これからのタイポグラフィーのトレンドが、なんとあの悪名高いComic Sansという話
Eye on Designのエミリー・ゴスリング曰く。少し前になるけど年頭の記事で、これからのタイポ設計の4つのトレンドとしてディスレクシア、シェイプシフト、フェミニストおよびブランドというキーワードを挙げている。うん、ちょっと判りにくいだろうから、まぁ4つのキーワードを下から順に解説しよう。何故下から? まぁとはいっても、本来こんなことはEye on Designで元原稿読んで貰えばいいのでそのままの翻訳という話ではなく感想含みの超訳。そして脱線含みの跳訳……つまり、タイトルは酷い煽り文章になっているうえに、そのタイトル画像はなんだという突っ込み含めて、もう元原稿とは何の繋がりもない……そのあたりはエミリー・ゴスリングのレピュテーションのために断っておく。まぁタイトルの煽りは最後までお付き合い頂くとオチが付くようになっております。あ、後、なんか新機能がいくつか追加されたということで、実験も兼ねて、そういうことなら、いつもに増して長めに……いや、まぁ、それも含めて、いつもより余計に回して……じゃなかった、いつもより余計に書いてしまっていますですよ……はい。
さて、で、その新機能の1つだけど、この文章の下に目次が見えていれば正解らしいんだけど、どう? 見えてる? イェ〜?
4 ブランド
さてブランドというのはどういうことかというと、最近人気のあるフォントってスポーツフォントとか、企業のものとか、半分以上ブランド系だよねって感じ…まぁ昔から自分の会社のフォントはいちおう作っちゃうよ系のことはあって、そうだなぁ、IBM、コカコーラ、SUNTORY、資生堂、SONY、……ん〜パっと思いつくだけでも結構あるな……キリが無いぞ。最近では、といってもちょっと前の最近だけど、National GeographicのオリジナルフォントGeographなんかは大分気合いが入っていて、実地、実用に即した一大プロジェクト。雑誌、TV、Webとそれぞれにこう跨がって使えるようにデザインされていて、スタイル豊富メディアカンパニーとしてブランドイメージ刷新の威信も賭けてとかってそういうこともあったりするかんじなんだけど……
まぁところが最近は大企業に限らず他にもイベントごととか、ファッションブランドごととか、なんかのついでにとか、そういうのでいっちょfontでアイデンティティーを作ってみる的な動きが増えてきた。ファッションだとアディダスなんかは有名かも、あと、青森県立美術館のとか、自治体とかでも横浜市のイマジン・ヨコハマだとか……まぁ、そういうのいろいろ、いまは、まだ、わりと、それなりには気を遣ってるし、ダサいことしたくないからって感も強いので、それなりにカッコいいものが、次々と、いろんなところからでてきていると。まぁ、何だ百花繚乱、湯水の如く、雨後の筍、湧いて出てきて、掃いて捨てるほど……って捨てちゃだめだろ。まぁそんなところ。コンセプトは、アイデンティティー優先のフォント作りっていえばいいのかな? 用途ごとにフォント作るよ、っていうか、一周回ってオリジナルフォント至上主義的強迫観念が混ざってない? そこんとこ大丈夫?……まぁ、そんな感じ。
で、だ。需要あるところにビジネスありで、チェコの某フォントファウンダリーなんかは、もうトップページに「サクセスフルビジネッシャーはフォントから」バーン。みたいなコピーと一緒にフォント制作承りますボタンを配置するほど。いや、チェコ語わからないので適当です。まぁそんな雰囲気。もう「年賀状と名刺注文したついでにフォントも注文しちゃいましょう社長!」ぐらいの勢いだ。いや、今の季節年賀状ってのは無いな……寒中見舞い……も過ぎたし、え、余寒見舞いっていうの? 聞いたこと無かった……また、無駄知識を仕入れてしまった。いや、もう、春だよ。それはともかく、そう、フォントのオーダーメイドだ。しかしあまり気軽すぎるとこんどはブランドフォント通り越してカジュアルフォントって感じになってきちゃうんだけれど……オートクチュールカジュアルって、いいの? そこは?……まぁ。
ああ、あと、イベント的なあれでいえば、去年の12月に「東京 2020 モリサワ オフィシャルサポーター契約」ババーンみたいな発表があって、まさかと思ったけど、プレスリリースに「東京 2020 オリンピック・パラリンピック競技大会で、専用フォントの提供」ってあって、え〜、いまからフォント作るの? 間に合うの? ってなったんだけど……いや、まぁ、どうせ「多言語化が進む! グローバルユニバーサルデザインフォントUD新ゴ」あたりでお茶濁せると思っているからいいのかもしれないけど、だけど、あれ従属欧文どうするの? いままでもいろんなものがDINで刷られているけど、Clarimo UDって新ゴに合わせて設計したんだよね? だけど国内の交通機関の看板とかはUD新ゴにClearToneの組み合わせが殆どじゃない?……なんか嫌な予感しかしないんだけど……まぁ、オレが心配してもしょうがないけど……。
「あ、はい、パンフレットと、あとここのチラシのところなんですけど、本文組どうしましょうか? え、これ今年の分から本文もUDにするの? あの、こことか、ここも! え〜。まじか〜、あの〜、そのへん都から仕様の改訂版でてましたっけ、去年の7月に貰ったあのなんか、ざっくりとしたやつしかないんだけど……それから、あと、ここ各国語表記のところとか、ええ外国語のところも……え、いいの? 適当で? どうせいままでだってDINの無印とNEXTの差なんか誰も気にして無かったろうって……いまさらフォントかわったって……それはそうなんですけど、気にして無かったんなら替える必要もないのでは……え、言われても気が付……? いや、それはさすがに……はい、まぁ、その話は聴かなかっ……え、そういう、要請は出てるの? 稟議書も? 出した本人は意味わかってないだろうけどって……いや、でも、簡単にいわれてもサイズから違うんだよなぁ〜……はい、まぁ、今回は、オフィシャルが入ったってことでそういう契約? あ〜書類つくっちゃったのか〜……そうは言っても、アレがアレで……え? あぁ〜ここも、ここ直しは入っていないんで、フォント替えなきゃ前回ママで流せるんだけどなぁ〜。ホントに替えます? 校正しなおしになりますけど、GOしちゃいますよ? マジで、聞いて無いっスッとか、もとに戻してとか、勘弁してくださいよ……責任取りませんよ? え、大丈夫? どうせ誰もフォントのことなんか気にしてないからさって」いや、ホォント〜ォ……。
