見出し画像

『ヤンキー多発地帯・足立区のたたかう書店員』第2棚

第2棚 「足立区とヤンキーと書店員と」

 
午前11時30分を過ぎると、部屋を出る。スニーカーの紐をきゅっと締めたら、団地の5階から奈落の底にスパイラル状に落ちていくように階段を駆け降りる。
この団地は古く、エレベーターが付いていない。「4階以上の建物にはエレベーターを付ける」という建築法が施行される前に建てられた昭和40年代の遺物だ。古いから家賃も高くない。5階建ての5階。2K。駅から徒歩約15分。ド鳩が毎日飛んで来てベランダを荒らすこと以外は気に入っている。
急ぎ足で向かう駅は改札が一つ。改札口と直結した駅ビルは東口と西口に分かれる。私が住む団地は東口。書店は西口の駅ビル内。つまり、駅ビル内を突っ切って、勤務先に向かうことになる。
 
ブックスあだち無双店はその名の通り、足立区にある。
基本的に、私は庶民派なので金持ちが集まりそうな高級でオシャレな街に住むことは避けている。経済的にも無理なのもあるが、「ノーメイクにジャージでコンビニに行けないような街には住むな!」を家訓にしているほどだ。実際にジャージで外出はしないが。
東京23区の東側が個人的には好みの街が多い。台東区をはじめ、とにかく下町が過ごしやすい。時代小説で江戸っ子たち庶民が生活する下町が好きなのである。
「大川(荒川)越えたら江戸じゃねぇ!」
江戸っ子はそう言うが、現代ではどこからどこまでが江戸か。「江戸朱印図」の外側、荒川を越えた向こう側にある足立区にも下町があって、大好きな職人さんや町工場がたくさんあり、庶民的な町だ。好きだから、選んで引っ越してきた。
ところが、江戸時代から二百年以上経ち、昭和の終わり頃から劇的に変化したことがある。
ヤンキーの登場である。
世代的には昭和50年代に「ツッパリ」と呼ばれていた不良の方が見慣れていた。制服に細工をして、変な髪型をして、市民を威嚇する10代後半〜20代半ばぐらいが中心の、集団にならないと行動できない若者のことである。呼び方以外の行動はいつの時代もそう変わらない。非常に日本人的な縦社会で構成されており、その集団から卒業した先輩は「元ヤン」となり、その感性は後世まで引き継がれる無間地獄である。
江戸時代には、「江戸の外」とされた北千住の血気盛んな下町っ子たちと「江戸の内」の江戸っ子たちでの揉め事が時代小説に描かれているが、多分現代でもそんなところから暴走族同士の喧嘩は起こっているのだろう。
そういえば、昭和の終わり頃に、「生まれも育ちも日本橋」という知人から「下町の人は『まちっ子』と呼ばれ、山の手の気取ったやつらは『のてっ子』と呼んだ。学生時代、山手線内でまちっ子と、のてっ子が会うと、自然とメンチ切ってバチバチになる」という物騒な話を聞いたことがある。
昭和の終わりから平成にかけて、足立区での事件が多く、治安も悪化し、スラム街的なイメージが強くなった。だがその後、足立区の地道なクリーン作戦は成功し、年々、ヤンキーは見ることがなくなり、代わりに「元ヤン」率が上がっていったのである。
しかし、引っ越してきた2010年当時、深夜になるとどこからともなく聞こえてくるパトカーと暴走族の追いかけっこ「そのバイク止まりなさい!」「おまえら止まれ!」にたたき起こされることが多かった(令和に入ってもたまにある)。
「まだ暴走族っていたんだ……」
この現象は大田区も似ているところがあり、町工場・職人・下町というキーワードも同じである。足立区も大田区も「住んだら楽しい、気取らない、飽きない町」は変わらない。どちらも雑多な感じが良い。
最近、足立区は都心に勤めるサラリーマンのベッドタウン化しており、若いファミリー向けの大型マンションがどんどん建ち、街が「オサレ化」しているのがつまらない気もする。若いファミリー層と先住民。朝から(まで?)飲んだくれて道端で暴れるオヤジを横目で見てビビりながら出勤する若い会社員。空間が歪むのがまた楽しい。
 
しかし、知的な町かと言われれば首をかしげざるを得ない。北千住は学園都市を目指したから文化的な要素が年々増加しているが、他の町ではどうだろう。
足立区には素敵な図書館がない。小学校給食には力を入れているようだが、図書館にはあまり予算を割いているように見えない。
駅前の書店もチェーン店が中心で、個人で頑張っている足立区の独立系書店は見たことがない(足立区は意外と広い。私の知らない素敵な図書館や書店があったら申し訳ない。2010年当時ですし)。
知的好奇心のある大学生は、大学に行くついでに北千住の書店で本を買うだろう。ちょっと入手困難な本は神保町まで脚を伸ばして探しに行くかもしれない。時代的にはインターネットで探してポチすれば購入も簡単にできる。足立区に限らず、全国的に書店が減っているご時世に、個性のないラインナップでただ本が並んでいるだけの書店をわざわざ新たに作る意味はないだろう。
「知的」からは遠くに位置する足立区。
 
