うらべまゆみ

アラフォーになって、グッと生きやすさを感じている独身女。コンプレックスの塊。人生迷走中。

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マガジン

  • ピースボートと私

    ピースボートに対しての、超個人的な感想と回顧録。

  • 【映画】ミッドナイトスワンの私的解釈と感想

最近の記事

瞽女(GOZE)を観てきたぜ

瞽女(ごぜ)観てきました。 ウソみたいだろ、私の携帯では変換出来ないんだぜ…。 最近まであった職業なのに。 瞽女って何?って思った人、検索してみて。是非。 いや、凄かった。過酷。 私やったら、序盤で死ぬ。 こういう映画見たときの私の感想は2つ。 私、恵まれた環境で生きてるな 過酷だけど、ドラマチックやな どこかで、ほんの少しだけ、誰にも真似できない人生を羨ましく思う気持ちもあり、でも、いわゆる五体満足で生きている幸せも感じてしまって。 そもそも、人の人生と比べて「私

    • 【映画】星の子を見て

      小さい頃から、宗教はずっと身近にあった。 私も病弱だった。 中学生の頃、遠藤周作の「沈黙」を読んで以降しばらくの間、宗教は近づいたら取り込まれるブラックホールだと思っていた。 遠藤周作が「沈黙」で、そんな事を伝えたかったかは知らんけども。 信じられる確固たる何かを持ってる人って、すごく強かったり、優しかったりするけど、踏み絵を拒否して殺されるのって本末転倒なんじゃ?と思って。 私は死ぬほどお腹が痛い時とか、大事な待ち合わせに遅れそうな時とか、ありとあらゆる神様に神頼み

      • 【映画】ミッドナイトスワン わたし的解釈その4

        海外の雑多な街並み。場面は病院に移る。ナギサは病院着を着ている。 あぁタイに来たんだな、性転換手術受けるんだなと思った。 なかなか衝撃的な手術のシーン。想像しかできないけど、死ぬほど痛いだろうなと思った。 コンビニの前でたむろする中学生。やさぐれたイチカの姿もある。 赤い車がコンビニの前で止まり、イチカに乗るように促す。赤い車を運転する男性は、母サオリの彼氏だと思った。 自分が居ないと母が生きていけないと思って、東広島に帰ったのに、彼氏を作ったからやさぐれたんだな。と解釈し

        • 【映画】ミッドナイトスワン わたし的解釈その3

          益々、バレエに精を出すイチカ。ナギサもそれを見守る。 かけた愛情分、バレエが上手くなって行くイチカに、飼っている金魚とは比べ物にならない充足感を感じたんだと思う。誰かに必要とされて、誰かの為に生きる喜び。 イチカのためにお昼の安定した仕事に就こうと考えたナギサは面接を受けるが、LGBTに理解があるとは思えない対応をされ、また心にヤスリがかかる。 断られたのかな。きっと。 バレエ教室に月謝の支払いを待ってもらう様お願いしに行ったら、先生から月謝を免除にしても良いと言われる。だけ

        瞽女(GOZE)を観てきたぜ

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        • ピースボートと私
          12本
        • 【映画】ミッドナイトスワンの私的解釈と感想
          4本

        記事

          【映画】ミッドナイトスワン わたし的解釈その2

          バレエへの想いを募らせ、体験レッスンへ行くイチカ。 先生から運動できる服はあるか?と聞かれ体操着を出す。トウシューズがなく困っていると、同世代の女の子が二つ持っていると言って貸してくれた。着替えた体操服は汚れていた。 イチカへの虐待は暴力とネグレクトだなと思った。 先生からバレエ経験を問われ、あると答えていたが、踊りのクセが強かったり、バレエ用語をよくわかっていない様子から、バレエをならっていたのは小さい頃の短期間だったんじゃないかと推測した。 まだ、お父さんがいた頃とか、シ

          【映画】ミッドナイトスワン わたし的解釈その2

          【映画】ミッドナイトスワン わたし的解釈その1

          とりあえず、観てきてほしい。観てきたらいいと思う。 1900円以上の価値はあると思う。きっと、お値段以上は感情を揺さぶられると思う。それは、感動かもしれないし、ショックかもしれないけれども。 そして、感想を聞かせてほしい。 ちなみに私はショックだった。 では、自己解釈を書いていきます。ちなみに原作は読んでいないので、映画のみの感想です。原作読んだら、違う感想になったり、疑問やツッコミが解消されるかもしれませんが、あしからず。 東広島に住む母子家庭の少女、イチカ。 母

          【映画】ミッドナイトスワン わたし的解釈その1

          黒いGの話

          苦手な人はそっと閉じて下さい。 今日、創作日本舞踊を見に行った。 芸術的素養0の私の感想は 楽しそうに踊るなぁ… 身のこなしが綺麗だなぁ… だったのだが、 公演終盤、着物の上に黒い羽織を来てサングラスをかけた人が、摩訶不思議な動きをしはじめた。 Gである。 真夏に元気なアイツ。 沖縄で、デカイアイツ。 インドネシアではさらにデカイアイツ。 遭遇すると、高確率で女子が悲鳴を上げるアイツ。 何十年も日本舞踊を踊ってきた人の本気のG。 紛れもなくG。 着ぐるみ着たりしてるわ

          手を褒められてコンプレックスが1つ増えた話。

          19歳の頃、偶然隣に居合わせたおばぁちゃんにものすごく手を褒められた。 私の手にはコンプレックスが詰まっている。 赤ちゃんぐらい柔らかいが故伸ばせず短い爪 右手の甲にある火傷痕 ある日、映画館で、私の左側に座っていたおばあちゃんが興奮した様子で私の手を取り、「まぁ!なんて可愛い手!!」と言った。 びっくりしたのと、意味がわからなかったのとでプチパニックになりながらも「あぁ…ありがとうございます」と答えると 「赤ちゃんみたいに手にエクボができてる!こう言う肉厚な手はマッサ

