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わたしたちは融け合えない

群像劇が好きだ。群像劇とまでいかなくとも、主人公以外の登場人物たちが「生きている」ものが好きだ。

「生きている」と感じられるかどうかは、完全なわたしの主観だけれど、今パッと思いつくのはこのあたり。(完全なる好みです)


・ハイキュー!!
・鋼の錬金術師
・彼氏彼女の事情
・CRAZY FOR YOU
・金色の野辺に唄う
・レミゼラブル
・半分、青い
・大河ドラマ(すべてではないけれど)

映像ものやマンガ中心なのは、わたしがこの手のものでは絵があるものを好むからだろう。一方で、小説ではひとりの心情にずぶずぶ沈み込む方が好みなのだなと今気づいた。

「うわあ、いい……」と感じる作品は、主人公のためだけに紡がれた物語ではなくて、物語の中に主人公がいるような、そんな感覚になる。

もちろん、主人公のために敷かれた展開もあるだろう。けれども、作者の意向が見え見えになっていない、「主人公無敵」「ご都合主義」ではないものは、リアルに近づくからか、ぐっとくるものが多い。


いろんな人がこの世界にはいて、それぞれがそれぞれの人生を生きている。こんな当たり前のことが唐突に胸に迫ってきて、泣きそうになることがある。この感情を何と呼べばいいのか自分でもよくわからないのだけれど、無性に愛しくなるような、尊く感じるような、そんな感覚が近い。

思えば、これは高校生になって電車通学をし始めてから抱えてきた感覚だ。車内にいるひとりひとりに、それぞれの家族や恋愛や仕事や友人があって、たまたま今ここにいる。そんな想像を巡らせてばかりいた。……いや、いる。今でも電車に乗るときには、乗客をぼんやり眺めながら同じことを考えている。

悩みも苦しみも、幸せも。感情のすべては儚くて、それでいて力強い。ほろほろと光が砕け散っていくような自分の感情を、それでも握りしめていたくて、みんなこうして生きているのだろうかと想像しては、なんだかたまらなくなる。

多種多様な人が行き交いながら、その中の幾人かとは実際に関わりながら、それでもずっとそばにいるわけではなくて。世界は融け合わないけれど、融け合えないからこそ、まぶしく見えるのだろう。

名も知らぬ人が抱えている「生」は、わたしには知る由もない。だから、多角的に垣間見せてくれる作品が好きだ。

自分と同じように、その人にはその人の人生があるということ。そんな一見当たり前のことに、心を揺らがしたり震えさせたりしている。


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