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「過去の自分を助けたい」。一目惚れした瀬戸内海・玉野のファンが増えますように

移住支援と聞くと、その地域に住み続けている人たちが活動しているイメージをもっている人も多いでしょう。

しかし、岡山県玉野市で地域おこし協力隊として活躍されている金子さんは、移住支援をするために玉野市へ移住されました。金子さんの移住支援への熱量は誰もが認めるほど高く、周囲からも厚い信頼を寄せられています。

そこで今回は、金子さんが玉野に移住された理由と、なぜ移住支援に没頭されているのかをご本人に伺いました。

※このnoteは、岡山県玉野市のコワーキングスペース うのベース(@unobase_tamano)の利用者さんの「チャレンジ・夢」をオーナー東本が取材・記事化したものです。

地域おこし協力隊
金子 美穂さん
2024年1月に関東から岡山県に移住。社会福祉士、ケアマネージャー、岡山県移住相談員を経て、玉野市の地域おこし協力隊に。玉野市の魅力をInstagramやnoteと使って積極的に発信している。
Instagram
note

"移住”と"結婚”は似たようなもの

ーーまずは、なぜ玉野に移住されたのかを教えてください。
瀬戸内海に一目惚れしたからです。

当時、医療ソーシャルワーカーとして早朝から夜遅くまで、心をすり減らしながら働いていました。そんな日常を終わりにしたくて、仕事を辞めて日本全国を旅をすることにしました。そこで出合ったのが"瀬戸内海”です。

旅をスタートしたときは、これまで行ったことがない地域を目的地にしていて、47都道府県の白地図を塗りつぶしながら行き先を決めていました。ただ、中国地方を訪れると「またここに来たい」という感情が湧き上がってきました。それがなぜなのかは私自身もわかっていません。

そして、中国地方の旅で瀬戸内海を見たときに一目惚れのような感覚があり、いつか住んでみたいと考えるようになりました。

ーー「住みたい」と思ってから、すぐに移住されたのですか?
いえ、移住するまでに7年ぐらいかかりました。

当時はやりたいことが見つかっていなくて、その状態で移住するべきではないと考え、移住を先延ばしにしていました。ただ、瀬戸内海を眺めたいという気持ちが強かったので、何度も中国地方に足を運びました。

このときに感じたのが「移住は結婚と似ている」ということ。

まず移住希望先と出合い、何度かデート(旅行)する。そしてお泊まりデート(お試し滞在)をして、結婚(移住)します。この感覚は、移住相談を受けるときにも大切にしていて、まち(相手)をよく知ったうえで移住(結婚)を決めてもらうようにしています。

ーー移住と結婚が似ているというのは、おもしろい発想ですね。つまり、金子さんは瀬戸内海にずっと片思いをしていたんですね。
そうなんです。何年も片思いをしていました(笑)。

ただ、こうやって移住できたのは、いろんな運命が重なったからだと感じています。旅から帰って関東で働き始めたんですが、ずっと岡山に移住したいという気持ちがありました。

そんなある日、SNSを眺めていたら、ふるさと回帰支援センターの岡山相談員の求人募集を見つけました。しかも締切当日に。そのまま出勤して、上司に「この求人に応募したいから、会社を辞めさせてほしい」とお願いしました。

あと1日見つけるのが遅かったら、大きく人生が変わっていたかもしれません。

ーーそれから岡山に移住されたのですか?
いえ、勤務先が東京だったので、転職してから約5年間は東京に住み続けました。

ふるさと回帰支援センターの職員として働いているなかで玉野市を視察する機会があり、人生で初めて玉野を訪れることになりました。移住相談をするために市内を周っているときに観光スポット「王子が岳」からの瀬戸内海が絶景で……。そのときに心を奪われてしまいました。

その勢いのまま、市内案内をしていただいている方に「私を仲間にしませんか??」と思わず口にしたのですが、採用枠がなかったようでやんわり断られました(笑)。

その3年後、玉野市で初めて地域おこし協力隊の募集が始まったんです。こんなチャンスは二度とないので、すぐに応募して、無事に採用されました。

思い返すと、あの日、ふるさと回帰支援センターの求人を見つけていなければ玉野市に行くことはなかっただろうし、移住の仕事に就くこともありませんでした。これは運命だったと今でも思っています。