          手を褒められてコンプレックスが1つ増えた話。

          ピースボートと私 その後

          船を降りた後、結局何がしたいのか、何をしたらよいのか定まらなかった私は、とりあえずアルバイトを始めた。 一年間ちょっとの間、アルバイトをしながら父親に借りた船賃を返済する生活が続いたが、母の知り合いからの頼みで、生命保険の営業をすることになった。 全く興味がないどころか、むしろやりたくない仕事だと思っていたけど、保険の勉強は奥が深くて意外に楽しく、ためになった。 周りの人にも恵まれ、なんだかんだ3年ほど働いたが、役に立てる時が悲しい出来事の事が多くて、このまま一生続けて

          ピースボートと私 その後

          ピースボートと私 終わり

          44回地球一周の船旅は、私の初めての海外旅行でもあった。 舗装が甘く、穴だらけの道路。 道に座ってお金を無心している障がい者。 追いかけてくる子ども達。 信じられない位青く綺麗な海。 満天の星空。 ミドリ亀ぐらいの大きさの昆虫。 とにかく全てが衝撃的だった。 いいとか、悪いとかじゃない。 口に合う料理も、口に合わない料理もあったし、合う人も、合わない人もいた。 素敵だなと思う事も、理解出来ない事もあった。 それは船で立ち寄った寄港地だけでなく船内での出会いでも。 家から

          ピースボートと私 終わり

          ピースボートと私 その11

          神戸から乗ってきたルームメイトは、 ドレッド頭で陽気な子 大人っぽく色気のある子 アメリカに留学しているクールな子 三者三様で、今まで出会ったことないタイプの人種だった。 最年少だった私は遠慮に遠慮して右上のベッドを使う事になった。 その夜、知恵熱を出しさらに外海の揺れの洗礼を浴びた私は、最初の寄港地の沖縄につくまで、何も食べられずベッドから降りられもしなかった。 スタートダッシュに失敗した私は、その後も持ち直す事ができなかった。 PAチーム(音響スタッフ)に所属してみた

          ピースボートと私 その11

          ピースボートと私 その10

          出航当日は母と祖母が、見送りに来てくれた。 ボランティアスタッフをはじめて、知り会った友達から餞別にCDとポロシャツをもらったりなんかもして、ギャン泣きした。 出航式と言えば紙テープ!も投げたが、切れて海に落ちた。 出航時に渡された鍵で部屋に入ると、誰もいなかった。 船室に積み込まれていた荷物を確認したところ、みんな関西の住所だったため翌日乗船してくるんだな。と理解した。 自分が使うベッドもロッカーも決められないので最小限の荷物だけほどいて、出航パーティーや、スポーツバー

          ピースボートと私 その10

          ピースボートと私 その9

          ボランティアスタッフだけ頑張れば船に乗れる訳じゃない。 船賃を全額ボランティアスタッフ割引で貯められたとしても、ツアー代金や諸経費は支払わなければいけないし、ビザやパスポート取得等の事務手続きもしなければならない。 乗船直前になっても、40万円程度しか割引が貯まっていなかった私は、到底船に乗れる状態じゃなかった。 旅行会社の担当スタッフからの電話も、出なかったり、のらりくらりした受け答えをしていた。 船に乗るサポートの大変さを知る今となっては、過去に戻って全力で詰め寄りたい

          ピースボートと私 その9

          ピースボートと私 その8

          ボランティアスタッフになると大抵の人が乗船を目指すクルーズを決める。 私はクリスマスに出発する南回りの44回クルーズに乗船することに決めた。 私がボランティアスタッフに登録してから船に乗るまでに、二回クルーズを見送った。 組長は43回クルーズへの乗船を決め、ルパンは44回への乗船を決めて留学へ旅立った。 旅立っていく人が入れば入ってくる人もいる。 テレビのチャンネルが2つしかない田舎の宮崎出身なのに、同じ年ながら既に乗船経験があるモテ男。 その親友で一見超クレイジーだけ

          ピースボートと私 その8

          ピースボートと私 その7

          受験に落ち、バイト面接に落ち、人間失格の烙印を押された様に感じた私は、同居の男子大学生に事の顛末を話した。 ルパンみたいな見た目の大学生と藤原組長みたいな見た目の大学生に、そんな怪しいヤツが、受かるわけないじゃん!と言われた。 17年前の日本にはシェアハウスという概念が定着してなかった。 面接最中の店長の顔を見て、この人の理解の範囲を越えたということは、鈍い私でも感じていた。だがしかし、嘘をつくという選択肢はなかった。 嘘は嘘を呼び、不用意な発言から綻びが生じる。 後日

          ピースボートと私 その7

          ピースボートと私 その6

          3LDKのシェアハウスには既に、ボランティアスタッフの男子大学生二名と男性スタッフ、女性スタッフがそれぞれ一名の計四名が住んでいた。 中々に荒ぶった状態の部屋に布団を運び入れた両親は、「まぁ…娘を宜しく」と言い残し山口へ帰って行った。 我が両親ながら肝が据わっていると思う。 私なら躊躇する。 ピースボートセンターには本当に色んな人がいた。 大学を休学してる人、自衛隊を除隊した人、高校中退した人、会社辞めちゃった人、大学生、高校生、専門学生、会社員、フリーター、おじいちゃん、

          ピースボートと私 その6