見出し画像

「桜の木々の下には」(元にした作品:梶井基次郎『桜の樹の下には』)


「僕は前々から思っていたんだが」
「何だい」
「人間というのは何故ああも勝手なのかね」
 気のいい桜はまたかと思った。隣に居る口の悪い桜は、毎日何か文句を言わなければ気が済まないらしい。
「春に我々が咲くのは自然の摂理だ、営みだ。それをああも浮かれ騒いで飲んだくれ、花が散れば見向きもしない」
「それも人間の営みなんだろうよ」
「ハン!君は言葉の意味を知らんね。営みとは種の存続に欠かせない行動を言うのだよ。酒を飲んでゲエゲエ吐いて肝臓とやらを壊すのが、どう営みなんだ。自殺行為だよ」
「君は難しい言葉をよく知っているねぇ」
 口の悪い桜はフフンと鼻(花)を高くした。
「そりゃあ僕は君とは違って、普段から情報収集を欠かさないから。君、聞いてみたまえよ。小鳥の囀りや風の言葉を。随分遠くからの話も集められるもんだぜ」
「君は物知りだねぇ」
 口の悪い桜は、まさにこの言葉を待っていたのだった。フフンフフンとふんぞり返っている。
 気のいい桜は去年この桜並木に加わった。列の一番端なので、隣はこの口の悪い桜しか居ない。
 当初は物知りで親切な桜だと思ったが、暫くすると知識をひけらかすのが好きなだけだと分かった。
(それでもいいさ)
と気のいい桜は思う。
「いい天気だねぇ」
「は?」
 気のいい桜の毒のない言葉に、口の悪い桜はぽかんとする。
「・・・てことは、今日も人間がたくさん来るな。やれやれ」
 気のいい桜は足元を見る。花筵が広がっている。
(自分はそんなに人間が嫌いな訳じゃないんだがなぁ)
 人間はせわしく、難しそうに生きている。大のオトナが足を止め、頭上の桜を見てほんの数秒寛いだ顔を見せると、もっとゆっくり見てお行きと言いたくなる。

 一人の年寄りがやって来た。タクシーを降り、気のいい桜の元に立つ。鞄から取り出した手帳を見て深く頷き、腰を下ろした。酒も弁当も出さない。ただ桜を見上げている。
 気のいい桜と口の悪い桜は年寄りを見下ろしていた。

 一人の女性がやって来た。年寄りがよっこらしょと腰を上げた。

「この木ですよ」
「ああ、こんな所に」
「台風で倒木がありましてね。その後が空いてたんで、ここにしたんです」
「樹木医さんが教えてくれてよかったです。まさか小学校が統廃合されて校庭がなくなるなんて思わなくて」
「その点ここは神社の参道ですから、なくなりゃしませんよ」
「本当に良かった・・・」
「この参道はねぇ、桜の駆け込み寺なんですよ。ほら、高さや太さが揃ってないでしょう。種類や樹齢が違うんです。一番古いエドヒガンなんか戦前じゃないかって言われています」
「駆け込み寺?」
「工事や何かで行き場を無くす桜が割とあるんですがね、植え替えるっても費用も掛かるし場所も無いし。悪くすりゃ燻製のチップになっちゃいます。でも地域の人の善意で保存される桜はここに行き着くんです。不思議とここに来ると桜も根付いて長生きするんですよ」

 最後のひと言に女性は微笑んだ。鞄から額に入った写真を取り出して、気のいい桜の根元に置いた。
「入学式をこの桜の木の下で撮ったんです。その時に、卒業式もここで撮ろうねって約束したんです」
 年寄りは何とも返事のし難い顔で俯く。女性がカメラを取り出すと、年寄りが手を差し伸べた。
「私ゃ下手ですけど」
 写真の横に女性が立つ。年寄りは何回もシャッターを切った。
「ありがとうございます」
 女性は静かな顔をしている。
「この桜の下にはあの子との思い出が埋まっているんです」

 気のいい桜は女性と子どもを思い出そうとしたが、出来なかった。桜の記憶は年毎に、花と共に散ってしまう。そうしないと次の年に綺麗な花が咲かないから。重苦しい記憶を捨ててしまわないと、軽やかに花びらが舞わないから。
 桜に心を寄せるのはいつも人間の方だ。桜は忘れてしまう。稀に強い想念が残ることもあるが、花が散る毎に青空に吸われていく。
(一体何が埋まってるってんだろう)
 口の悪い桜は根っこを動かしてみた。ミミズを驚かせただけだった。
(だけどもしかして、もしかして本当に俺たちの下に何か埋まってるのだとしたら)

 その時、参道の桜並木が一斉に散った。
「ああ!」
 女性が手で顔を覆う。花びらが滝のように降り注いだ。

      入学おめでとう

  おう新人、いい場所取れたじゃないか

             この桜が最後かしらねぇ

   僕と付き合ってください

      お婆ちゃん、来年も来ようよ

 僕は靖国には行かない  

         君の元へ 君が待つこの桜の元へ帰ってくる

・・・さん    お・・・さん・・・・

おかあさん!!
 
 女性が目を開ける。そこには花が、ただ風に舞う花びらがあるばかり。
「・・・今、何か聞こえませんでした・・・?」
 年寄りは目を背けた。
「さぁ・・・私ゃ耳が遠くて」

 女性と樹木医は帰って行った。
 口の悪い桜と気のいい桜は、その後ろ姿をずっと見ていた。

 桜の下には。この国の、桜の木々の下には・・・

 口の悪い桜が咳払いをした。
「僕は前々から思っていたんだが」
「・・・何だい」
「その・・・君のその枝振りは、仲々良いね」

                         (了)




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?