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生活に男性は必要か。

長く結婚生活をしてみて思う。生活に男が必要なのか。実際のところわからない。もちろん色々な面で男が必要だけど、今は力仕事もアウトソーシングできるし、男手がなくても普通に生きていける。

毎日色気のない部分を垣間見合ってなん十年も男女で居続けるのは本当に難しいと思う。セックスは一緒に住んでない方が楽しめる気がする。でもそうなると私にとって男と住む意味がなくなる。日常の語らいとかお互いが気持ちよく生活のパートナーとして分かち合うだけでも素晴らしいとは思うが、私はやっぱり男女でいたい。いつまでも、人としても男女としてもパートナーシップを築いてるカップルをひたすら尊敬と羨望の眼差しでみてしまう。そして失敗してもなお、そうなりたい願望を捨てられない私もいる。

いつも一緒にいるなかで、どうしたら飽きずに女として見てもらえるのだろう。また男女というより人として、相手にも自分にもペースがあるなかで、どうやって歩み寄ってもらうのだろう。それ以前に、パートナーシップが築けなかった私には決定的な欠陥があるのかもしれない。

生活スタイルにはそれぞれのやり方がある。仲良く過ごすには、けっこう気を使う。15年くらい夫と住み、私はつかれはてた。もちろんたくさんの幸せはあったが、片方が歩み寄るだけではだめなんだ。自分のペースを頑なに守る人は15年たってもそのままかわらない。私が相手に寄せていくことで、それが当たり前となっていった。自分さえ我慢すれば、夫婦は続いていくと信じていたが、我慢する価値のある男なのかわからなくなっていった。そして自己主張をするようになった私を疎ましく思うようになったのだろう。愛が消えていくのを感じた。もちろんそれだけではない、我慢する価値のある男でなくなったのは、本気の不倫をされたからだった。夫婦って時間をかさねたら絆が深まるってもんじゃなくて、相手への憎しみとか嫌悪感を募らせてしまうこともある。私の結婚生活の場合、はじめたのがお互いまだ若くて、自分自身のことですらよくわかってなかった。二人でなにかを作りあげる以前に、一人で立ててなかったのだと思う。そして今ならわかる、我慢は誰も救わない。

それと、一年くらい前に当時の夫との関係を恋人に話したときに言われた言葉が突き刺さってる。

ゆいこは男を育てるのがへたなんだよ

と。そうなのかな、と落胆し反論できなかった。破綻する前の話だが、自分がなんの研究をしたいのかもわからない院生だった当時の夫が、社会的にも経済的にもそれなりの立場になったのは、確かに私のおかげではない。でも私はそのときはそのときなりに愛情を持って長い目で当時の夫を支えていたんだと思ってた。男って育てるものなのか。。それもよくわからない。。

なんだろうこの敗北感。もちろん、娘たちは立派に育ってる。私自身も仕事を持ち充実しているはずだ。当時の夫と過ごした長い日々は無駄ではなかったと思う。でも。。今、パートナーシップを育めてない私は、人生の大切なものを得れていない敗北感に苛まれる。

私はないものなだりなのか。敗北感なんて感じなくていいのだと思うし、これからそういう相手を見つけていけばいいとは思う。相性の問題もあるし。成長してお互いの方向性が変わってきたともいえる。


今の私の低めのテンションは、恋人を失って弱気になってるだけならいいのだけど。

#結婚生活 #離婚 #パートナーシップ

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