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パーソンズ美術大学留学記シーズン2 Week2 #123

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先週末、ニューヨークは大寒波に襲われて雪がかなり積もりました。そう簡単に雪はとけず、路肩には茶色くなった雪が残り続ける1週間でした。

今週はまだ今学期に受ける授業を変更できるので、ほとんどの授業でイントロダクションが続いています。


想像力の危機

Tobias Revellさんをゲストに招き、"Imagination"をテーマにした講演を拝聴しました。大きく分けて以下の3つのセクションに分かれていました。

1. The tools we use imagine shape what is imaginable
2. Future imaginaries tend to conform to present expectations
3. Other worlds are imaginable

端的に言えば、現在のソフトウェアやテクノロジーで描写できる未来像しか可視化できない。こうした未来像だけが起こりうる未来だと思いこまないように気をつけないと"Imagination Crisis(想像力の危機)"に陥ると警鐘を鳴らすという内容でした。その後のディスカッションで、印象的だったキーワードを2つほど共有します。

"Who are leaving behind?"

 この未来像が実現した時に、その未来で困っている人は誰かと自問しようということです。「こんな未来が実現するといいよね」と提案した時に、「そんな未来になってほしくない」と思う人も当然いるよね、という話です。

"Am I the right person to tell the story?" 

「お前が言うな」と言われる立場にいないかということ。当事者を招いて意見を聞く必要はないか?ある特定の性別、年齢、人種、文化からのみの視点ではないかという問いです。やはりここでも、西洋的視点だけでないかに注意を払うようにと教わりました。

ちなみに、デザインを学ぶ中で個人的に気になるのは、こうした議論や引用文献の中に日本的な視点が入っていることがほとんどないことです。日本人がスペキュラティブ・デザインを実践したいなら、自分が日本人であることを活かして日本人ならではの視点を取り入れることこそが当事者性を発揮でき、ひいては世界全体のスペキュラティブ・デザインが思い描く未来を多様にするはずです。


気候変動とメンタルヘルス

グローバルメンタルヘルスという概念が生まれた歴史的な背景は、感染症(Communicable disease)から非感染症(Non-Communicable Disease)が主流になったこと、身体的な病気に比べてメンタルヘルスが未だ重要視されていないことの2つだそうです。また、精神科医、セラピスト、カウンセラーといった"Formal(正式な)"メンタルケアへアクセスすることが難しいという現状があります。

この問題に対処するために、"Task-sharing interventions"という方法があるようです。これはメンタルヘルスの専門家以外の人にメンタルヘルスケアの方法を伝えていくことで、アクセスしやすい環境を整えるという方針に基づいています。この一例が前回の記事でご紹介した"Friendship Bench"です。


授業の後半ではShabab Wahidさんを招いて、気候変動とメンタルヘルスの関係性についての講義がありました。https://www.researchgate.net/profile/Syed-Wahid

バングラデシュを研究対象としており、洪水やサイクロンによる自然災害がバングラデシュに住む人たちのメンタルヘルスにどのような影響があるかを定量的に調べているようです。どうやら気候変動によって異常気象の頻度が高くなると、それに伴ってうつや不安を患う人が増えるのだそうです。

では、どうすれば解決するのでしょうか。気候変動を抑制するために、温室効果ガスの削減を進めるのか。災害に強い国づくりを進めるのか。不幸な出来事を経験しても立ち直れるようなレジリエンスを鍛えるのか。システム思考的に言えば、どこにレバレッジ・ポイントがあるのかは一目ではわかりません。こうした複合的な問題にどうアプローチすればいいのかを考える際に、デザイン思考やデザイナーが役立つのかもしれません。

自然災害による被害を受けやすい日本という国に住む日本人は、こうした問題にどう貢献できるのでしょうか。思い出したのは、鴨長明の方丈記です。自然災害の恐ろしさを描きながら、この世界が諸行無常であることを唱えています。東洋的には「どこまで対策を講じても、自然は人間の手には負えない」という思想が強い気がします。自然をコントロールする技術を使いながら、東洋思想的な自然現象に対するある種の諦めによって受け入れるという両方からのアプローチが必要なのかと個人的には思いました。

また、Ecological grief, Ecological Anxiety, Solastalsiaといった、気候変動由来のネガティブな感情を表す表現があるということを初めて知りました。日本語にどう訳されているのかはわかりませんが、こうした言葉も日本で当たり前になる日が来るのでしょうか?


希望の光は何処に?

ハンナアーレントの思想についての概要を学びました。断片的な理解しかできず、一つの論理的な話として書くことはまだできないのですが、得られた知識をとりあえず列挙してみます。

・考えることは、一人で頭の中で行うものではなく、他者との対話の中で生まれるので、政治的な枠組みで捉えられるべき行為である。
・"The Human Condition"で、Labor, Work, Actionの3つの分類を提唱し、よりPublicでCommon Interestsに視野が向いたActionを重視した。
・人間は、政治的な生き物(Political Animal)である。
・一人ひとりが考える/行動するということは、政治的な行為である。
・全体主義とは、考えることを放棄して一部の人に決定権を委ねてしまった結果である。よって、自分で決定する責任を放棄してはならない。

「政治とは、個人の決定、思考、行動次第なのだ」という主張は、まさに実存主義的な気がします。また、授業で以下のような印象的なフレーズがあったので、メモしておきます。

If you want, you can see.
Design Illumination in Dark Times

直近の数十年が「失われた○○年」と表現される日本では、若者が好景気を経験していません。「将来は今よりもっと良くなる」という希望のない時代しか知らない若者は、どうすれば希望を抱けるのでしょうか?希望を知らない若者自身が、希望をデザインすることはできるのでしょうか?

先行きが見えない時代に一筋の光になり得る「何か」をデザインしてみたいと思わせてくれる授業でした。


まとめ

今週までは基本的にオンラインだったのですが、来週からは対面授業が再開します。冬休み中にブースターショットを済ませるように学生・教職員に求めるなど、学校もこの難しい状況の中でキャンパスに集まる環境を整えるべく試行錯誤してくれています。おかげで約7週間ぶりにクラスメートと直接会えることになりそうです。嬉しい反面、また人見知りしそうな予感。

 


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