3 フェミニスト
英語のフェミニストに日本語のフェミニストの意味はない。無理に翻訳するとおかしくなるのの典型だ。多分フェミニストのつもりでfeministっていうと通用しないどころか文脈によっては相手を怒らせてしまうかも……いやフェミニスト面倒くさいとかそういう話ではないので、とか、なんとか、なんかオレが怒らせてそうだな……はなしを戻すと、「昔は有名なタイポデザイナーっていうと男ばっかりって感じだったけどいい仕事してる女性もいっぱいいるんだからね」っていう感じ。個人的には男だ女だとか言ってる時点でアレだと思うけど、まぁ差異にしか意味を見いだせないという世間もある。それにどこかの国の世間がいくら“KAMARA HARRIS FOR THE PEOPLE”で、盛り上がるとはいっても、まだ圧倒的に「理不尽に男」な社会はあちこちに存在する。現代、タイポでは徐々に女性のセレブが……っていう感じかな。まぁ、知ってる範囲でも貂明朝の西塚涼子筆頭に、EmigreのZuzana Licko、Nordvest fontのNina Stössinger(他にSélavy,FF Ernestineも)、ゴスリングの記事の中で紹介されているCharlotte rohde……他にもAdobeTypekitのおすすめデザイナーのところにいくとLaura Worthington、Nicole Dotin、Veronika Burianっ……っていうか、このコーナーのおすすめ8人中6人が女なんだけど……ん〜、このページ、ユーザー最適化とかってされるようになってるんだっけ? オレのTypekitの使い方のせいなのか?……
2 シェイプシフト
シェイプシフトは、まぁここ見にきてくれているヒトには毎度おなじみのvariable Font的なあれ、それの拡張的なやつ。まぁこれどちらかというとトレンドとしては毎回言われている気がして、耳に胼胝。毎度、毎度の狼少年……あ、狼繋がりで思い出したけど、そもそもこの手のアイデアの最も初期のfont、Beowolfは近代美術館のパーマネントコレクションにもなっているほどの古典なのだが、あまり積極的に使用されている感じもない。個人的にはね……。実際、ユーザーは、variable Fontは仮にそれが可能であっても「あえてほとんど使用しない」のだ。じゃぁ今更何いってるのって感もあるのだけれど、ここ最近それらを作成するためのテクノロジーの敷居が低くなってきたこととParametric FontsでレスポンシブWebデザインの改善が可能になりそう、っていう話がトレンドにあがってきて……そんな感じになってきたから……っていうことらしい。
Parametric Fontsっていうのは、variable Fontのように動的に変化するってところは同じでもvariable Fontと挙動は少し異なり……っていうかちゃんと定義しようとすると面倒だな。まぁざっくりとした説明だとParametric Fontsでは、最も巧妙に設計されたシステムでは、単一のマスターフォントからフォント全体を生成することすらできるといわれている。まさにドリ〜ム。もとはスタンフォード大学迷……っ、じゃなかった名誉教授クヌース先生のMETAFONTに由来する。まぁ実際どういうものかというとMETAFONTはモジュレータがmetaflopという形でWEB上で公開されているので色々グジグジ弄ってみると感じが掴めるかも。遙か前世紀のテクノロジーでもこの程度のことは可能だったのだよ……まぁとはいっても今見るとガラクタ感満載だが、でも、これはこれでローなデザインするにはいい感じ。
さて、そういうわけなのだけれど現代ではここからものすごく進化して、もうちょっとましなことにはなっている。metapolatorやprototypo、Adobe project Faces、前に紹介したFontArkなんてのもその成果みたいな感じなのか……まぁ、で、いろいろそういう試行錯誤を繰り返しているうちにここ最近。もう、今ではなんかモノになりそうって雰囲気になってきているから要注目……って感じ。いや、今回こそは大丈夫なんだよね?
1−1 ディスレクシア
さて、本当はこれで一本書こうと思っていたので、実は今までの処までが前書き。枕ってやつです。つまり、ゴスリング曰くからがまぁ全て雑談。で、ここからが本文。いや、枕、長いって……。では、気を取り直して、ここから、最後の、というか最初の項目、まずディスレクシアって何よ? というところから。
ディスレクシアは学習障害の一種で、日本語WiKiによれば「知的能力及び一般的な理解能力などに特に異常がないにもかかわらず、文字の読み書き学習に著しい困難を抱える」ってやつ、日本では難読症、失読症、識字障害、読字障害、特異的読字障害、SpLD、発達性読字障害、発達性読み書き障害、その他諸々な呼び方がある。LDつまり、まぁ、いうところの学習障害の、その問題の中では最も症例が多いとも言われていていまして人口の3〜7%程度、もしくは低くて5%、高くて17%程度の人が困難にチャレンジされている……とまぁこういうことらしい。だが、まぁ全般的な知的発達に遅れがないとはいっても読み書き能力などに困難をきたすと後々の情報アクセスに問題が生じて学習理解に差がつき、理解の無い連中からは字の読めない馬鹿呼ばわりされたり、逆に可哀想な人たちよばわりとまぁ、スタートは同じハズだったのに最終的には差別問題にまで発展するという感じで……実にこう、厄介だ。ホント。別に炎上させるつもりは毛頭ないが、日本じゃたいした差別でもないLGBで大騒ぎして大金使うくらいならLD支援にまわした方が差別解消の観点から見てもよっぽどマシなくらいなんだが、日本語での呼び名がふらついているのとSpLDで検索してもシンプルプログラマブルロジックデバイスのことしか出てこないというのは日本の世間様的にはこう、この手のことにはあまり問題意識が働いていないということなのか? これが、このところよくいわれている、大事なことは検索で解決できない系のあれ「いかがでしたか? 残念ながらググれる情報はあまりないようです」ってやつなのか?
