれた。 頼りになる父と美しい母、優しい姉と平穏な日々を送っていた。 幼少期、母はいつもお家にいて、わたしの相手をしてくれていた。 私の姉はアレルギーで小麦も卵も食べられなかったため、食卓に上がるのは全て母の手料理だった。「グルテンフリー」「オーガニック」など、今では当たり前に飛び交う言葉も、当時は耳慣れないものだった。母はとても苦労したはずだ。 通っていた中学校は給食が無かったので、母は高校卒業までの6年間、私に手作りのお弁当を持たせてくれた
初めて会ったとき、私は彼女を見ていなかったし、彼女も私を見てはいなかっただろう。 中学時代、私は運動部だったし、彼女は文化部だった。 高校時代、私は一人で過ごしたし、彼女はグループで過ごした。 要するに、私と彼女は何の共通点も持たないはずだった。 そんな彼女と私は、大学生になった今も連絡を取り続けている。 今になるまで、私と彼女を繋ぐものが何か分からなかった。 私が「終わらせる」と表現し、 彼女が「逃げる」と表現するもの。 それが、私たちを繋いでいる。
ねぇ、聞いてほしい。 あのね、今日わたしは眠れなかったんだ。 たぶん、きのうバイトに行くまでの間に何度も二度寝をしたから(何度も二度寝をしたらそれは二度寝とは言わないのかな?)。 まぁ、とにかく眠れなかったわけなんだけど。 午前3時、わたしはやることがないからシャワーを浴びに行ったの。 全身綺麗に洗ったあと、鏡の前に座って自分の顔をじっと見たんだ。 実は、わたしは自分の「顔」とは上手く付き合えてなくてね。 別に、嫌いって訳じゃないし、違う顔に生まれたいわけでもない。 で
美しく装丁された本を買ってもらった。 『ボッコちゃん』と『銀河鉄道の夜』 新潮文庫の、2020年版プレミアムカバーだ。 夜、寝る前に少しずつ丁寧に読む。
少し前の話になる。 牡丹を見た。 いや、牡丹だったものを見たのかもしれない。 その大ぶりの赤い花は、背の低い青々とした木のすぐ足元に落ちていた。 その様は、遠くない過去には青い木に堂々と花を咲かせていた姿を思い起こさせた。 その日は爽やかな風が吹く春の朝で、牡丹の周りを桜吹雪が舞っていた。 散りゆく桜の花は、私を懐旧的な気分にさせた。 それに対して、牡丹はどうだろうか。 地面に落ちるその花は私にとって恐ろしく、とても不気味なものに見えた。 両者とも「終わり」の姿であ
人生で初めて占いに行った。 自分の望む進路の後押しをしてもらった形となる。 「自分は何を望んでいる?」 ここ数ヶ月繰り返し問うていた。0だったように見えていた答えは、いざ向き合う勇気を得ると明確に見えた。 さて、挑戦したい自分の存在を認めると、欲が出たように思う。 「難しいよ」「何言ってんだ」「大した能力も無いくせに」 笑われるだろうか。眉を潜められるだろうか。 それでもいいかな、って思えるんだ。 今まで「それなり」に上手くレールを歩いてきた私がそう思うんだ。
(人に見られることを考慮していない不快な文章ですので、お気をつけ下さい) 進めない。 一人暮らしを始めて早4ヶ月が過ぎようとしている。 自らを傷つける行為も減り、私は自由なはずだった。 両親に感謝の言葉を伝えられる余裕も出来たのに。 私は未だにここにいた。 やり残していることがある。 避けていることがある。 逃げていることがある。 見ないようにしているものがある。 だから、今日眠れない。 「嫌い」という言葉を使いたい。 今まで使ったことのない言葉。 周囲に促されなが
「頭の中にあるもの、見えているものが大きいんだろうね。そして、まだそれに耐え切れるキャパシティを持ち合わせていない。キャパシティは年々大きくなるものだけれど、思想がすっぽりと収まるような入れ物が完成する前に潰れてしまわないように気をつけなさい。そのためには、周囲に話したり、言葉にしたり、泣いたりすることが必要だと思うよ。君は周囲からかなりかけ離れているから、『意味がない』とか『稼げない』とか言われるかもしれない。生まれてくる時代が遅すぎたのか、早すぎたのか。それでも、自分を信
2019年4月30日、わたしは確かに完結させようとした。 いかに周囲に迷惑をかけないか 悩んだ末に選んだ手段は、とても古典的な方法で。わたしの手には麻糸が握られていた。 麻糸一本ではわたしの体重にとても耐えられない。 だから、三つ編みを繰り返して太く、強くなるように工夫した。 その作業は、最期の作業に相応しい気がした。 編みながら、ぼんやりとこれまでの人生を考えた。 わたしの人生はとても恵まれていた。 いつからだろうか、転落を恐れるようになった。 幸せを感じると、同時に