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シンドラーのリストを入力した秘書のミミ・ラインハルトが107歳で死去

第2次世界大戦中のポーランドで、ドイツ人実業家オスカー・シンドラーの秘書として、多数のユダヤ人をホロコーストから救うためのリストを作成したミミ・ラインハルトさんが死去した。107歳。家族が8日、明らかにした。
https://www.afpbb.com/articles/-/3399473

【4月9日 AFP】

まずは、映画「シンドラーのリスト」で有名な涙腺の緩む美しい旋律を聞きながら、ミミ・ラインハルトさんの功績を偲びたいと思う。


「ミミ・ラインハルトさんをもっと知りたい」という方はこちら↓



【要約】
エルサレム(AP)
-オスカーシンドラーの事務所の秘書で、ナチスドイツによる絶滅から救ったユダヤ人のリストを入力したミミ・ラインハルトは、107歳でイスラエルで亡くなりました。

ラインハルトは木曜日に亡くなり、日曜日にテルアビブ近くのヘルズリヤで永眠することになりました。

彼女は、ドイツの実業家シンドラーがナチス当局に賄賂を渡して彼らを彼の工場の労働者として維持させた後、救われた1,200人のユダヤ人の1人でした。このアカウントは、スティーブン・スピルバーグ監督によって、高く評価されている1993年の映画「シンドラーのリスト」になりました。

ラインハルトは1915年にオーストリアのウィーンでカルメンコッペルとして生まれ、第二次世界大戦が勃発する前にポーランドのクラクフに移り住みました。ナチスドイツが1939年にポーランドを侵略した後、彼女はクラクフゲットーに閉じ込められた後、1942年にプラスゾウ強制収容所に送られました。

ラインハルトはキャンプの管理事務所の仕事を手に入れ、速記の知識を得ました。そこで、2年後、彼女はシンドラーの弾薬工場に移されることになっていたユダヤ人の手書きのリストをタイプするように命じられました。

「そのリストがそんなに重要なことだとは知らなかった」と彼女は2008年に世界ホロコースト追悼センターのヤド・ヴァシェムとのインタビュアーに語りました。クラクフの彼の工場で。「私はそれらをリストに載せなければなりませんでした」後に彼女は自分の名前と2人の友人の名前を入れました。

シンドラーの弾薬工場が収容されていたブリュンリッツ労働キャンプで、彼女はシンドラーの事務所で働くようになりました。

彼女は、終戦に向けてシンドラーの事務所で働いていたが、彼との個人的な接触はほとんどなかったと述べた。

「彼はとても魅力的な男で、とても外向的でした」と彼女は戦後数十年後に思い出しました。「彼は私たちをスカムのように扱っていませんでした。」

戦後、彼女はアメリカに渡り、2007年にイスラエルに移住するまで住んでいました。

〜 要約ここまで


カナダ時間の今日(4月12日)、私はクラシックFMで冒頭の曲の紹介と共にラインハルトさんの死去を知りました。シンドラーのリストでは男性で描かれていましたが、事実は女性というのも同時に知りました。

いま起きている「戦争」とは人殺しが正当化される現実。そして、いつも犠牲となるのは一般市民。今もウクライナはその犠牲を強いられているわけで、私も「自分にできることは、何か?」を考えてみたいと思います。

かなり昔ですが、ポーランドを訪れたことがあって、美しい古都クラクフにも立ち寄りましたが、アウシュビッツのガス室にも入ったことがあります。アウシュビッツは本来の旅の目的ではなかったので、意に反して立ち寄ることになった時は少し戸惑ったのですが…

たぶん、もう(絶対に!)生きている間には(ポーランドには行っても)アウシュビッツを訪れることは二度とないでしょう。そんな場所。最初で最後のあの時も行きたくて行ったわけではないけどね(その話は置いといて)。

死の壁というのも見たし、義手や義足、人毛で作られたブランケットも展示されていました。後にある人から「あれはナチスを陥れるためのプロパガンダで、実際は戦後に作られた負の遺産」と言われましたが、真実を知る由もありません。

しかし、人毛ブランケットを見れば、呪いをまとっての就寝なので悪夢にうなされること間違いありません。いくらナチスであってもそれはさすがに気色悪いはずです。就寝用だとしたら、プロパガンダもあながち嘘でないのかもしれません。ということで、是非、用途の提示もしていただきたかったなぁ。

それはさて置き、ガス室へ入るというので(ツアーの一部)私も入りました。「何のため、ここに人を入れるのだろう?」という抗議のような強い疑問が頭の中をグルグルと回っていましたが。まさか観光客を閉じ込めて毒ガスを流し込む気じゃ、、、というバカげた考えが過り、私はプチ・パニックでしたよ。

実際にガス室へ入ったことのある人は追体験ができます。「シャワーを浴びる」と聞かされたのに、お湯ではなく毒ガスと気付いた時の、不安や、怒り、無念さ、憤り、どんなに怖かったであろうか?という思いを瞬時に感じることができます。全く同じ場所での追体験です。

壁にはたくさんの爪跡も残っており、さすがに『固いコンクリートがこのように掘れるほど、人の爪って強いのか?』という疑問を持ちつつ、しばらくいると少し冷静さを取り戻している自分がいました。

と、まぁ、いろいろありましたが、そんな体験はご免だったので、入る前は「なぜ希望者だけにしない?入りたくない人だっているのに!」と日本語で吠えていたし、思っていました。

しかし、それではダメなのです。その理由は後で分かりました。

つまり、あそこが何をする場所で、何の目的のために入るのかを聞かされた人は誰もいなかったということ。そして、それも含めての追体験だったのです。同じ恐怖を味わってくださいというメッセージですね。

作戦は大成功で、案の定、私は旅行から戻っても、旅行前と同じ気持ちでは生活することができず、しばらくリハビリ期間が必要となりました。会社でのランチは一人でロッカーで食べ、人気ドラマの話題で盛り上がっている同僚をバカにし、テレビを生活から排除し、人と合わない時期が続いて、少し変な奴でした。

追体験は大切です。どちらに転ぼうとも。

私ごときが反戦を訴えたところで世の中に変化が起こるわけありませんが、だからと言って無関心で良いわけもありません。人ひとりの力は微々たるものでも束になれば大きな力になることも知っています。ですが、私に束ねる力があるならばSNSのフォロワーだって爆上がりしているはずで。

ジャーナリストは現地を取材し文章化して伝える、カメラマンは惨状を映像化して伝える、活動家は信じるモノのために動く、とまぁ… このように考えてみたら、どれも、それぞれの媒体で何かを伝え、感情移入させて、追体験してもらうことに注力を注いでいるのであります。

目や耳に映像や文章を届けます。それと同じように、音楽は直接、人の感情に訴えることができます。文章より写真、写真より映像の方が感情移入しやすく、追体験できるものと信じている。そこに音楽を乗せると、例えば「シンドラーのリスト」を見たことがある人なら分かるように、冒頭の音楽で悲しい気分を体験していただくのは、そう難しくないはずです。

ということで、締めは「音楽も追体験できるツール」として大いに役立ちます、ということを皆に知っていただきたいです。そして、それをnoteで伝えたいな、と思いました。

〜 ✳︎ 〜

最後に「もう二度と行かない」と言いましたが、人間として一度は訪れるべき場所でもあるような気がすますので、お題の「一度は行きたいあの場所」に応募しました。


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