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何度も同じ悪夢を見る事と反出生主義について思う事

昔からよく見る悪夢がある。夢がマトリョーシカ上になっていて、悪夢が終わって目覚めた先にも悪夢があって醒めないという夢だ。
昨日見た悪夢は、何度も別の人間になって人生をやり直せる程テクノロジーが発達した世界で、どんな人間に生まれ変わっても納得できずに、繰り返してしまうという夢でした。

ちなみにこの悪夢は現実でも見たことがあって、3日程寝ずにご飯も食べずにいたりしたときに、まるで地球上存在する人間の全ての人生を繰り返しても終わらない空想に駆られたことがあります。
ニーチェの言うところの"永遠回帰"に似たところがありますよね。

このような事を想像してしまうのは、やはり今の人生に満足してないことが原因であると思うんですよね。

話が変わりますが、最近、反出生主義というものが流行ってますよね。私はこれを肯定できないところがあります。何故なら、私が良く見る悪夢を否定することが出来ないからです。というよりニーチェが言うところの永遠回帰も克服できないように感じます。
人生が一度きりであるという保障というのは実のところありません。確かにこの苦痛まみれの人生を終えたいという気持ちはよくわかります。しかし死んだからといって繰り返さない補償が一体どこにあるんだと私は悪夢の経験から思うわけです。

自分は一度きりだ。
これは不幸な人も幸福な人もそうあってほしい共通の認識だと思います。
かといって、私は人生が一度切りであると心から思えるほど、まだ自分の人生に満足できていません。
自分の遺伝子を残すという出生のおかげで、この死への矛盾は肯定する事が出来ると思うんですよね。遺伝子を残せる変わりに人生が一度切りだというならば、それは仕組みとして綺麗で美しいなと思えますしね。

もっと突き詰めるならば、出生でなくとも、私達は他者の脳味噌の一部に何かしらの自らの遺伝子を残すのが目的なのだと思います。
こうやって日記みたいなものを書くのだってそれは変わりません。イメージで言うと原子レベルで小さな私のようなものが文章通して読者の脳内に感染してるようなものです。そうやって自分自身の遺伝子を増やしていくことがある意味で生きる意味なのじゃないでしょうか。違いますかね。

反出生主義を否定するわけではないのですが、私はそのイデオロギーには感染しないし合わないなと思うばかりです。


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