デザインの考古学 ―産業革命からデザイン経営まで― #203
デザインという言葉の意味を理解するのは難しい。なぜなら、デザインに対する決まった日本語訳がなく、カタカナで「デザイン」と書くしかないからです。英語のDesignにもさまざまな意味があるので、さらに理解が難しい。
そこで、デザインとは何かを理解するための通時的な方法として、デザインの歴史を調べてみました。デザインの歴史を見てみると今のデザインの抱える課題が見えてくるような気がします。
デザインの起源からモダニズムまで
デザインの発祥は、18世紀後半から19世紀前半にかけて起きた産業革命にさかのぼります。産業革命以前は職人が手作業でものづくりをしており、つくられたモノは基本的に一点もので、壊れても修理しながら使い続けていました。産業革命後は、機械を使って大量生産するという新しいものづくりの方法が生まれましたが、機械で生産された物は粗悪品だらけだったようです。
そこで、登場するのがウィリアム・モリスです。彼は大量生産される粗悪品よって世の中に美しくないものが溢れることを懸念して、アーツ&クラフツ運動を起こしました。ざっくり言うと、「産業革命以前の職人気質のものづくりを取り戻そう」という主張です。
一方、ドイツではヘルマン・ムテジウスを中心としたドイツ工作連盟が生まれ、規格化を推し進めました。規格化とは製品の寸法などを統一することです。これによって機械による大量生産の品質を上げようと試みました。
ドイツ工作連盟の唱えた規格化は、モリスに代表される大量生産による美しさの退廃を嘆く主張と対立しました。そこで、大量生産でありながら美しいものをつくる方法を考えるアーツ&インダストリー(機械生産の美)という思想が生まれます。また、それを教える組織としてバウハウスが誕生しました。
「技術や素材に適した形をデザインするべきであり、機能にならえば自然に美しい形になる」というバウハウス的なの考え方は機能主義と言われています。モダニズムやインターナショナルスタイルと呼ばれる流れの源流はバウハウスにあるようです。
このように、産業革命以後の人々は芸術と産業の両立を追い求めてきました。この試みが今のデザインのルーツです。デザインの成り立ちを踏まえると、デザインは美しさと機能性を両立させることと定義できるでしょう。
デザイン、アメリカに渡る。
産業革命の影響はヨーロッパだけでなくアメリカにも及びます。アメリカはヨーロッパと違って職人気質の伝統がなかったり、西部開拓で人手不足だったりしたこともあって、機械の導入に抵抗がなかったようです。たとえば、フォードはベルトコンベアで自動車を大量生産する仕組みを考案し、T型フォードと呼ばれる車をひたすら売りました。
そんなフォードに対抗したのがゼネラルモーターズ(GM)でした。GMは黒いT型フォードしか販売しないフォードと差別化を図るために、カラーリングを多様化したり富裕層向けの車種を販売したりしました。この頃からニーズや流行という概念が誕生し、消費者が気に入る見た目にデザインすればいいという商業主義が生まれました。
戦後(1950年代)にはこの商業主義がさらに加速し、ポピュラックス(Popular & Luxury = Populuxe)へと至ります。中身や機能は同じでも見た目を変えて売るという手法に加えて、キャッチコピーをつけてイメージ戦略よって差別化を図るようになりました。
こうした商業主義の流れに異を唱えたのが、エドガー・カウフマン・Jr. です。彼はMoMAで「グッド・デザイン・プログラム」という展覧会を催して、機能を重視したモダニズム的なデザインが「良い」デザインであると主張しました。ちなみに、これが日本のグッドデザイン賞の起源だそうです。
このような歴史を踏まえると、デザインはアメリカに渡って発展した商業主義とバウハウス由来の機能主義という二つの大きな派閥があることが分かります。
デザインは、ビジネスの手段?
資本主義社会では利益をあげない企業は生き残れないことから、デザインも商業主義に偏ってしまう傾向にあったのでしょう。前述のデザインの歴史のように、デザイナーは消費者が商品を買ってくれるように工夫を凝らしました。たとえば、カラーバリエーションを増やしたり見た目を「かっこよく」するスタイリングを施したりして、ユーザーのニーズを満たそうとしました。デザインの対象がモノからサービス、UI、UXへと移り変わってっても、このニーズ至上主義は続いています。
こうしたデザインの対象がモノからモノ以外の非物質に移るにつれて、デザインもデザイン思考へと非物質化しました。今ではデザイン思考はビジネスに必要不可欠といわれ、経済産業省と特許庁が2018年に「デザイン経営宣言」をするまでに至りました。
そこで、私は疑問を抱きました。いつのまにデザインはビジネスの手段に成り下がってしまったのか、と。そもそもデザインはモリスのアーツ&クラフツ運動から始まり、機械を使ってもアートのような芸術的なモノをつくることを目指したアーツ&インダストリーをその起源に持ちます。それなのに、今ではインダストリーの側面ばかりが重視され、アートの側面がないがしろにされているのではないでしょうか。
もしデザインがビジネス・商業主義に偏りすぎているのならば、もう一度デザインにアートの輝きを取り戻す時期が来ているのかもしれません。特許庁が公表している『デザイン経営 ハンドブック』に「KPIを立ててはいけない」というデンマークデザインセンターのCEOの言葉が紹介されていますが、ビジネスの世界でデザインが定量的な評価を拒否するのは資本主義社会に対してアートの力を途絶えさせないための決死の抵抗に思えました。
まとめ
デザインは産業革命以降に芸術と産業の両立を目指してきた試みであること、アメリカ的な商業主義とヨーロッパ的な機能主義に分けられることを見てきました。
「デザインはビジネスを改善する手段の一つとしてしかみなされておらず、デザインも商業主義に陥っているのではないか」というのは私の仮説でしかありません。この自分の理解が果たして妥当なのかはまだまだ勉強が必要です。この仮説が妥当だとしても、どうするべきなのかは分かりません。
ただ、現時点の私の理解を書き留めておくことで、未来の自分(とこれを読んだあなた)がデザインに向き合う方向性をデザインできるはずです。
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参考文献
・やんチャンネル(デザイン解説)
・ざっくり振り返る!デザインの約160年の歴史について知ろう
・特許庁ホームページ「特許庁はデザイン経営を推進しています」
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