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「注文なんかいらない料理店」 33

金曜の夜から歯医者の予約があるため次男が戻っていて、彼のために正月にやり損ねたどて煮を作りました。
午後から新年会があったため、午前中から仕込み。
前回スジ肉が固かったので、今回は帰宅後も含めて述べ5時間以上煮込みました。
疲れるわぁ…(苦笑)

話は変わって、本当はこの話題触れたくなかったのですが、松本人志の問題でXの投稿が本当に情けないなと思ってます。

今自分がチームリーダーを務めるグループが担当する月例会で、来月ジェンダーギャップの問題を取り上げるのですが、セクハラの定義について「まず最低限当事者同士にそのように思わない関係性があればセクハラとはならい」(もちろんセクハラがOKということではなく、グレーゾーンで誤解にはならない)ということが話に上がっています。

ではその「関係性」はどう作るのか?
至ってシンプルです。
日常しっかりとコミュニケーションを取る、それしかありません。
双方がです。
片方が一方的に取るならば、それはコミュニケーションではなくてハラスメントです。
コミュニケーションとは互いが信頼と尊重を得るための過程なのです。

SNSの脆弱性はそこにあります。
双方向のコミュニケーションでない。
ならば、自身の心情や意見の発露を優先するのではなく、自身の心情や意見をどれだけ相手に丁寧に伝えるかが最も重要になるのです。
僕がXを全く見ないしやらないのは、そこに溢れている言葉の8割は心情の発露でしかないからです。

そして還暦前後の芸能界の重鎮が、駆け出しの能も無い子供インフルエンサーみたいな匂わせ短文ばかり出している様が無様にしか見えません。
コミュニケーションの本質がわかってないなら、やはり関係性が作れない故のセクハラがあったと思われても致し方ない気がします。
つまり一方的なのです(セクハラ問題を矮小化するのが「同意があった」か無かったかです)

事の本質は誰にもわかりませんが、あの投稿の数々は少なくとも事後対応としては最悪、危機管理ができていないとなります。
そしてセクハラに限らず、やはり人との関わりで楽をしようとすれば、どこかで掛け違いが生まれる、それを意識した方がいいのかと。
コミュニケーションは面倒だけど、面倒なことでしか本物は得られないんじゃないかな。

今日はちょっと堅めな話でしたが、当然うまく仕上がりました。
おいしくいただきました。
ごちそうさま。

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