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ネットによくある「鬱か甘えか 発達障害か能力が低いだけか」みたいな話は空虚だ

精神科医の斎藤環曰く、ここ最近日本では「発達障害バブル」が起きているらしい。
例えば、海外と比べて日本だけASDの割合が異様に多いらしく、これは日本にASDが多いと捉えるより、多く診断されてしまうといった方が正しいように思う。
専門家の知識を持っても、心の病という曖昧な病状の鑑別は難しいらしく、安易な診断も多く生まれているというのが彼の見解らしい。

メンタルクリニックに行ってる人ならわかるが、色々なメンクリをハシゴして、医師によって別の診断をもらうことはよくあることでしょう。そのことからわかるように、精神科医が常に正しい診断をするとは限らないわけで、こういったインターネットにおける、鬱病かただの甘えか、発達障害か非発達障害者かという区別そのものの議論が、殆ど空虚なことがわかる。

ビリー・ミリガンという、有名な多重人格者の殺人犯がいるのだが、彼のドキュメンタリーがテレビで放送された後、多重人格が世間に多く知れ渡った。放送後、異様な数の多重人格者を自称する患者が増えたという話がある。

所謂、現代における「発達障害ブーム」も、こういった現象の一つに過ぎないのではないかと思う。
インターネットを見ても、本屋に行っても、常に発達障害という文字を見かけない時がないくらいに流行している。
演技なのか病状なのか、鬱なのか甘えなのか、という事を見破ることは殆どは、専門家の精神科医を持ってしても不可能な訳です。

病状を付けられてしまうことをアイデンティティのようにしてしまうのは良くないと思います。
例えばTwitterのプロフィールに症状や使用薬を並べるというのをよく見るのですが、こういった現象で、共に集まることが果たしてプラスなのかと疑問に思う時がよくあるのです。

ラカンの言葉で「欲望というのは他者の欲望である」いう話もあるように、こういった場に身を置いてしまう事自体が"常に自らが病気である"という欲望、より強固なアイデンティティの確立に晒されるのではと思ってしまう時があります。
もちろん、こういった病状から改善すべきだという欲望さえも、私達が今まで生きてきた社会という幻想の規範から来る物であるので、何が正しいかなんて無いと思いますが…。

私はこれらの症状を否定する気は全くないし、むしろ当事者なのだが、ゾンビのようにアイデンティティを探し求めて彷徨うくらいなら、曖昧な所から抜け出して診断してもらった方がいいし、診断されてもその場に留まらずに、そんなことが頭の隅から消えてしまうように熱中するものを見つけて、次のアイデンティティを探しに行くのがいいんじゃないでしょうか。



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