いやはや、まぁ、話を戻すと、ただ、日本語なので潜在している問題が、英語学習によって顕在化することはあると思うので「この子、地頭はいいのに英語の授業はからっきしだ」という場合はこの辺りも疑う余地はある……のかも知れない。なにしろクラスに30人いれば3人は持病持ちの計算だ。日本語だけなら問題なかったのに幼児から英語教育云々みたいなチャラいことしての1割の確率で発症……そこからずっと馬鹿扱いって、いや、そういうのもアレだけれど、まぁ明確な症状も……って、いや、まぁ、そうなんだけど、なんかもうとりとめなくなっていって……すいません。
1−2 ディスレクシア 英語圏での問題
まぁ、ともかく、そういうことなので、英語圏では特に深刻なわけだそうでして、現在2割近くの人々が何らかの形で読字障害に関わるとも言われておりますですです。これが。
英国の言語学教授Vyv EvansはEmoji(絵文字)を称して「歴史上最も最速に広まった文字」としているそうですけど、個人的には英語圏でのこの爆発的な絵文字の普及の一端には、この手の問題もかなり影響しているのではないかと愚考したりもするんですが。え〜っと、どういうことかといいますと……あれ、ホラ、あのスマホとか、こうディスプレイ表示系のインターフェースの普及とともにディスレクシアを抱えた人々が文字にあたる機会が圧倒的に増え、いままでなら避けられていた部分から常にチャレンジされることが多くなりとか、何か、そういうイメージ。どこへいっても文字ばかり。それで、まぁ、そういう感じで、文字によるコミニケーションを避けがちだった人々が、アンディマレーの結婚式のとき本人が一日の出来事を全て絵文字にしてアップしたのを見て、これによってコミニケーション理解が可能になることを実感し……一人のディスレクシアの少女が……「EMOJI」今春最大の感動をあなたに……とか、まぁ、なんだ、その、インチキ感動モノのいいはなしふうにしようと思えばいくらでも駄文は書けるんだけど、いまだと、ちゃんとした資料にあたっていないのでまさにフェイクニュース! 酷いプロパガンダ。よくても与太話、SFのたぐいなんだなこれは。
それはともかく、で、昔、NHKスペシャル「病の起源」でもやったことがあるので見た記憶がある人いるかもしれないけれど、最新の研究……といっても放送当時、つまり2008年時点での最新なのですが……そこでの結論はSpLDと一般人との脳の情報処理の仕方の違いに問題がある……ということだった。「人類が文字を使い始めてわずか5千年、この時間の短さ故、脳は十分に文字を処理できるよう適応しきれていないのだ」ババ〜ン! というのがNHKの結論だ。
とは言っても「ババ〜ン!」で問題は解決しない。現実にここまで困ったことになるのであれば実に問題だ。人口の2割というのはいくらなんでも盛りすぎじゃないかと思ったりもするんだけど、それが正しいとするのであれば本当に大問題なのだろう、まぁ海外の教育事情なんてよっぽど気にしていなきゃニュースとしても目に入らないのでいまいち理解できてるかどうか怪しいのと……それに日本では、こう、問題認識が低いような感じなのは……言語体系の問題、各言語の音韻体系や文字構造の影響が発病に大きく影響する……とまぁ、そう考える人がいても不思議じゃない。……というか、そう考えられている。サピア・ウォーフ仮説みたいな感じかな? もちろん日本語特有の読字障害が全く存在しないわけではないが、それよりも日本語という言語の場合は英語とは逆に前々回の「嘘漢字フォント」の冒頭に書いたみたいな、逆ディスレクシア現象が発生し易い構造を内包していて、って……つまり「読めないはずの文字が読めてしまう病」いや、いま思いついて勝手にそう名付けただけだけど、前々回のタイトル逆ディスレクシア現象あるいは書体設計におけるサピア・ウォーフ仮説なんて話にでもすれば良かったかな? あぁ、サピア・ウォーフ仮説っていうのちゃんと説明しようとすると……この話も長くなりそうだなぁ、まぁどこでこの解説をぶっ込むか……ん〜〜なんというか、そういう感じなんですけど、とりあえず伊藤計劃の「虐殺器官」から始めようか……ってこれが……。
いやホント。え〜っと、話がとぶなぁ、ホントなんだったっけ、まぁ、それと逆ディスレクシアということについては、読んでない人は前々回を見て貰うとして、なんというか言いたいことは察して下さい……そのうち、「サピア・ウォーフ」ネタでの虐殺フォントとかっていうアイデアもあるんだけど……なにかの機会にでも……それはともかく。
今回は、まぁ、なんだ……。あ、そうそう、で、米国というか英語圏のほうがこの問題により深刻だというコトで、そういう事情なのは、ぶっちゃけ文字が悪い上にさらに英語特有の音韻体系、つまり、「文字と発音が合ってないどころか決まってもいない」というところが更に輪をかけていると……。実際、同じアルファベットの文字を使っている他の欧州語諸国では、英国や米国ほど深刻では無いという話も聞くんだよね……いや、ホント、イングリッシュ、変グリッシュ。綴りが違うのに発音一緒とか、同じ綴りで発音違うとか、この綴りでこうなるかって、もう余りの理不尽さに泣きたくなるから、スペルとか。え〜もうこんなの適当でいいや。ってなるでしょ? しか〜っし! でもねアメリカでは、大統領の次に偉い人でもポテトのスペルを間違った程度のことで失脚するぐらいの恐ろしい社会なんですよ。いやぁ〜〜〜〜っって……まぁ、そういう感じに厳しい社会なのだけれど、まぁそれにしても文字の改良に対する必要性がないわけではないだろう。あの凶悪なbとd、pとq、6と9みたいなヤツ……っていうふうに考えて……つまるところはそういう信念のもとに、これを改善しようというのが、ディスレクシアフォントだ。日本語でも頭にUDのつく書体、ユニバーサルデザイン書体っていうのがあるけど、あれはそこまでディスレクシア押しではない。若干緩めの……まぁ、そうだなぁ「配慮したデザイン」というコンセプトだ。もちろんディスレクシアに配慮しないというわけではない。が、コレに関しては、いや、UDとかって、まぁ、また、この話すると脱線しそうだな。これも後回しで……。
1−3 ディスレクシア タイポグラフィーの問題
で、まぁ、ともかく、そんな感じでこれらの先駆的な試みのひとつは上の図のオランダのデザイナーNatascha Frensch……って彼女も女性なのね……のRead RegularでZwijsen社の児童文学というか絵本で使われているfontだ。洋書の絵本好きなひと多分見たことあるんじゃないかな? オランダ語の有名なアレとかアレとかって、いや、すいません絵本に詳しくないのでわかりません。適当ぶっこいてしまいました、まぁそれもともかく。その後にも、自身ディスレクシアだというデザイナーChristian BoerによるDyslexie、さらにAbelardo GonzalezによってDyslexieの方法をより誇張、強調して、もはやBellbottom fontのようになってしまったOpenDyslexic、Dr. Robert HillierのSylexiad(Sylexiad SerifとSylexiad Sans)……まぁ、こういろいろとあるのだけれど、本当に、ここで、残念なことにデザインが失読症の読字速度に統計的に有意な利益をもたらすかどうかはどうもよくわからない……ということが判ってしまった。
