「色」(原作:堀辰雄『聖家族』)
(補足:「聖家族」の美しい装丁込みの創作)
(↓以下本文↓)
「産衣って白が多いわね」
カタログを見ていた妻が言った。夫が
「赤ん坊は真っ新な状態で生まれてくるから、じゃない」
と言うと
「死装束も白よね」
妻は真顔で言う。
妻の腹には胎児が宿っている。
大学で哲学を学んだ妻は普段から理屈っぽく、他愛ない会話も妙な結論へ持っていく。
「死者の色は白なのに、死者を悼む色は黒」
妻の言葉は会話のような独り言のような。夫は黙って聞いている。
「花嫁衣装も白ね。今までの自分が死に、新しい自分に生まれ変わる。そういうことかしら」
夫は尚も黙っている。
妻のこういった議論めいた独り言は癖のようなもので、何も相手の返事を期待していないのである。
妻は首を傾げて考え込んでいる。夫は思う。
(あれは多分、自分は結婚した時に生まれ変わったかしら?と考えているのだ)
妻は純粋に、暮らしや金といった現実的な議題を他所に置いて、文字や言葉や思考と戯れるというまことに金の掛からない趣味を持っていて、世の中うまくいったことには夫は大変に実利に長けており、遊泳する熱帯魚を鑑賞するように、彼の趣味は妻の観察であった。
(二人の間にはいったいどんな子が生まれるのだろう)
彼が建てた新居という水槽の中に、卵を抱えた美しいサカナ。
長い髪をゆらゆらと泳がせている。
出産を迎えた。
大変な難産であった。妻は痛みと出血に苦しみながら、股から出たばかりの我が子を見た。
「真っ赤だわ・・命の色は赤・・・」
新発見を喜びながら、妻は死んでしまった。
それから2年。
夫の実母が家を訪ねてきた。
「もう2年も経ったのだから、そろそろたづ子さんのお骨を納めなさい。いつまでも手元に置いておくと成仏出来ないわよ」
夫は妻の遺骨と暮らしていた。
母親はため息をつき
「どうしても納骨が嫌ならと思って・・」
とパンフレットを差し出す。
『遺骨からダイヤモンドを作ります』
というタイトルは夫の目を惹いた。
真っ白に乾いた妻を煌めくダイヤにする。そのアイディアは夫を魅了した。
母親は家の中を見回し、ため息をつく。
「たづ子さんが居た時のままなのねぇ・・・」
時が止まったままの注文住宅は、水を換えない水槽のようで哀しい。
「あらっ?あの子は何処」
夫もハッとして顔を上げた。二歳の娘は好奇心旺盛でよく悪戯をする。二人で探していると
「あら、まぁ!どうしましょう」
母親が素っ頓狂な声を上げる。飛んでいくと
「うふふ、うふふ」
亡き妻の鏡台から口紅を取り出し、唇を赤くしている娘の姿。
母は祖母の顔になって笑っている。
「あらあら、まぁまぁ。美人さんになっちゃって」
「うふっ」
(あっ・・・)
父親が立ち尽くす。娘の顔が、妻と重なった。こんなに幼いのに。まだ赤子が抜け切らないような娘の顔には、しっかりと妻の面影がある。
「彩・・・」
「ぱ、ぱ」
父親が娘を抱き締める。
(一瞬だ。俺たちが家族になったのは一瞬だった・・)
その一瞬を妻は駆け抜けてしまった。だがその一瞬は永遠だったのだ。妻がいつか言っていた。時間の概念は主観によるのだと。
無色透明の涙が、父親から娘へと注ぐ。
「うっ・・・うっ・・・・ひっく。あ、彩。彩・・・たづ子ぉ・・・・」
父親は天を仰いだ。
「神様、かみさま。お願いですから、この子の人生に彩りを。数限りない幸せをこの子にください」
虹色の雨がやさしく大地へと降り注ぐ。
幸あれかし。
この世の哀しみの全てに、幸よあれかしと。