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「食べる音楽」リターンズ

No.4 コーヒーと朝食と私

シュレンドリアン:
悪い子だ、おまえは、不躾な娘だ
ああ、おまえがコーヒーさえ止めてくれたら良いのに
リースヒェン:
お父さん、そんなに厳しくしないで
もし一日3回のコーヒーが飲めなかったら
がっかりして干からびたヤギの肉みたいになっちゃうわ
J.S.バッハ<コーヒー・カンタータ>より

 筆者は、バッハの<コーヒー・カンタータ>に登場する娘、リースヒェンに勝るとも劣らないコーヒー中毒者である。イタリア在住時は、一日に3~5杯のエスプレッソを消費していた。さすがに夜のコーヒーは控えようと思ったものの、手にした代用飲料が結局カフェインレス・コーヒーであったため、自身の業の深さに苦笑を禁じえなかった。お気に入りはエスプレッソに牛乳、砂糖マシマシの全部入れである。牛乳は温めたものでも冷たいものでもOK。つまり前者はカフェ・ラッテであるし、後者は昔懐かしいビン入りコーヒー牛乳のような味わいになるわけだ。

 ボローニャでのお気に入りのバールは街でも老舗の店らしく、しばしばバリスタ見習いの若者が研修に来ているようだ。この店のミルク入りコーヒーの美味さの秘密は、どうやらカップにまずミルクを少量入れておき、その上にエスプレッソを注いだ上、さらに泡立てたミルクを加えることにあるらしい。特にミニ・カップッチーノとも言うべきカフェ・マッキアートにおいては、このひと手間が、味わいのバランスを決定する重要な作業となる。

 日本でカフェ・マッキアートを注文すると大抵の場合、エスプレッソに温めたミルクの泡部分だけをのせるため、ミルクの味がしない。これはコーヒー牛乳好きにとって由々しき事態である。その点、この店の味はデミタス・カップという小さな空間に満たされた宇宙とでも言えようか、量は一口分であるにも関わらず、匂い立つ豊かなエスプレッソの香りとなめらかな乳脂肪の味わい、そして口中をくすぐるフォームド・ミルク、そして最後にカップの底に残る砂糖の甘みが絶妙なハーモニーを奏でている。

 イタリアでの朝食は、大概甘いパンとカフェ・ラッテなどのミルク入りコーヒーが主役である。朝のバールは出勤前に手軽な朝食を取っている人々で混み合う。バリスタはガラス扉の内側から常連客を認めるやいなや、獲物を見つけたスナイパーが銃に弾を込めるが如く、フィルター・ホルダーのバスケットにコーヒー粉を詰め始める。そして客がカウンターに到着する頃には、すでにトッピングされたカカオも香しいカップッチーノが準備されているのだ。

 なじみの店で「いつものやつ」がサッとカウンターにのせられたときの優越感にも似た、少々こそばゆい気持ちは一体何なのだろう。これでその日一日、なんとなく幸せに過ごせるのだから、バールはコーヒーの味とサービスにこだわって慎重に選ぶべきだろう。ただ、この素晴らしいサービスにもひとつだけ欠点がある……それは、その日たまたまフレッシュなシチリアン・オレンジジュースが飲みたくなったとしても、目の前に差し出されたカップッチーノをとりあえず飲まねばならない、ということだ。

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