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#お酒にまつわるエッセイ
「ペンキ屋はbarにいる」1
タイトルはもろパクリですが、インチキ文筆家らしく、たまにはらしい企画をやってみたい訳で、短編小説ばりのエッセイを少々。
若かりし頃の「酒と薔薇の日々」の追憶です。
興味を惹いたらどうぞご一緒ください。
アルコールを嗜むようになったのは30からだった。そこに至るまでには自分の修行(?)があった。
高校の頃、同級生の家に遊びに行き。そこで初めてジンという酒を知った。
当時、酒というとビール、日本酒
「ペンキ屋はbarにいる」2
僕がシングルモルトにはまったのは30を過ぎてからだった。
それにはちょっとしたエピソードがあって、今回はそんなこんなをお話します。
27の時、会社をクビになった。
若かった自分が取締役の上司とケンカした結果だった。間違っていたのは自分だと今は言えるし、だからと言って後悔は微塵もない。
強いていえば、僕の我が儘で会社に迷惑をかけたのだが、人は時として間違っていても突き進む選択をしなくてはならない時
「ペンキ屋はbarにいる」3
30になって実家の塗装業を継いだ僕は、覚王山の異界のようなバー、Love Potionに通うようになった。
実家が池下ですぐ隣町、帰りの方向なので週一ぐらい仕事帰りに寄るようになっていた。
当時は17時半から店を開けていたかな。
余りはっきりと覚えてないが、軽く引っかけて帰る積もりだったので、自分はいつも一番客だった。
次の客が来る前には席を立つのが常だった。
僕が来るきっかけになった、階下の
「ペンキ屋はbarにいる」4
毎回記憶をたどりながら書いていたので、思った通りにはいかない出来が歯痒いながらも、かといって下書きやノートをとった訳でもないこの雑記。
ちょっとは楽しんでもらえれば幸いです。
以前ふれたフリーランス時代、僕が契約していたキッチンスタジオは自然塗料の小売りをしていた。
ロハスのはしりである。
その塗料をドイツから輸入販売していた有名な日本の塗料メーカーの社長はキッチンスタジオのショールームを気に入
「ペンキ屋はbarにいる」5
30代の前半ひょんなきっかけで、実家に近い覚王山のジャズバー「Love potion」に通うようになっていた僕は、その店が名古屋では最も有名なジャズドラマーの一人であるU氏がオーナーであることを随分後で知った。
名古屋のジャズシーンを知らなかったのもあるが、たまに店で聞けるU氏とミュージシャン仲間の会話は、それは面白いものだった。
その頃、カウンターに10席の小さな店を任されていたLUNAは、ジ
「ペンキ屋はbarにいる」6
このエッセイの本編はこの6話で終わります。
後日談のエピローグがもう1話ありますが、若き日の思い上がった奇妙な日々を振り返るのは、様々な感興を自分にもたらします。
そう、MIXTURES EMOTION 、ですね。
初めてのまとまった話を書き上げた僕は、勢いそのままに次作に取りかかった。
脳が痺れるような余波が切れる時、それをもう一度手繰り寄せたかった。
そして今なら、それが可能に思えた。
昔
「ペンキ屋はbarにいる」revised
5年前、本編の連載が終わってしばらく後、備忘録のようなつもりで最後の追記を綴りました。
忘れ難い偶然の出来事が、物語の最後をプレゼントしてくれたようです。
出会いに終わりがくるように、自分の中にある少し寂しい別離を記録するために
僕が通った覚王山のバー、Love potionは、元々つぶれた呉服屋の本社屋のビルを改装したテナントビルの4階にあった。
かつてはその廃ビルの前を通って、幼い僕は小学校