誹謗中傷と自作自演と小学校に来た謎の道徳講師ババア

小学生の頃の話。外部からやってきた変なババアによる道徳の特別授業があって体育館に集められた。事前にいくつかの質問に答える用紙があり、その1つに「悪いことしたときに必ず見てる人がいます、それは誰でしょうか?」という問題があった。

当時は頭が良い方だという自信があった私だけど、見当もつかなかった。
悪いことをして必ず見てる人ってなんだ?友達、親?そんな人間がこの世に存在するのか?私の知らない大人の社会には悪いことをすぐに発見できる、そんな仕組みが存在するのか?もしかしたら私が知らないだけで、そういう仕組みがあるのかもしれない。私は「監視カメラ」と書いた。
そして答え合わせの時間。どっから来たか分からない謎の道徳ババアは、それは""自分自身""です、と答えた。

アンケートの統計によると一番多い解答が、ババアの言う通りの「自分」となっていて、私が解答した監視カメラは2人くらいだった。
小学生の私は捻くれてなくて、確かに自分っていうのは盲点だった、このババアすげー!って思ったものです。
他の内容は全く覚えていないけど、叙述トリックみたいな感じのインパクトがあってそこだけ記憶しているんですよね。
今聞いたらすごいチープな子供騙しな話でもありますけど、大人になってからだと身に沁みる言葉でもありますよね。

関連する話で、最近とある声優が匿名のアカウントでめちゃくちゃ暴れてたみたいな事件がありましたね。まあ稀にこういう事件ってあって、だいたい同業者の悪口言ってるみたいなことがありがちです。正直、ライバルの悪口を匿名で書いちゃうみたいなことって別にありふれた事だと思うんですよ。だって普通に会社勤めしてる人だって、飲みの場とかでは全然同僚とかの悪口言うじゃないですか。そういう捌け口がない人からしたら、ネットでそれ言っちゃうみたいなのってまだ理解できるんですよ。

かくいう私も一度Twitterで人の悪口言いまくってたら、本人から警告をくらい、大変なことになりそうでしたが、ギリギリのとこで本人に謝罪しお許しをもらったので、よかったです。
エミネムも言ってました、俺とお前等の違いはリビングで友達と冗談で話すことを表で言う度胸かあるかどうかだけって。
裏で言った事がバレる方が、表で言うよりよりダメな感じがありますよね。
まあ私は別に他アカウントでわざわざ愚痴るほど、私自身がでっかくないので、背負うものもなく気楽に言えちゃうってところもあるんですが。

なので、私はそういう事件が発生した人見るたびに、あんまり興味なかったのに好きになります。ああやっぱりそういう嫉妬心みたいな気持ちを持ってて、しかもそれを我慢するんじゃなくて、もう言葉にしちゃうくらい、苛ついてて、それでも、自分自身の事は精一杯頑張ってるんだと思うと、それでようやく素直に応援できるんですよね。

でも、理解できないなと思う事が一つだけあります。自作自演です。あれをする人の気持ちが理解できない。過剰に自分自身を持ち上げる別垢で書き込みする人たまにいませんか?
今回の声優しかり、他にも大なり小なり規模は違えど結構そういう人ってみます。

それを目撃するたびに、あの道徳の授業思い出すんですよね。自作自演を見てる人がいます、それは""自分自身""です。ってあの道徳ババアが言う姿が浮かんじゃうですよね。自分で自分を褒めてることを自分は知ってたら、それって意味なくないですか?その時点で妄想と変わらなくないですか。
それならまだ他人に対してめちゃくちゃな誹謗中傷する方がまだ理解できるんですよ。だって自分と他者がその世界には居るってことですからね。鬱陶しくて仕方なくても、世界には私以外がの邪魔者がいるっていう確信を持っている。
でも、自作自演の世界には自分しかいないわけで、ある意味では強い事なのかもしれないけど、それは自分と自分の影で遊ぶようなもので、虚しいものです。だったらいっそ他人に対して敵意を剝き出しにした方がまだいいんじゃないでしょうか?
私としても結構妄想の中で生きている方なのですが、私は私と別の人格になって私自身を褒めることはないでしょう。なんていうか、そこまで自分に興味を持てないです。
それとも、ババアの言葉に案外食らっていて、それが脳に刻まれてるのかもしれません。

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