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移住10年目のフリーランス。限りある命。老いと死は誰にでも平等に訪れるということ。

先日、愛猫が天国に旅立ちました。愛する家族を失って、力が入らず意気消沈していました。たかが猫です。ペットです。だけど生まれた直後からずっと育ててきたのです。
今までの人生、祖父母、父親、知人の死にも直面してきましたが、動物だからと言ってその悲しみが小さいということもないのですよね。
死というものに直面しながら感じることを、思い出とともに書き綴ってみたいと思います。


大事な家族の死

移住する際、私は2匹の猫と共にここに来ました。その猫たち、1匹は一昨年、もう1匹が先日亡くなりました。

10年前、猫たちは4歳。
人間でいうと20代前半といったところでしょうか。元気な盛り。

神奈川に住んでいた2009年、急に猫が飼いたくなり里親募集していた近くの方から譲り受けました。
野良猫ちゃんが生んだ子たちでした。お母さん猫はどこかに行ってしまったらしく、そのお宅の方が面倒を見ていたのです。3匹兄弟でしたがそのうちの2匹を引き取ることになりました。

ちょうどミルクの時期から離乳食に代わる時期。

それはもうかわいくてかわいくて、大事に育ててきました。

小さい時から食欲旺盛で、人間の食べ物もなんでも食べたがるので、困っていた時期もありました。
台所で鍋の蓋を勝手に開けて中身を食べていたり、作ったお弁当を冷ますために置いていたら食べられていたり、私も疲れていた時は時々ヒステリーを起こして怒りつけたりしたこともありました。
それでも、猫って飼い主を嫌うことはないのですね。嫌なことは忘れてしまうのか、いつでもそばに来てすりすりして甘えてきて、夜も布団の中に入ってきてみんなでぬくぬくと寝ていました。時々自分のしたことを反省したものです。

別れは突然訪れる

一昨年の12月のある日、夜に帰宅すると、いつも出迎えてくれるてんちゃんは玄関に出て来ず、元気がなく、じっとうずくまっていました。よく見ると部屋のところどころに吐いた跡がありました。
その何か月か前から、食べたものをよく吐くようになっていて心配しており動物病院に連れて行ったりもしていたのですが、検査してもこれといって悪いところは見つかりませんでした。
どうしたのかな、とも思いながら様子を見ることしかできず、フードの1回の量を減らしてみたりしていました。
今思うと、老化が進んできていて体の機能が衰えていたということなのでしょうね。
結局そのまま、夜中のうちに息を引き取ってしまいました。
ショックでした。どこも悪くないはずなのに…どうして死んでしまったのか。もっとちゃんと見ていたら死ななかったのかもしれないなどとも思いました。
この子は幸せだっただろうか。

そして2度目の別れ

それから1年4か月。残ったもう1匹は、生まれてからずっと一緒だった兄弟がいなくなり寂しそうでした。亡くなった直後は、それまでなかった泣き叫ぶような声を上げるようなことがよくありました。
少し経つとそれは落ち着きましたが、今度は私に対して『構って』攻撃が顕著になり、しょっちゅうこちらにすり寄ってきては『なでなで』を要求するしぐさをするようになりました。
私も、あとで後悔しないようになるべくその子の要求には応えるようにしてきました。
そして先日、最後の日が訪れました。
やはり少し前から徐々に食欲の低下が見られ、手を変え品を変え、何とか食べられそうなものを探しては与えていました。先週、病院で検査してもらいましたがやはり異常はありませんでした。
寝ている時間は増えていましたが、それ以外はこれといっておかしな様子もなかったのであまり悲観することもなかったのですが、やはりその最後の日は急に来たように感じました。
よく考えたら、一昨年の、もう1匹が亡くなるまでの様子と全く同じでした。
朝から繰り返し吐き、だんだん具合悪そうになり、頻繁に部屋の隅っこから隅っこに落ち着きなく移動してはうずくまる様子を見て、もう最後かもしれない。と思いました。
予想通り、予想に反してほしかったけど、その夜中に旅立っていきました。

後悔しないために

人も動物も、生まれてくればいつかは死ぬ。
長いか短いかはそれぞれ異なるかもしれないけど死は平等に訪れる。
時々、予期せぬ別れがあったり、残念ながら自ら終わりを決めたりする場合もあるけれど。
最後に後悔しないためにはどう生きたらいいのだろうか?
それは自分だけでなく、誰かがいなくなったときにも同じことで。
目の前にいる相手が、明日いなくなったら私は後悔せずにいられるか?
いなくなってから、あの時ああしていればよかったとか、あの時謝っておけばよかったとか思わないで済むような関係が築けているだろうか。
できてないなあ、と思います。
嫌いな相手に嫌な態度をとったままだったり、そんな大人げないことも数々思い当たります。
猫たちには、『この子たちがいつ死んでも後悔しないように、できる限りのことはしよう』と思っていました。それでも実際に死んでしまうと、まったく何の後悔もないかと考えるとそうでもありません。

後悔しないように接すること。相手が人間なら尚更ですよね。
聖人君子ではないのでなかなか難しいかもしれません。が、時々このようなことを思い出して、後味の悪い接し方はないようにしたいものです。

自分の人生も同様

そして何よりも自分の人生ですね。死ぬときに後悔しないように生きたい。
何のために生きるのか、自分はどうしたいのか、何が幸せなのか。
与えられた限りある時間を、できるだけ幸せに、楽しく、心豊かに送りたいと強く思う今日この頃です。



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