移住相談への原点は"過去の自分を助けたい”

ーー元々、移住関連の仕事をしたいと思っていたのですか?
まったく想像していませんでした。そもそも移住という言葉自体も知らなかったので。

私が移住に興味をもったのは、岡山や広島に旅行するようになってからです。瀬戸内海の近くに住んでみたいと考えていたころに、地下鉄で移住ツアーの広告が目に入って、移住という言葉を知りました。

ーーそうだったのですね。移住相談への熱量がすごく高いので、移住の仕事をするのが夢だったのかと思っていました。
私が移住相談という仕事に力を入れているのは、中学3年〜高校3年のときに転校先の学校に馴染めなくて不登校になった経験がもとになっていると思います。そのころにカウンセリングを受けたのですが、相談員の質がすっごく低くて……。

こんな相談だったら自分の方がうまくできるのでは? と考えたのが「相談」に興味をもったきっかけです。

ーー相談員の人がすごくいい人で……というスタートじゃないのが意外でした。ちなみにカウンセラーにならなかったのはなぜですか?
カウンセリングをするときに、負の感情に引っ張られてしまうと考えたからです。

元々はカウンセラーを目指していて、県外の大学に進学したのですが、私自身も人間関係に悩んでいたことがあるので、心が未成熟な状態でカウンセリングをすると苦しむかもしれないというアドバイスを受けました。。

その大学では、カウンセラーとソーシャルワーカーを選ぶことができたので、もう一つの道であるソーシャルワーカーを選択しました。

ーー県外の大学に行くのも“移住”ですね。それは意識していたのですか?
両親がその地域に引っ越す予定だったのも理由にありましたが、悩みを抱えていた場所から早く離れたかったのかもしれません。この感情は移住にも通じるものがあると考えています。

移住希望者は「〇〇に住みたい!」といったポジティブな感情の人ばかりと勘違いしてしまいがちですが、なかには「別の地域に行きたい……」といったように今の環境から離れたいという方もいます。そういったときに過去の自分を重ねて相談をするようにしています。

よくよく考えてみると、移住相談に熱が入るのは「過去の自分を助けたい」という原体験からきているのかもしれないですね。

ーーそこが移住相談へのモチベーションになっているのですね。
ただ、それだけではありません。私が最もやりがいを感じるのは、移住者が「やりたいことを見つけられたとき」です。

ぶどう農家を希望されている方が農地を見つけて笑顔で移住されたときは「この仕事をしていてよかった」と、心から思いました。そして、私の職場にぶどうを送ってきてくださったのが、本当に嬉しくて……。


移住者だけじゃなく、玉野市民にも玉野を好きになってほしい

ーー移住するだけでなく、やりたいことを応援したいという想いが素敵です。
ありがとうございます。あと「仲間がほしい」というのも移住支援をする原動力になっています。移住してもらえれば、自分の地域に住む人が単純に増えるので、どんどん仲間が増えていきます。

周囲におもしろい人・場所が増えれば自分も楽しめるので、移住支援は"最高の仕事”です。

ーー地域の交流イベントにも積極的に参加されてますよね。
そうなんです。玉野にはおもしろい人がたくさんいます。

あと移住者だからといって突き放さないけど、干渉しすぎない絶妙な空気感がとても気に入っています。私自身、変わっていることは自覚しているのですが、そんな私でも快く受け入れてくれるんです。

ただ、こういった玉野の素晴らしい部分を知らずに出ていってしまう人もたくさんいるのが、とっても悲しいです。そんな人たちに玉野の魅力を少しでも伝えていきたいです。

移住者にも、玉野市民にも、もっともっと玉野を好きになってもらえるように地域おこし協力隊として活動していきます。これからもよろしくお願いします。

文:東本 隼之(@falcon_freedom

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