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『ヤンキー多発地帯・足立区のたたかう書店員』第1棚

あらすじ:編集者(フリーランス)として長年働いてきた独身・一人暮らしの私は、「愛する本のそばに居たい」と、思い切って書店員になる。ところが、そこは東京23区の端っこにある「この世の果て」「ヤンキー多発地帯」「犯罪件数・都内トップクラス?」と言われる東京都足立区。そんな足立区の駅ビル内書店に訪れるのは、ヤンキーや元ヤン一家、行き場のないカスハラ老人たちばかり。または本に何の興味もない無神経な住民たち。本を愛するあまりに毎日毎日、私は怒り心頭だ。そして、突然やってきた永遠の別れ…!これは本当にあった、たたかう書店員の私小説なのです。


いいか、あんたら客は神様なんかじゃないぞ!
そのうえ、万引き犯は客でもない! 犯罪者だ!
立ち読みは百歩譲って許してやる!
だから、立ち読みは立って読め!
ヤンキー座りで読むんじゃねーよ!

東京・足立区は愛すべき下町である。
そして、この小説は2011年頃のお話。
——書店の名前以外、すべて事実なのである。

第1棚・開店準備「編集者、書店員になる」

私はリクルートスーツを持っていない。
だが、以前はシンプルなスーツを持っていた。それは冠婚葬祭のみならず、フリーランスとして目当ての出版社に飛び込み営業をかける際や取材・インタビューの時などにガンガン着倒して、もうヨレヨレのテロテロ。十数回繰り返した引越しの何回目かで、やはりくたびれた黒い靴とともに処分したような気がする。処分したという記憶も定かじゃない。何せ、編集者として仕事を始めて約30年経つ。もう今年(2011年)50歳になろうとしているのだから憶えていなくてもしょうがない。
転職ばかりの編集者人生であったと思う。
幼い頃から本ばかり読んでいた。本は幼なじみであり、きょうだいであり、先生でもあった。でも、本を作ろうと思って上京したわけじゃない。デザイン系の専門学校進学を理由に上京して、卒業後に就職して。
そういえば、初めて社会人になった時はおとなしくて地味なスーツを着て、『とらば〜ゆ』という女性初の就職情報誌の広告を取る外回り営業をしていた。初めて勤めた銀座八丁目のその小さな広告代理店は入社して10カ月で倒産。一度転職してしまうと転職癖が付いてしまった。
ところが、「おかしな転機」が訪れ、それからずっと出版業界の片隅にいることになる。いや、転職癖がおさまったわけじゃない。出版業界の中ではその後も転職を繰り返してきた。
「おかしな転機」とは、スカウトだった。原宿の竹下通りで「モデルになりませんか?」なんてスカウトされる伝説は1980年代後半から山のように聞く。私の場合は、そんな砂糖菓子のような夢物語ではなく、居酒屋でビール片手にゲップされるような与太話だ。
「おまえ、おもしろいから、明日からうちの会社に来い!」
居酒屋でマンガ家の友人とゲラゲラ大声で笑いながら飲んでいたら隣にいたおじさんに気に入られたようだった。
本気にして、四谷三丁目の雑居ビルに行ったら、その会社は起業したばかりの小さな編集プロダクション。それぞれ大手出版社を飛び出した30代前半の編集者とデザイナー、それも全員クセの強い男性ばかりだった。今思えば、昭和の出版業界・最後のサムライたちだった。
誘われるままにその会社に入社。その後、何度となく、会社を辞めたり、再就職したり、フリーランスになったり、全部辞めてみたり、戻ったり、を繰り返して現在に至る。

ドラマにあるような素敵な編集者人生ではなかった。安定した生活、オシャレなファッションやコスメとは縁遠く、地を這い、泥水をすすってきた。「辛酸なめ子」と名乗っている人よりも辛酸をなめてきた。私は「泥水すすり」と名乗りたいぐらいだ。大学を卒業していないということがとてつもなく大きい。「もう、この時代、学歴なんか関係ない」という言葉はよく聞いてきた。いや、そんなことはない。大手出版社の壁は「学歴」「学閥」からできているのだ。
(なんで、編集者になっちゃんたんだろ?)
(なんで、辞めないんだろ?)
辞めようとしたが、すぐに戻ってきてしまう。
これを私は「活字の神様に呼び戻される」と表現している。
「いやあ、活字の神様とか本の神様に愛されちゃって、離してもらえないのよ」
そんなことを言い訳に笑っていても仕事がなくなると死活問題。働かざる者食うべからずだ。フリーランス(自営業者)になってから編集者やライターとして請けた仕事をしながらも別のアルバイトにも精を出した。いろんな場所で仕事をした。スーパーマーケット、居酒屋、パチンコ屋、雑貨店、飲食店の洗い場、飲料工場などなど。どこの職場もイヤなこともあったが、仕事自体はおもしろかったし、たくさんネタもできた。
でも、本業の芯の部分は「本や雑誌」の仕事だった。
そして、40代に入ると副業といえども仕事は何でもいいわけではなくなってくる。コチラはよくても向こうがよくないのだ。「店長より年齢が上の人って使いづらい」ってことなのか、「その歳で独身って何か事情ありそう」ってことなのか、はたまたその両方なのか。
ただ、無我夢中で働いていたら、「うっかり」この歳まで独身で一人暮らしってだけなんだけど……。自分の人生をかけて誰かをサポートするなんてまっぴらごめんだ。私の世代は社会人女性の扱いなんてため息か涙が出るエピソードばかり。コンプライアンスなんて言葉は世に出るのが遅すぎた。そして、それよりも私の大好物は「自由」なのだ。でも、この道を「強く選んだ」わけじゃない。やはり「うっかり」「ぼんやり」が一番近い表現。
でも、そろそろ出版業界以外の風にも当たってみたいし、全然違う職業についてみたい。体力的にもデスクワークがいいな……なんて選べる年齢でもなかった。
この歳になると、転職が難しいのではなくて、「転・業界が難しい」のであった。
私は何をしたいのかな?
そう考えても結局は「本の神様に呼び戻される」。
——やっぱり、働くのなら本やマンガのそばがいいな。
出版業界の片隅にいて、メールもインターネットもない、手書き原稿の時代からいろんなジャンルの雑誌「編集者」「ライター」をやってきた。
でも、そういえば書店員はまだやったことがないな。ふと、そう思いついた。