2013年に書かれたバルセロナのLuz Relloと、スペインの計算機科学者Ricardo Baeza-Yatesの論文「Good fonts for dyslexia」で48人の参加者で12種類のフォントをテストした結果、OpenDyslexicがどうにも残念な成績をたたき出したどころか、その他巷間言われていた「ディスレクシア向けにフォントを作るならこうしたほうがいいルール」の優位性がどうにも見いだしがたいデータがでたりと、まぁちょっと仮説の立証にすら届かない…まぁ、結果よくわからない。で、フォントって影響あるの? こんなのプラシーボ効果じゃないの? という懐疑論まででているという話。
彼の名高きLucida fontの制作に携わったBigelow & HolmesのCharles Bigelowは「TYPOGRAPHY & DYSLEXIA」というコラムの中で、この問題に欠けているのは「ディスレクシアフォントが普通のフォントよりディスレクシアにとって優れているという科学的証拠」だといっているんだが、そこをどうするかも悩ましい。まぁBigelow先生に言わせると、Sir Cyril Lodowic Burtの古典、タイポグラフィーの心理学的研究「A Psychological Study of Typography(1955)」に関しても「深刻な科学的詐欺」呼ばわりなので、この後に繋がる研究はもう全部詐欺師の片棒にしか見えないって感じだろう。このへんのことは、どっちがどうと論じる知識に欠けるので、なんともいえないのだけれど、まぁそれはともかく結果的に先生曰く「失読症を助けると主張するフォントデザインは常に非科学的」にならざるを得ずだ……つまり「このフォントはディスレクシアに配慮しました」なんてぇのはよくて民間療法か正露丸。悪いと「そんなこといえるのは嘘つきだけだぁっ」と! つまり、つまり、それは詐欺…………うん、酷いな「××UD」。いやお前の決めつけがだめだろうって、あ、すいません、いや、まあ、なんだろうね。まさにそんな感じ。だということなのだけれど……。
1−4 ディスレクシア Comic Sans
さて、でも、じゃあデザインが無駄かというと、そういうわけでもない。あたりまえのことだが、やっぱり文字の読みやすさ読みにくさというのがなくなるわけではない。イアンシスト? って言い方で、いいんだよね? 多分……うろおぼえ、検索してもでてこない「いかがでしたか? 残念ながらググれる情報はあまりないようです」残念ながら間違ってるかも、まぁ、とにかく、この手の障碍支援というか、そんな感じの活動をしている人達のこと、まあ、そんな感じ。で、英国にあるイアンシストの団体、dyslexic.comは、かつて、あまりの不評のため使用禁止運動まで起こったといわれるあの悪名高いOSバンドルフォントのComic Sans(Vincent Connare)をディスレクシアの人々が「一般的に入手可能なフォントの中で最も読みやすいものの1つ」としている。いやホント。まぁディスレクシア抜きにしても英語話者じゃないヒトが英文のテキスト読むときにチマチマとしたローマン体より、悪名高いComic Sansの方が読むのが楽……ということはあるかもしれない……というかあるんだなこれが、そのせいかどうかは知らないが……ソフトのマニュアルくらいならいいけど、真面目な論文から、記事から一切合切全部、オフィシャルデザインを全てあの悪名高いComic Sansで統一してしまったという……エイプリルフールにおけるCERNの陰謀! クリスティーナアアアアアアアアアアア!……いや、そっちはSだからね。まぁ、ともかく、それで、陰謀論……っじゃなかった、懐疑論者に言わせると、「ディスレクシアはそもそも字を読まされることに恐怖感を覚えているのだからこういう、駄目そうな字で親近感とか安らぎを得る。だから字のデザイン的な読みやすさは別」なんて身も蓋もないことを言いだしたりしてますよ。まぁプラシーボでもなんでもとりあえず結果が出てるなら良いような気もするんだよねぇ? どうなんだろう? ちなみに研究論文「Good fonts for dyslexia」12種類のフォントのなかに悪名高いComic Sansは無かったのでこんど新しく実験するときは入っているといいなぁ……エル・プサイ・コングルゥ。
まぁ、それはともかく。そこで、この悪名高い……って、いや、「悪名高い」って何度も言うなって? まぁ、そうだよなぁ失礼。それで、その、「悪名高い上に駄目そうなComic Sans」をナントカしたいという欲望がデザイナーにありがちな病で、過去にもそれを、改良?若しくは、改悪?したComic Neue(Craig Rozynski)みたいなフォントが話題になったり、大手メーカーがグリフセットを拡張したPRO版をだしたりと……意外と愛されてるなオイ……まぁそんな感じ。で、この悪名高いComic Sansをディスレクシアフォントとして洗練させる方向でリファインしようというアプローチが下の図のLexie Readable(Keith Bates / K-Type)というわけ。この辺、ディスレクシアに何故効くのかということも含めてよくわかっていないことがまだまだ多くて、だから新しいデザインのアプローチの余地はまだまだいっぱいあるんじゃないの? という話……だと思う。アルファベットでそうなんだから、ましてや日本語をや、って感じかな……え、あ、何? ユニバーサルデザインの? いや、そう聞こえたなら……いや、批判? まさか……Bigelow先生じゃあるまいし、役に立たない? むしろ迷惑? UD詐欺? え〜〜〜〜そんなこというわけないじゃないですか。ええホントに……。
1−5 ディスレクシア UDフォントとの違い
では、その、ちょろっと触れたユニバーサルデザイン書体とディスレクシアフォントとの違いについてなんだけど、この2つ、まぁ似たようなことやってるように思うかも知れないし、結果求めるところが同じに見えるかもしれないけど、実は全く性格が違う。イワタの水野昭は社長になるずっと前の頃だけどUDフォントの評価の指標として、視認性(字が見やすい)、判読性(他の字と見分けやすい)、デザイン性(美しさ、整合性、商品性)、可読性(長文にしたときに読みやすい)を上げ、すべて満たすのは難しいため視認性と判読性に重点を置いて開発したとしていた。つまり、デザインと読みやすさを無視したですとぉ?
