価値観を捨てる

娘の不登校により私はこれまでの自分の価値観を全てと言っていいほど捨てることになった。自分が縛られていたことは誰かがその方が良いといったこと。自分がどうしてもと思うことは少なかったように思える。人に合わせて生きる。どちらかといえばその方が楽だからそうしてきたのだろう。まさに日本人に多いタイプの人間だった。

ただ娘が学校に病気で行くことが出来なくなり、そんなに無理していく必要などどこにもないことに気づかされる。学校の先生自体凝り固まった価値観しか持ち合わせていない人も多い。夫も自分の価値観しか正しいと思っていなかった。ただその価値観は自分由来のものかどうかは怪しい…誰かや世間の価値観を自分のものにしてしまっている人が多いのではないか。

多少無理をしてでも学校へは行くもの。そして高校へ進学し出来れば大学へ。子どもは明るく元気なもの。誰とでも仲良く。授業は静かに聞く。そして元気に手を挙げハキハキ発表する。宿題は忘れない。遅刻はしない。多少しんどくても学校や会社は休んではいけない。食事は塩分控えめに。外食やインスタントは身体に良くない。なんでも手作りが一番。ある程度の年齢になったら結婚し子どもを産む。学校の先生は正義感あふれている人がなっているもの。授業にいけない子には補講などしてくれるもの。教育を受ける権利はどのような子どもにも平等に与えられているもの。

どれもこれも当然のことと思っていたがこうなってみるとどれもこれも当然でない。むしろ出来ないことや違うことだらけ。

娘が不登校になり私はこれまでの自分の価値観を少しずつ捨てていくことになった。そしてそれとともに自分の気持ちはとても楽になった。娘もおそらく私から知らず知らずのうちに植えつけられていた価値観に縛られているところが苦しい要因の一つだと思う。

私は娘の状態を近くで見てそれを病院や学校でなんとか良い方法はないかといろいろな人に話していく中で諦めたりそんなことにこだわっていては良くならないと改めたりしていく中で価値観を変えて行った。しかし夫はこの間何も自分から行動をしなかった。病院でどう言われたのかとか一緒に病院へ行こうとも言わなかった。娘の言動に何も言わないようにとは言った。仕事もしていた。そこは文句はない。ただ私も仕事もしていた。そして娘のことに対しては言わないにも程がある。家事は私がほぼ全てしていた。学校の対応、病院へ連れて行くことすべて私がしていた。それに対して今どうかとも聞かれたこともなかった。どういうつもりなんだろうと思ったが私の心も疲れ果てていたのでそんなことを言い争う余裕は残っていなかった。食欲もないのにご飯を作り、眠ったままの娘の部屋のカーテンを空け電気をつけて出勤。電車ではいろいろ思うと自然に涙が止まらなかった。帰ってきたらさっき起きたばかりの病んでいる娘に病んでいることをなんとか見せずに母をする毎日。

娘と夫

娘がまだ学校へ行ったり行かなかったりの頃、会社の新年会に参加し帰ってきたら娘と夫がケンカしていた。そっとしておけばいいのに。いつも2人きりだと揉める。夫の中で普通に生活できていないことが肯定できないままなんだろう。夫は2人だとこうなるから家にいない方がいいと何処へ出掛ける。私は娘を1人にする訳にも行かずどこにも行けず。不公平だと思う。小さい頃から2人でいようと努力してなかったから、今から楽しく過ごせる訳ない。私が休みの日や夜に一人で出掛けたのが15年の間で数回。子供が小さいうちは当たり前といわれたらそれまでだけど、親が近いとか預かってくれる人がいる人は1人で出掛けている。息抜きがないまま15年間やってきた。私自身の心がヤラレても無理はない。

娘が高校生になったら離婚しよう。出来るだけ娘が苦しむことの少ないタイミングで。そう思うようになった。


ご支援いただければ嬉しいです。何らかの理由で学校に行けず困っている子どもたちやその周りの人と繋がり、自由に生きてよいし、何度でもやり直せるということを広めていきたい。