そう思いついたら行動は早い。
駅ビルに入っている大きな書店に行くと、タイミング良く店内に「書店員募集」の張り紙があった。すぐに電話をして、今ココ! 面接されている状態だ。
ブックスあだち無双店の片隅にパーティションで仕切られた六畳ぐらいの休憩室兼事務所。書店員たちのコートやバッグ。ファクシミリの置かれたカラーボックス。年季の入ったスチール製のデスク。その、ありとあらゆる隙間に雑誌や書籍も山と積んである。
その、ど真ん中に置かれたパイプ椅子に座った私は、「特別なお出かけ用のキレイなジーンズを履き」……「それでもあまり印象は良くないだろうな」と不安な気持ちでいた。
目の前には大きな身体、いわばぽっちゃり体型の男性店長。歳は30代半ば。
あとからわかったことだが、店長はマンガやラノベなどの隠れオタクで、大学卒業後はマンガ雑誌の編集者になりたかったらしい。彼はきっと、「書店員募集」の張り紙を貼った時には、足立区在住か、通学でこの駅を通る本好きの大学生が申し込んでくるものと踏んでいた。もしくは近所の主婦。
ところが、やってきたのはフリーの編集者。マンガ雑誌の編集者経験があり、話を聞くとマンガ家の友人が山のようにいるという。おまけに、編集者の仕事は今はやっておらず、小説家の道を選んだというではないか。
店長としては、伝統的に安く設定されている書店員の時給(東京都の最低賃金2011年当時/時給837円)ギリギリのラインで雇える人を想定していたと思うが、やってきた年上のおばさんは自分のオタク心をくすぐってくる経歴の持ち主。これは今までのアルバイト・パートの中でも一番話が合うかもしれない。というか、お店の商品(本や雑誌)の説明をしなくても済む! と瞬時に判断したと思う。
オタク店長の表情から面接の途中で不安な気持ちが氷解していく。
かくして、フリーランスの編集者で小説書きの独身・一人暮らしの女は50歳目前にして書店員になった。
長く出版業界にいるのだから流通の裏側もちゃんと見て、知っておきたい。
今までやったアルバイトの中で一番知っているジャンルのお店。ずっと作ってきた可愛い可愛い本や雑誌たちをきれいに旅立たせてあげられるお仕事だ。いろんな夢や希望が急に膨らんできた。

なーんて、「憧れの書店員がやれる」とわくわく感いっぱいであるが、初出勤してまもなく、その膨らんだ希望は軽く打ちのめされ、どんどんしぼんでいくことになる。
その代わりに怒りが増し、笑いと混在して混沌の状態となっていく。
これから、元ヤンファミリーや万引き犯だけでなく、「別に本が好きでも何でもないお客様たち」との闘いが始まる。

ここは足立区。ヤンキー多発地帯。

——戦いの火蓋が切られたのである。

(第1棚・開店準備「編集者、書店員になる」了)

●第2棚「足立区とヤンキーと書店員と」:https://note.com/uozumihinata/n/n65567541ddd8
第3棚「立ち読みは立って読め!」:https://note.com/uozumihinata/n/n3dc9e1a819e2
第4棚「定年後のデイサービス」:https://note.com/uozumihinata/n/n68c32b404a81
第5棚「足立区の天使と魔法の小箱」:https://note.com/uozumihinata/n/nb53f3483971d
第6棚「表紙を捨てろ?」:https://note.com/uozumihinata/n/n3fe466f1e3b4
第7棚「ヤンキーの箱船」:https://note.com/uozumihinata/n/n2ff440ef1911
第8棚・休憩時間「パブロフの接客」:https://note.com/uozumihinata/n/nfd37f451859c
第9棚「幸せと地獄を売る店」:https://note.com/uozumihinata/n/n24cdf777f7cd
●第10棚「足立区にモンスター現る!」:https://note.com/uozumihinata/n/n8002536dddd9
●第11棚「刃物を持ったお客様」:https://note.com/uozumihinata/n/n564e70dbea2e
●第12棚「トラブルメーカーは私じゃない!」:https://note.com/uozumihinata/n/n297360d7c642
●第13棚「アナログ万引き 〜情報はタダじゃない!」:https://note.com/uozumihinata/n/n5c2de62d6244
●第14棚「異常者・くじ男」:https://note.com/uozumihinata/n/n77e19e498118
●第15棚「店長の苦悩 〜別れは突然やって来る」:https://note.com/uozumihinata/n/n6bf997640866
●第16棚・閉店時間「本の下僕(しもべ)」:https://note.com/uozumihinata/n/n36ef7a64d791

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