いや、いや、まぁ、彼らの名誉のために言っておくと、そもそも最初は用途として画面の中の文字や公共機関の案内、リモコンなど家電製品のボタン回り、食品のパッケージの説明書きなどなど、横組みで概ね10文字以内の短い文章程度の用途にしか考えていなかったのに、まぁ、年寄りが増えて平均視力が下がったところに製品の多機能化やら、企業の説明責任やら、なんやらかんやらで必要な文字数が増加して、狭いところへギュウギュウと……つまり、目が悪くなっているのに字が小さくなったためハズキルーペ……じゃなかったUDフォントの用途が急速に拡大して、需給のアンバランスのためちょっといろいろと問題がある……あった?
……まぁ、つまり言うところの「いくらユニバーサルデザインだからって言って年寄り向けに本文縦組みUDフォントとか無茶にも程があるんだよ。考えもなしに何でもかんでもUDフォント使うんじゃねぇよ、うちの製品の価値が落ちるだろ! せめて、使うならちゃんと組め! この、ポンコツデザイナーども……」って、え、そこまで酷い言い方は、あ、まぁ、でも、そんな勢いじゃなかった……でしたっけ……みたいな……あ、そうだ、思い出したけど、そういえば社長、昔タモリ倶楽部に出てフォントの話してたことあったじゃないですか、え、今、その話はいいの? いや、まぁ、あ〜、そう、それで、今ではデザインと可読性のバランスも改善されたものも出てきてはいるんだろうけど、でも、まぁ基本的には本文組む書体じゃないと思うんだよねコレ……ああ、あと、だいたい、そもそも論でいえばフォントの名前付けるときになんでユニバーサルデザインフォントとか言っちゃったの? それがいけなかったんじゃないの? 目指しているところが全然反対なのに、なんかユニーバースなデザインのフォントとかって、全宇宙的かっこいいデザインのフォントみたいに聞こえるじゃないですか? それってどう? っ……あ、……ヤバい、デスらないって言って始めたのにコレだ。うん、え〜っっと、あっ、まぁ、そうそう、それはともかく、ディスレクシアの場合は逆に可読性にも重点を置くことが必要。しかし、可読性って何よ?
1−6 ディスレクシア 可読性
片塩二朗に言わせれば、文字は「人工物の一種であって、本来けっして読みやすいものではありません」とまぁ実に身も蓋もない。酷いな朗文堂……。まぁ、続けて「つまり書物の読みやすさを決めるのは、読者の書体にたいする馴れなのです」とまぁ要は可読性とは、「読者の習慣や視覚の馴致」と続く。まぁそりゃそうだ。よくある、ゴシック読みやすい。明朝じゃないと駄目論。みたいな話は結局最後はどうやったってお互いに「てめえの気持ち悪い趣味押しつけてんじゃねえよバカヤロー」になってしまうからね。まぁ残念なことに。だから、まぁ、そういうふうに世界は出来ている……ということを理解する、というか達観するのは大事だ。なんでもかんでもバッサバッサと問題解決できるわけではないし、場合によっては解決しないというほうが一番の解決方法だったりする。Dunne&Rabyの言い草では無いがスペキュラティブに振る舞う必要性もある。まぁ、クリティカル過ぎて承認欲求と自慰の垂れ流し……おおぉおっと、いか〜ん、それはまた別の機会に。
それで、まぁ、ディスレクシアという病の原因は、文字を視覚で捕まえて→読みに変え→音韻から語を特定→語を意味づけして理解……というプロセスの何処かで問題が起きているのでこうなっている……と考えられている。まぁこういう説明だと、このうち字が読めないというのは最初の処だけの問題にも見えるかもしれないけれど、そういうわけではなくて、音韻処理に問題があると文字が見えていても読めない……という。ここに大きな問題があるのだ。普通、大抵の人は見た文字を頭の中で音声に変えて読んでいる。ここが上手く機能しないと……う〜ん、そうだな〜、たとえば、もし、アラビア語が出来ないのであれば好都合だ。あの、例の無数に蛇がのたうち回ったような文字を思い浮かべて読むコトを想像してみてもらいたい。
全く読める気がしないどころか文字や単語をどういう順番で、どう切断すれば良いのかもわからない。発音すらわからないし、これホントに文字なのか? もうタダの模様にしか見えない……ディスレクシアの人にとって文章がどのようにとらえられるのかは、当事者以外わかりようがないし、説明されてもちんぷんかんぷんかも知れないが、逆に考えよう。自分が見たこともない文字がどう文字に見えないのかを人に伝えようとしても……どう? 伝わる気がしないような気持ちになるというか……「文字がだぶる」「字が分解される」「順番が入れ替わる」「反転する」みたいなことをアラビア文字に言ってしまいそうだが、でも逆に、頭の中ではそのどれもが起こっていないような気もする……っていう感じとか、つまり、まぁだから、何がいいたいかというと、ディスレクシアと視覚障害とは別の病だ。色覚障害や白内障とも異なり、読みやすくなる配置とか、配色とかも個人差が大きい。たびたびアラビア文字の例えで申し訳ないがアラビア文字で考えれば太さの揃ったゴシックなものにしたほうが修飾的なものより文字認識を妨げる要素を下げられるし、繋がっている部分は文字毎にきちんと切れ目を入れて、発音の難しいものにはルビを振って、形が似た文字はなるべく違うかたちに、順番や流れが判るようにちゃんと真っ直ぐ罫線にそって……とかって、やっていけば……う〜ん、なんかオレでもアラビア文字読めるような気になってきたぞ……って気にならない? え、なりませんか? そうですか……。
1−7 ディスレクシア 共感
米ソ冷戦がご機嫌にエキサイティングだった時代。ケネディ、ジョンソン両大統領の下で働いたロバート・ストレンジ・マクナマラ元合衆国国防長官の長編ドキュメンタリー映画The Fog of War でアカデミー監督になったErrol Morrisは、2012年に特定のフォントの形が我々の「真偽の判断」にどんな影響があるかという実験を行った。つまり、なんか、俺たち、もしかしたら書体で騙されてる? という話。それで、結論として、何でそのフォントが一番になるんだよ……っていうその実験の結果は、まぁいいとして……っていうのは、そのフォントが一番という理由を科学的に証明するのは非常に難しいことになるんだけど……難しいのだが、逆にそのこと、つまり「フォントの影響力についてはないとあるとでいえばある」ということを否定はできないという結論も得た。
つまり、タイムリーなところでいえば、民主党の大坂なおみ、女トランプことカマラ・ハリスの大統領選挙キャンペーンのタイポグラフィ……この記事のタイトルに貼ってあるやつなんだけど、まぁこのフォントがBureau Grot Condensed(David Berlow)なのは、その効果を狙って……って、いやいや、これ言い出すと、いまからシャーリー・チザムの話を始めることになるのだけれど、まぁいいか、カマラ・ハリスがチザムの1972年、初の黒人女性候補として大統領選に手を上げたときのスローガンとロゴのイメージをそのままパク……失礼。リスペクトしてこうなってるというのは見る人が見ればわかる話なので、カマラのチームがチザムトレイルに乗っかっていく気満々なのはわかる。しかし、これが本当にそうなのかは別だ……シャーリー・チザムへの共感に有権者が引きずられていくのは理解はするが、中身、つまり候補者はあのカマラなのだから、まぁ、まんまと字に騙され……我々の「真偽の判断」にバイアスをかけられることになりかねない……ので、そこのところよろしく……と、まぁ、そういうこともあるね……というわけだ。
