芥川賞はVtuberと同じ

こんにちウ。昔、村上龍の2chのスレッドにこんな書き込みがありました。「"限りなく透明に近いブルー"はその時代の人間が当たり前にしてた事を書いただけで凄くない。」と。匿名の掲示板にそれを発言する事自体が呆れますが、少しだけ本質的な書き込みだと思う。芥川賞は一時的にニュースで取り上げられても、作家としてはすぐに忘れられる者ばかりで、残るのはキャラクターが立ってる人達だけだ。そもそも芥川賞というのは、年寄りのジジババの審査員達が、その時代に生きる等身大っぽい若者もしくは未成熟者のキャラクターを選出するのが目的なとこがある。「蛇にピアス(金原ひとみ)」「蹴りたい背中(綿谷りさ)」「推し燃ゆ(宇佐見りん)」「コンビニ人間(村田沙耶香)」。村上龍もその1人で、彼が新人賞の授賞式で両親に捧げたいと言うと叱られたというエピソードからもわかるように、作品と作者の乖離を求めていない。まるでVtuberみたいですよね?芥川賞はVtuberの箱(にじさんじホロライブ)のようなもので、権威付けでしかない。
匿名の掲示板の彼のように、その本人にとっては当たり前の事が、誰かにとっての価値のあるものにになる時代だからこそ、私達と有名人の境目は匿名でない事くらいだ。
私はそこにあるのは能力の差ではなく、がむしゃらに恥を捨てて晒す勇気じゃないかと思いました。

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