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海外挑戦した理由 Part2

前回のnote、

自分がなぜ海外でアイスホッケーをしようと思ったのか。
理由は
・単純に海外でホッケー選手として活動してみたかった
・海外でやるしかなかった
大まかに言うとこの2つの理由。

そのうちの一つである「海外で選手活動してみかたった」という理由についてお話ししました。

今回は2つ目の理由。
「海外でプレーするしかなかった」ということについて細かくお話ししていきます。

なぜ海外「しかなかった」というの言い方か。このような考えで海外へ行こう思うようになったのは大学3年生の頃からです。

法政大学3年時 全国優勝13回の古豪


端的に言ってしまえば
日本にはトップリーグしかないから。

夢のまた夢の「NHL」

前回お話ししたように、僕は歳を重ねても海外への憧れは強かったです。海外のプロでやりたい。大歓声を浴びてスーパーセーブをみせたい。て思っていました。
そんな僕にとっては「海外しかない」なんて思うことは本当はないはずです。むしろ喜ばしいんじゃないかって。
しかし大人になって僕の気持ちには少し諦めが入っていました。
僕が子供の頃憧れていた「海外のアイスホッケー」というのは「NHL」でした。
けど自分は日本の大学でプレーし、歳はもう20歳を過ぎている。
その時にはもうその憧れていた一番の舞台に立つのは現実的に難しかったのです。

北米以外の国の出身でNHLの舞台に立つような選手は、18歳19歳、それ以下の時点で北米や欧州の主要リーグに所属しており、そんな若さでもチームの主力として成績を残している選手。また出身国の代表の主力としてプレーしている選手がほとんど。
たまに遅咲きの選手はいてもそれでもプロレベルである程度結果は残しています。
もし日本人がNHLを目指す場合は、上記のように若い頃から海外へ行き実績を残すか、日本でプレーしていたとしても当たり前のように世代別代表やフル代表に選ばれ、主力として国際大会で活躍することが必須でしょう。
NHLでプレーした唯一の日本人選手、福藤豊選手はそれを実現していました。高校生の時に飛び級で20歳以下の日本代表でプレー、20歳の時には既に国内リーグのGKでトップの成績を残されていました。

僕にはそのような経験がなかった。経験がないまま20歳を過ぎてしまった。
代表としての公式戦出場経験はない。海外のリーグに少しでも所属したという経験もない。大学でトップの成績を残したわけでもない。
そんな自分がNHLでプレーする確率は100%中5%もないでしょう。
NHLどころか他の海外主要リーグでさえも難しいかなという状況でした。

子供の自分を思えば、もちろんその現実は悲しかったです。

強豪チームに所属するも優勝は経験出来なかった


日本にはトップリーグしかない

でも「NHL」への憧れは消えかけても「プロ選手」への憧れはまだ強かった。
そこで僕は「まず日本のプロになって、代表レベルになろう」と思うようになりました。
そうなれたら海外リーグも少し希望が見えるかもと。

しかし、それも僕にとっては難しかった。

なぜか。

ここで冒頭にあった「日本にはトップリーグしかない」ということがやっと出てきます。

日本のプロチームと呼ばれるのはアジアリーグに所属する5チーム。(僕が大学卒業するときはまだ4チーム)
そしてそのアジアリーグは日本のアイスホッケーのトップリーグであるが、その下にプロリーグ、下部組織などはない。
つまり、トップリーグの選手になれなければ、その4チームのうちどこかに所属しなければ、日本ではプロアイスホッケー選手になれないのです。
ですが当時どのチームにも僕のプレーできるスポットはなかったと思います。
外国人GKがいて、福藤選手がいて、代表経験豊富な選手が控えにもいて。
例え、チームに入れたとしても2年は試合に出れなかったでしょう。
そうすれば、若い時に試合経験を積めないため、伸び悩み、目標である日本代表になることも難しくなってきます。
(そんな中、大学卒業して間もなく活躍した同級生の古川駿選手は本当にすごいなと思います。)

古川選手 大学で何度も対戦 一緒に練習することも多かった


アイスホッケー引退?

大学3年の終わり頃、
NHLも国内も。どちらも可能性が無くなりかけた僕にはアイスホッケーをやめるという選択肢もありました。
だって続けられるところないんだもん。
2軍とかマイナーリーグみたいなのは日本にはないし。
プロ選手になりたいと思ったのに、日本ではトッププロになれなければ挑戦を続けれるところはほぼない。

NHLの夢が破れて、国内でも結果は大して残せなくて。そんな結果で3歳の頃から憧れて一生懸命続けてきたアイスホッケーをやめるのは僕にとっては悲しすぎる。何も成し得てないという思い。ホッケーをここまで続けさせてくれた親にも申し訳ないと思った。

でもやっぱりまだ挑戦したい。何か結果を残したい。小さい頃からの夢を叶えたい。NHLは無理でも少しでもその舞台に近づきたい。ホッケーで親に恩返ししたい。
僕はそう思うようになりました。

その思いが絶望に近い状況で段々と強くなり、そこで初めてどこでもいいから、何でもいいからプロとして結果残してやろうという気持ちになりました。
海外なら複数のディビジョンがあって、本当に頑張って成績残せばコールアップ(上のリーグのチームに呼ばれて昇格すること)される可能性もあるし、日本より大きなリンクで大勢の観客の前でプレーできる可能性もある。
北米は年齢的にもレベル的にも競争がとても激しいから、まだチャンスのあるヨーロッパのリーグに行けばいいレベルてプレーできるかも。そこで活躍出来たら日本代表にも招集されるかもしれないし、という考えに至りました。

ヨーロッパには多くのホッケーリーグがある 日本はここでは一つ

そこからは僕は海外でプレーすること、どこのリーグでプレーするかだけを考えるようになりました。日本より強い国のリーグがいいな、トライアウトとか受けにいくのお金かかるだろうけど何とかしよう、コミュニケーション英語だけど勉強はしてきたしある程度経験あるし大丈夫だろう、とこんな感じで色々。
そうやって僕は、一度諦めそうになりながらも結局は自分が小さい頃憧れていた海外のアイスホッケーでの(NHLではないけど)選手活動に実際に挑戦しようという決意をしたのでした。


以上が、僕が海外挑戦をしようと思った2つ目の理由でした。
長文になってしまいましたがお分かりいただけたでしょうか?

ただ、これは僕が海外挑戦する前の話。実際に海外で3年やった今、当時とはまた違う新しい思考、憧れ、夢があります。今はそれを大事に活動しています。それが何なのか。それについては今後書いていきたいと思っています。
また、どうやって海外のチームと契約できたのかなど、その辺の話も書きたいと思います。


海外挑戦しっかりやり抜きます!

僕の活動、応援していただけると嬉しいです。


最後まで見ていただきありがとうございます!
今回はこれまで。

Ciao!


-UP TO ME-   伊藤崇之

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