で、まぁ、結局の所、可読性とは書体にたいする馴れと共感の問題に帰結する。まぁ、頭が良ければその1行で終わるところを、馬鹿なのでここまでどんだけ駄文を書き連ね……そういえば、このあいだ大人の発達障害テ〜スト! みたいなのやったら見事にチェックマークが埋まっていって少しゲンナリしかけたんだけど……あれ、でも、よく考えたら、どの項目も普通に……多かれ少なかれ、人ってそういうとこあるよね? って感じの質問じゃねぇ? え、そういうふうなの無いの? まじか〜。ホントに? まぁ、オレのことはともかく。結論としてディスレクシアが音に対する障害であるならば、フォントを変えたとしてもまったく役には立たないがComic Sansの例のように、ある特定のフォントが感情に影響をもたらすメカニズムは確かに存在するのだ。つまりComic Sans+Emoji最強! いや、それは飛躍しすぎ?
0 Deathleqic Sans
さて、順番をひっくり返してディスレクシアの話を後にもってきたので理由はもう感づいたヒトもいると思うけど、毎度おなじみのクラフトフォントコーナー。パチパチ。そういう意味ではこの前までが枕とも言える。枕なげ〜なコレ。さあさあ、とはいってもやってる本人もよくわかっていないので今回ばかりはホント超適当アプローチ。え、今回だけ? すいません、いつもでした。いつもに増して超適当。まぁしかし、プロがギチギチ作り込んだ書体よりむしろComic Sansが評価されるという……なんという優しい世界……ええ、嫌いじゃないです。
まあ、というわけで、どういう感じにやっていこうかっていうと、理屈抜き、不要想、感受吧、え〜、それでいいの? いや、だって、よくわかんないんだもん。わかんないときは、考えない。え、理不尽過ぎる? そうじゃない。考えるな、感じるんだ。五感を研ぎ澄ませろ……そうだ……そうだ……そうだ……なにか感じたか? ……「え〜っっと」 ボカッ! Don't Think. Feeeeel! まぁ、こんな感じで……心の中のリー老師と対話しながらやっていくわけなのだけれど。
0−1 Don't Think. Feel!メソッド…考えるな、感じるんだ!
さて、問題解決のアプローチとしての Don't Think. Feel! という方法について、或いは、よくわからないものをよくわからないまま解決する手法としての Don't Think. Feel! についてどういうことかというのを解説しよう。とはいっても……理屈では無く感覚に委ねよという話を理屈で言うというのも、もうその時点で、なんだかいろいろとアレなんだが、まぁまぁ、それでも、なにがいいたいかというか、あるていど理解の手助けになるように説明しようとすれば、次のような感じになる……。
え〜っと、その説明の前に……この話には、実は人間の脳にはそれに必要な力が備わっているのだが普段は常識などに縛られて上手く動かせていない、それを意識のチャネルを変え自由にすることによって正解を導き出す力がある。みたいなことができる……というか、それが、存在するということを認めることが大前提。数学的に言えば、そこが「命題として要請される」なんていうところだ。或いは矢吹駆なら「本質直感」というところだろうが、まぁただ別にそれをするためにアジアの山奥に行ったり、パリで現象学を学んだり、名探偵になったりする必要は無い。あ、最後の名探偵はやりたくてやってるわけではないから、まぁ、それはいいとして、そういうものがあるのだということにしておいてから話がはじまる。
従って以下の駄文はその命題を認めないという人にはただのオカルトにしか聞こえない。まぁ、ただ、よくわからないものを命題無しに議論し始めると、「なぜ」「なぜ」「なぜ」「なぜ」の連鎖になって、無限に終わらないか、延々回り続けるか、最終的には神様に丸投げという、こう、宗教に逃げるしかなくなり……これを人呼んでカール・フリードリヒ・ヒエロニュムス……というか、法螺吹男爵の三刀論法というのだが……これもまた、もう説明しだすと大変面倒くさいことに……って、もうその辺りの言い回しだけで何かホントに面倒くさいよホント。
さて、理屈では無く感覚で、というのは、いいかたを替えれば普遍的な基準や教えに従わず、もう自分個人の世界にまで判断を縮退してしまうというふうにも言える。というか、まあ、そういうことなんだけど、何、その世界系? これで、どうして、ものごとが上手くいくのか? って言いたいのはわかるんだけど、そうだなぁ、では、例を挙げて説明しよう。
日本では昔からナントカメソッドだの断捨離だの、片付けしたり掃除したりするのが大好きなので整理法という分野にある一定の需要がある。最近Netflixの所為でブームが再燃し、エピソード終了毎には、あっというまに全米のリサイクルショップや古着屋、不用品の寄付施設を、持ち込み商品で埋め尽くすほどの影響力があり、すでに今年のPerson of the Year候補入りしたといわれる教祖麻理恵の……って大丈夫? また、話盛りすぎてない? いや、まぁ、なんかそんな感じの……近藤麻理恵の「Tidying Up with Marie Kondo(人生がときめく片づけの魔法)」というのもそのひとつだ。
これの変わっているところは、既存の整理法は、わりと理詰めで片付け方を指南、つまり社会全体に通底する普遍的な基準や教えが存在するのだが、こんまりにはそんなものは1mmたりとも存在しない。考えるな「Spark Joy」以上。また、要不要も考えない。なぜならば、それを考えるということは、それが必要、または不必要な理屈を考える必要があるということだからだ。ときめくかときめかないは、考える必要が無い。しかも極めて個人的な判断だ。では何故これが上手く機能するかといえば「それがいるか要らないかはすでに脳が最初から知っていたから」という理屈だ。多分。
しかし、そうはいってもまぁ普段は常識などに縛られて、そこのところのオツムの機能はうまく働いてくれないので、導師コンマリ様のお導きと修業によってお片づけ……え? そういう番組だったっけ? いや、まぁ大体そんな感じだよアレ。で、よくもまぁ、どうやったらあんな我楽多だらけのだだっ広いお家を片付けるのかというように、何が本当で最終的な正解かよくわからない場合……この方法が最も上手くいく。では、何故その要不要を脳が知ることが出来たかと言えば、その衣類や家庭用品、そのモノの情報を持ち主はすで脳にしまってあったので、グルのサジェスチョンによってどう振る舞えばよいかは自然に降ってくる……とこういうわけ。というか、まぁ多分そんなかんじ。このエピソードなら「予め知っているので思い出すだけでうまくいく」という話を上手く説明できているんじゃないかな? どうだろう?
