大人になってからの「頭が良い」って、どういうことか

会社を辞めて、自分で稼ごうとすればするほど、頭の悪さが私を困らせる。
学生の頃、「頭が良い」は「勉強ができる」と同義だった。
けれど、大人になって勉強の成績を出されることがなくなった今、私が「この人、頭が良いんだなぁ」と思うのはこんな人だ。

「違和感」を持てる人

例え話のバリエーションが多い人

自分の頭で考えられる人

「違和感」を持てる、何かに気づくことができるという人は案外少ない。
私は大概のことは「へぇ〜」と受け入れてしまう。
スーパーポジティブに言えば、器が大きいのだ。
けれど、頭が良い人たちは「それって変じゃない?」とか「こういう所が他とは違う」とか「それがダメな原因だ」とか、とにかく色々な事に気づいている。
気付かないと、何も始まらないのだ。

そして、例え話のバリエーションが多い人。
こういう人は、相手の文化を感知する能力が高く、それに加えて色々な文化における「普通」を知っている。
だから、同じ事柄を例えるとしても、「漫画オタク向け」の例えと「グルメな人向け」で例が違う。
知識の広さはもちろんだけれど、ある事柄の外側を剥いて本質だけにするのが上手なのだろう。

上記2つは、きっと、「自分の頭で考えられる」という能力があってこそ、可能なのかなと思う。
私はこれがどうしても苦手なので、どういうのが「自分の頭で考えられる」ということなのかの言語化もできないのだけれど、なんどなく「すべての行動に理由がある」ということなのかな?と思う。
その理由は「昨日読んだ本に書いてあったから」ではなくて、「昨日読んだ本にこういうことが書いてあって、あれやこれや自分の状況と合わせて検証してみたらやってみる価値があると思ったから」みたいに、「思考」が挟まれている。
もちろん、「昨日読んだ本に書いてあったから」という理由で素直に行動する能力も素晴らしいのだけど。

私は「考える」ということがどういうことかわからない…という困った状況なので、身近にいる頭の良い人に話を聞いてもらったり、こうして無理やりにでもnoteを書いてみたりしている。
訓練すれば、考えることができるようになる…という希望を抱いて。

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