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「ひとりきり」を貫く方が、孤独感に苦しまずに済むのかもしれないのだけれど

人はいつだってひとりだ。誰かといても、いつもどこかで、人はひとりだ。

孤独に関するnoteを読んだ。


この「誰かが感じている感覚を本当の意味では共有できない」という感覚がよくわかる。そのことに思い至って、ひどくさみしくなったこともある。


そもそも、この孤独感というのも、この「理解しきれない」もののひとつだ。特に、この感覚はひとりひとり大きく異なる。孤独に強い・弱いの違いなのか、そもそも孤独を感じにくい人がいるのか、どちらなのかはわからないけれど(どちらでもあるのかもしれない)。


以前、そうしたことについては、こちらを読んで「あー」と納得した。


わたしは孤独感が強いタイプの人間だと思う。常に、どこか“満たされなさ”を感じていることが多く、孤独を埋めるものや紛らわしてくれるものを探し続けている。しかし、「ああ、埋まったな」と思えた試しはほとんどない。思えたとしても、ただその瞬間だけのことで、すぐにまたひゅうひゅうと隙間風が音を立てているのを感じ始めてしまう。



どうしたって、わたしはどこまでいってもわたしひとりきりなのだと感じたのは、はじめて彼氏と寝たときのこと。

十代の頃のわたしは、呆れるほど短絡的に、好きな人と体を重ねれば抱え続けてきた孤独感が紛らわせるのだと思っていた。今思えば、何て浅はかだったんだろうと思うのだけれど。

でも、それは当時のわたしにとって、心がひりつくほどの切実な、祈りに近い希望だった。

しかし、実際には、どうしたってわたしはひとりなのだという実感だけが、わたしの前に立ちはだかった。

こんなに近くにいるのに、こんなにも遠い。

その感覚は、そのときわたしに刻み込まれ、今でもわたしの心を刺す。

いつ、どこに、誰といたとしても、わたしの孤独感はなくなりはしない。満たされて隙間風を感じずに済む日は、たぶんきっと、ずっとこない。

誰かと近くなればなるほど、その遠さを感じる。親しくなればなるほど、どうしようもない寂しさを感じることが増える。



人はいつだってひとりだ。どこまでいっても、わたしはわたし、あなたはあなただ。

自分の孤独は自分で引き受けなければならない、と思っている。感情も、判断も、行動も。

けれども、だからこそ、誰かとともにいたいと願う。“誰か”を得れば、もっと辛くなることなんて、わかっているのだけれど。


そもそも、人が“ひとり”だと実感するためには、“誰か”が必要だ。自分以外の人間と関わっているからこそ、孤独感は浮き彫りになるものだと思うから。

だとしても、わたしは人と関わっていきたい。孤独が怖くて、辛くて、苦しいくせに。それでも、絶対的な“ひとり”を感じながら、あなたに少しでも近づきたいと思う。どうしたってひとつにはなれないし、すべてを理解なんてできはしないのだと、わかってはいるのだけれど。




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