ただ、この理屈でいうと、脳があらかじめ聴いたり、集めたりしていた情報の殆どが誤っていたり、そもそも技術が至っていないと盛大に失敗を繰り返し、まぁ目も当てられないということにも直結するのだが……その危険性はともかく……あぁ〜、あと、修業は少年漫画のお約束だが、この方法論だとまぁ、そういうところも楽ができないようにはなっている。多分。しかも修業と自分の状態は一意に決まらないので毎回必ず同じにはならないし、昨日ときめかなくて棄ててしまったものを、今日思い出してときめいてもあとの祭りというか……いや、こんまりは別にどうでもいい。え〜っっと、まぁ、そうだ、それに、正解自体は無意識でできあがっているので、その正解に至る過程の「どうしてこうなった」を説明しようとするとやっぱり相当無理がある、たとえば「だから、こう、だ〜ってきたやつがあるから、それをぐ〜って引きつけてのぱぁッっンっていつも言っているだろう……」「あの〜だから親方、だ〜、ぐ〜で、ぱっっんですよね?」「違〜う、だ〜っでぐ〜っでぱぁッっンだってんだろ、お前のはそもそも最初のだ〜っがだ〜っになってないんだよ、何回言わせるんだこのすっとこどっこい」「だ〜でぐ〜っでぱぁっっん?」「違〜う」とまぁ何を言っているんだかまったく要領を得ない。
本当はどういうふうにやればいいのかではなく、いまなにをするべきなのかということに注力すべきということが重要なのだが……まぁ。あと、それも修業といえるのかもしれないが、理不尽な師匠についてまわって、なんでこんなアホなことに付き合わされなきゃいけないのかと考え始めたらもう、たいていは何時の時代でもこんなことに我慢できる若いヤツはそうそういません。というかホリエモンじゃないが鮨握るだけにそんな修業に付き合ってられるかって……あと、まぁ、それとは逆に、あんまりにも真面目過ぎてこのあたりあまりのめり込み過ぎても問題は多い。なにせ、自分探しに、自己啓発、自閉したサークル活動からのパブリック・エネミー上等の破壊……いや失礼。社会活動、宗教、スピリチュアルからベッチー理論まで、まぁ他にもいろいろとあってなんでもあるけど……そういう面倒くさい沼に足を取られて、この……まぁなんだ、しかし、+もーも人生棒に振る方向にしか作用しないなこれホント。まぁそういうことなんで、この辺りはホント適当に。ホントご注意もうしあげましたよ。
つまり、ディスレクシアフォントをどういうふうに作ればいいのか、ということを考えるのでは無く、その目的のためにどうするべきなのかということ……料理対決漫画ふうにいえば、高級材料と高額なレシピを準備してどんなに豪華な料理を作っても、誰の為に料理を作るのかという「本質」を外してしまえば持っているモノと技術がいくら高くても相手を唸らせることが出来ないというお約束のストーリー。京極はんに「なんちゅうもんを食わせてくれたんや…」の名台詞を語らせるのはなかなか大変だ。この場合、高級レシピというのはディスレクシアフォントの制作方法のノウハウに当たるが、今回の件で言えばこれが全く当てにならない。料理を食べる相手を喜ばせる、つまり正解を得るためには相手のコトを知る……つまり関連する多くの情報を集めそれが知識として頭の中で結びついた感じの状態で、手を動かしていき……無意識が正解を選んでいく……と、上手く説明できているのかどうかわからないけど、まぁこのようにして、こういう状態にもっていく。と、あら不思議なんか上手くいきそうな気がしてきたぞ……っていうこと。
で、まぁ、こういうような話でもって、フォントをどういうふうに作ればいいのかではなくどう作れば良いのかは予め知っているので、思い出せば良いと……まぁそういう理屈になる……と、考えるというわけ……しかし、まぁ、一歩間違えるとオカルトだわ。これは……。
というわけで、こういうメソッドなので、なんでこうなったかということはほんとうに説明求められてもアレなんだが、実際、まぁ、この説明で正しいかどうかも……ほんとうに定かでもなんでもないところではあるのだが……そうだなぁ〜。それでも無駄に解説してみるという努力ぐらいは……そういうことをしてみてみることくらいはしてみようと思う。
0−2
Deathleqic Sansというフォント名に意味は無い。まぁ、強いて言えば綴りを盛大に間違えている…的なイメージが伝わればOKだ。日本語でいえば「ですレク氏さん。」ぐらいの変な感じ……もっともやってることも、盛大に間違ってる気もしてるので、これぐらいでいいんだけどね。いや、ホント。
なにしろ基本フォントのデザインベースというか、アイディア、コンセプト、考え方は「Comic Sansはディスレクシアの人々にとって一般的に入手可能なフォントの中で最も読みやすいもの……」というなんとも頼りない説をもとに拡げていっているだけなのだから……で、ベースはComic Sans。それを元にしているが、してはいるのだけれど、それを洗練させるというよりは、逆になるべく意識的に駄目なところを抽出する……という努力はしてみよう……という変なやり方だ。もちろん、こんなアプローチの正しさは微塵も証明できない。「Spark Joy」「本質直感」「DTF(Don't Think. Feel!)」まぁ、そんな感じ。で、そのアプローチでコツコツ……とは言っても、無意識に委ねているとついクリエーター心が湧き上がってきて無駄に整理しよう洗練させようとする欲がでてしまうところが……え〜い煩悩を棄てるのだァ阿……ッツって……まぁ、そのあたりのバランスの見極めは大事なんだけれど……このあたりをどうするかは、DTFメソッドのせいで説明しずらい。まぁ、それでも……そうだなぁ。