そんな足立区の東武線沿線の駅ビル。その4階に「ブックスあだち無双店」はある。目立ちはしないが老舗のチェーン店で、駅構内にキオスクの親戚のような顔をして並んでいる店舗が多い。無双店はその中でも駅ビルの4階フロアのほとんどを占有しており(フロアの5分の1はCDショップ。それ以外は全てブックスあだち無双店)、ブックスあだちの全店舗中でもその広さと取り扱い商品数では一位二位を争う。
駅ビルのエスカレーターで4階に上がると、目の前にはレジカウンターがあり、早番の先輩たちが黙々と働いていた。
この店の書店員たちは、客に本の場所を聞かれれば、広い店内を走って探し回る。その場を動きもせず「あの棚になければ無いですよ」とはほとんど言わない。何故か、全員必死に探す。広い店内に少ない書店員……人手不足ではあるが、とても親切な書店員たちだ。伝統的に安い書店員の時給……それでもブックスあだち無双店の店長と書店員たちは親切丁寧だった。
書店のプロ。冷静沈着・クールで仕事はテキパキとこなす働き者揃い。忙しくてお喋りをするヒマがないというだけだが。
6〜7名いる女性パート・アルバイト従業員は全員地元民だが元ヤンではない。男子大学生がアルバイトに入ったこともあるが、基本的にオタク店長以外女性書店員で、「早番」「中番」「遅番」のシフトで回している。
駅ビルに合わせ、営業時間は午前十時から夜の九時まで。
ちなみに時給は、825円スタート(2011年当時)で、半年ごとに数十円ずつ昇給する。
 
ところで、この書店の一番の売りは、駅ビル内にあって、他店より比較的にアクセスがいいことだ。だから、電車に乗る「ついでに」書店に寄る客が圧倒的に多い。もちろん、電車で到着した後にも。夏にはひと休みするためだけに涼みに入ってくる客もいる。改札の目の前にあるわけではなく、4階まで上がらなければならないが、ちょうど良い待ち合わせ場所、時間つぶしの場所であることは確か。行き場所のないお年寄りの止まり木かもしれない。
休憩室兼事務所に入る前に、ふとレジカウンター内から店内を見渡す。
この店にやって来る客のうち、本を愛している人は2割もいないだろう。特に元ヤンファミリーからしたら「あってもなくても別に暮らしていける」のが書店のようだ、今のところ……。
実際に来店した元ヤンに突然「字なんか見てたらクラクラすっから本なんか嫌い!」と言われたことがあるが、ニッコリ笑いながら「だったら来なくて結構ですよ」と返して、険悪な雰囲気になったことがある。
でも、本を愛する人じゃなくても「必要!」と思った人が「必要な情報を得に来る」のだからありがたいことだと思いたい。
何度も言うが編集者を目指したことは一度も無い。それでも私は本や雑誌を作ってきた。出版業界の片隅で地を這うように生きてきた。ずっと貧乏だ。何度も辞めようと思ったが、まだ続けている。本や雑誌を愛しているから。
大手出版社にはいろいろ言いたいことはあるけれど、その子たち(本)には恨みはない。この子たちがどうやって生まれるかを知っている。どんな想いから生まれたかを知っている。どんな血と汗と涙でできているかを知っているのだ。
だから、そばに居て、必要としている人のもとにキレイな状態で見送る仕事がしてみたい。
 
実際、インターネットのオンライン書店で本を買うことは多い。電子書籍も購入することもある。だが、書店で実際に手を取って、ぱらぱらめくって見る行為は大切だと思う。10代〜20代の頃は立ち読みばかりしていた。不動産屋で新しい部屋を探す条件には「書店の近く」が入る。書店はスーパーマーケットやコンビニと同じぐらい大切なのだ。行く場所のないお年寄りと同じだ。結局、書店に行き着くのだから。
 
本や雑誌、そして書店を愛しすぎたこんな編集者に書店員はつとまるのだろうか。きっと書店や本の流通の裏側を見て、失望するに違いない。
アルバイトが始まる直前にはそう覚悟していたが、果たして予想通りの展開となる。
私は実は接客業には向いていないことは百も承知だった。
一見すると人当たりも良く、明るく愛想が良いから「接客業に向いているね」と言われることが多いが機嫌が顔に出るのがいけない。根は暗い。本を愛していない(客ともいえない)客とすぐ戦おうとする。本を愛していない無神経な客を上から見下ろす態度。本来、接客業とは「テンション低め安定型」が向いているというのが持論だ。それからするとテンションの乱高下はいただけない。
それでも、書店員をやってみたいと思った。他の接客業には興味は無いが(コンビニなんて難しくて無理!)、書店は別だ。
さあ、これで私はこれから書店員だ。
週に4日、正午から午後5時まで5時間ほど書店員として働く。
どんな戦いが待っているのやら。
ただのパーティションで囲われた休憩室兼事務所の薄っぺらいドアを開ける。
 
正午の10分前。戦闘開始。
 
第2棚 「足立区とヤンキーと書店員と」了)

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?