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「Lady steady go !」第8話

未環は社に戻って、有限会社坂口工業のヒアリングと再建スキームのレポートをまとめる作業に入った。

坂口寛が実家に戻ってわずか1年後に、先代の坂口昭が工場で一人作業中に脳梗塞で倒れ、発見が遅れたため左半身麻痺の要介護身障者になっている。
坂口寛は仕事がまだ把握できる以前に債務超過の家業を担うことになったのだ。

坂口工業は建築用鋼製建具の製造施工を業務としている。
寛の祖父が立ち上げた「坂口商店」は町のガラス屋で、そこからアルミサッシュなどの売上を伸ばしていった。
昭が地場の中堅ゼネコンの二次下請に入り事業を伸ばしたが、バブル崩壊、リーマンショックの荒波で事業不振に入っていくなか、昭の保証人問題が起きた。

この時から事業資金目的として保証人弁済のため借入を増やしていった。
未環が驚いたのは、よくこの売上規模で四つも借入ができたこと、それも全て無担保の公的金融機関からであった。
坂口寛は事業拡大はできなかったが、実はなかなかの経営判断ができることがわかる。

しかし保証人は個人であり、法人名義ではない。
事業資金の借入金をダイレクトに個人返済に回す訳にはいかない。
この場合悪手の処理しかできない。
坂口工業が坂口昭に貸付を行う形で会計処理をするしかないのである。

貸付となると、坂口昭は名目上坂口工業に返済をしなくてはならない。
しかも貸付である以上、法定金利も計上しなくてはならない。
帳面上は少しずつでも毎月返済を起こさないと、金融機関は「個人が事業資金を欺いて流用した」と判断する。

坂口工業の場合は個人の債務返済という理由によるが、放漫経営のはてに債務超過になるとこのような会計処理を余儀なくされたりする。
これは債務超過の中小企業によくあるケースなのだ。

坂口寛は売上もそうだが、利率が悪く仕事のムラもあるのに要求される過剰なキックバック、つまり裏金の献上が納得いかずにゼネコンの二次下請を徐々に減らし、地場の在来住宅を手掛ける工務店にシフトしていった。
その売上先の転換は経営判断として間違っていなかったが、利益率は向上する代わりに売上規模はかなり縮小した。
伯父以外の社員を解雇せざるを得ず、スタッフの減少が更なる事業規模の縮小につながる負のスパイラルに陥ったのだ。

未環はスタッフの前田に顧問会計事務所との折衝を頼んだ。
ハートフードに再建依頼をしてきた会計事務所は、坂口工業に毎月2万、決算月25万の契約をしている。
月顧問契約は破棄し、決算のみ15万で行う。それが呑めなければハートフードが坂口工業の決算を代わるという交渉だ。

未環は坂口寛にカードローンを確認した。
未環が予想した通り、給料を取るのも苦しい坂口は個人でカードローンを借りていたのだ。
しかし残念ながら、法定金利が改正された後のローンしかなく、過払い請求の対象はなかった。

坂口の生命保険を精査し、死亡保険金が多く更新の度に一気に契約料が上がる現在の保険を解約し、死亡保険に特約をつける保険ではなく医療保険などを個別に分けて更新が発生しない保険に切り替えるよう、協力代理店に連絡を入れ坂口を訪問するよう手配した。

小手先の技しか残ってはいない。
それでも抗わなくてはいけないのだ。

「世の中には苦難に抗がえず逃げる人もいれば、苦難に打ち勝つ人、苦難に破れ去る人もいる。

どう思われるかはわかりませんが、打ち勝つ人が偉い訳ではなく
逃げる人がおろかでもない。
破れ去れば何もかも失うかもしれません。

でもね瀬戸さん、破れ去ってもそれで終わりではないんです。
その後も続くんですよ。人生は

そう信じています」

最後に坂口が言った言葉が、未環の脳裏に点滅する。
地獄はそれを地獄と認めない者にはやけど程度の炎なのかもしれない。

強くて意地っ張りで、それでもクールだと未環は思った。

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