たとえば、要素の反復(Repetition)というのはデザインを統一したり、整理するために大事で、丁稚さんには口を酸っぱくして言い聞かせるところではあるんだけれど、Deathleqic Sansは意図的に共通部品を排している。またシンメトリーな表現になりそうな部分もあえてよけている……つまり、まぁ、「エイペックス、ひっくりかえせばバーテックス」(専門用語では、MとかAとかの頭のところのことの尖ってたりするところをエイペックスと呼び。逆にVとかの一番下の……まぁ言いたいことはわかるよね?)みたいなそういうのは避ける的なこと……とは、いっても、それによってエレメントが増えすぎて逆に読みにくくなっては目も当てられない……のでそこは適当に……とはいってもこの辺のバランスもDTF。
強いていえばストロークをなるべく一定の範囲からはみ出さないようにしておけば後は大抵なんとかなる……多分なると思う……なるんじゃないかな……ま、ちょっと覚悟はしておけ……的なアプローチ。本来なら揃えに気を使うべきボールやループ(フォントの曲がっているところの形)、カウンター(ストロークで囲まれた空間)のサイズにかんしてもそういうことで、なるべく非統一で駄目な感じにしたほうが共感と判読性は上がるだろうという考え方。もちろん一番大事なのは可読性なのでそれとの調整も必要、そこでバラバラでも感じを揃えるためブロックになったときの全体のイメージでグラデーション感を揃えるためカウンターでリズムがとれるように……と、またなんだか、どんどん説明が「ぐ〜っでぱぁッっン」みたいにオカルトになってきたぞ……ま、まぁ、ともかく理由はそういうことなんだ、が……出来上がりを見てみると……最終的にどういう理屈でこうなっていったのかは、作った本人にもよくわからない。う〜ん……。この章の頭にCentury Schoolbookとの比較画像を載せたけど、Centuryより良くなっているのかどうなのか……
で、まぁ、なんだかよくわからないものができあがっていて、これだとホントただ無意味なだけのガラクタだよ。しかし、まぁ、これを意味のあるオブジェクトにする。というか、なんだ、そんな魔法みたいな方法もあるにはある……多分あると思う……あるんじゃないかな……ま、ちょっと覚悟は……。
というわけで、そもそも当初の目的として何作ってたんだっけ? そう、ディスレクシアフォントだ。仮にもディスレクシアを名乗るならそれ相応に役に立つことを立証する必要がある。つまり、将来計画ってやつだ。普通のプロダクトだと、だいたいリリースしたときにはその時点で用途が決定している、というかまぁ普通はその時点で完成しているので、将来計画なんてものはグリフを増やすとかファミリー、スタイルを増やす、とかそんなものくらいしかないんだけど、この場合はこっちの作業のほうが、無意味な我楽多に意味をもたせる重要なお仕事になる。
まぁ、この元になるディスレクシアフォント、今回の場合はこのDeathleqic Sansだが、それにバリアブルフォントとか、Parametric Fonts的Technologyを組み合わせて被験者に自分の見やすい、判りやすい状態に調整してくださいってお願いすれば良いよね的なアプローチだ。
つまり当事者以外わかりようがないのであれば当事者に調整丸投げすればいいじゃん? という究極的なユーザーフレンドリー。いや、投げっぱなしだよね? どう見ても、まぁしかし、メガネつくるときみたいに、見にくいなら見えるように調整して下さい……っていうか、まぁそれしかないような気もするんだよね……実験に参加してくれる人が増えれば増えるほど、いろんな形が増えていってこれはこれで愉しい? その結果や如何……という感じで……。
だからまぁ、そっから先は偉い人に投げっぱなしにするとして。……っていうか、こんなふうに闇雲に手を出すのでは無く。ホントちゃんとした開発、そのための仕組み作り、ってまぁ、そういう感じからの正しいアプローチが大事になってくるんだけど……そういう事業に投資してみる気のある人っている? ……まぁ、どうでしょう?
という感じで……今回はいつもに増してとりとめのない。実に2万オーバーという高座の、あまりにも長い落語……いや、じゃなかった2万文字もの駄文に、単純な文字数だけなら原稿用紙にして50枚以上……って、いまどきこんな数え方もしないけど、そういった感じで、ここまでお付き合い頂いてしまったので、新機能の実験も兼ねておまけ付きとなっております。はい。拍手。
あと、最近FontLabばかりいじってたのでたまにはGlyphs触らないと、ってかんじでGlyphsでフィニシュして使い方忘れないように……ってしたんだけど……っていうか、あれ? だいぶ忘れてるなコレ? あ、 ヴァージョンアップがあったからかぁ? ここ、こんなだったっけ? いや、コレ……あ〜、思い出した? 思い出せない……え〜〜半年さわってないとこんなに忘れるモンだっけ……なんか、いろいろヤバいかも……う〜ん。
お決まりの、使用は自己責任。自家用、商用問わず。それ以外も現時点での業界の一般常識と同じということにしておくので……まぁ、特に説明することはない。フォント名の尻のNo3は、このアプローチでのスタイル変化の差、現時点でもNo5まではリストアップしてはいるのだが、まぁご多分に漏れずあまり宜しくない。理由は、いろいろだけど、どういう軸で、どうすれば、バリアブルできるかなんてことを検討していたためにまぁ、その、どれもこれもなんというか、中途半端。なんとも……。そのなかのうち、このくらいならまぁいいか的なのが、No3.というか、まぁ、ホントはこれを軸の真ん中にしようと考えてたんだけど……まぁ、そのあたりも、とりあえずは、どうでもいいや……。
ただ、まぁ、アプローチがアプローチなので、なにが正解かは全くよくわからない。このあたりもDTF。なんか降りてくるようなことがあればぼちぼち進めていきたい。実際グリフとかも全然足りてないし、バリアブル化もしたいので、バージョンアップできれば、またこの辺りで、告知します……多分すると思う……するんじゃないかな……ま、ちょっと覚悟は……いや、もうそれは……。
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