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推しを手放す

この8か月間、ずっと違和感がありました。
自分という存在に。

親子ほども歳の違う、20代半ばの推しを好きになった自分に。

彼のドラマを観て、
歌を聴いて、
本当に彼に恋をしていました。

毎日SNSをチェックして、
投稿があれば飛び上がって喜び、
いいねを押して、
何時間もコメントを考えて、
書いては消し、
書いては消し、
(相手にいちいち通知が行っていないことを望む)

ファンダムに入って、
センイル広告へわずかながらの寄付をして、
喜んだりしていました。

そんな推しはもう、
他人とは思えず、
友人みたいな、
恋人みたいな、
家族みたいな、
そんな存在になっていました。
勝手に。

しかし一方で、
若い男性である推しを欲する自分に、
戸惑い、
困惑し、
老いを感じ、
絶望していたことも確かです。

そして何より恥じていました。

私はどんどん歳をとってゆくばかり。
一方推しはこれから男盛りの年代を迎え、どんどん輝いていくだろう。
推しとの年齢差は縮まらない。

もし、こんな灼けつくような苦しみが一生続くなら、
いっそのこと死んでしまいたい。

だって、どんなに望んでも、推しは手に入らないのだから。

しかし、昨日になって突然、
推しへの思いが薄れていることに気づいたのです。

なんということでしょう。あれほど苦しかったのに。

SNSを見ても、ほとんど何も感じなくなりました。
演技や歌の才能を賞賛する気持ちは変わりません。

しかし、灼けつくような恋心、抱きしめたくなるような母性愛が
彼に対して、生まれなくなったのです。

そして、気づきました。

ああ、私は

推しを手放すことができたのだと。

今までは、推しのドラマ以外には興味がなかったのですが、
今はもっと自分と年齢層の近い俳優さんが出ているドラマに挑戦してみようと思えるようなりました。

この8か月間は何だったのか。

走馬灯のように、20代半ばだった自分の恋愛を追体験しているようでした。

そしていま、追体験を卒業して、心と肉体が年相応に合致しているのを感じます。

推し君のおかげで、韓国ドラマの世界が開けました。
それは確かです。

ありがとう、推し君。
これからも、いちアーティストとして、応援していきます。



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