一人ひとりがやりたいことをやって、輝くまちに。移住後まちづくりに携わる「宇野港のハルさん」
宇野港メディア部では、岡山県の港町・宇野港エリアから「人」を通して玉野市の魅力を紹介していきます。今回取材したのは、宇野港エリアを中心にまちづくりをしている「宇野港のハルさん」です。
埼玉県出身のハルさんは、2017年3月に岡山市へ引越し、その後2020年11月に玉野市へ移住しました。移住のきっかけや、まちに関わり続けている理由とは。
地域プロデューサーとしてまちづくりを
―現在はどのような活動をしていますか?
ハルさん:
地域プロデューサーとして、宇野港エリアを中心にまちづくりをしています。
玉野市に移住後、シェアショップUZ(ウズ/以下、UZ)をオープンしたのちに合同会社LILLARDを設立しました。空き家活用や無人島PROJECT、バスケショップPORT LAND PARK(ポートランドパーク)の運営、クラウドファンディングの支援などを行っています。
最近は(一社)西大寺活性化協議会にも所属し、宇野港エリア以外のまちづくりにも関わるようになりました。
公私ともに、玉野市で理想が叶いそう
―ハルさんは玉野市へ移住する前、岡山市に住んでいたんですよね。そもそもなぜ岡山県に引っ越したのですか?
ハルさん:
理由は二つあります。ひとつは「母校に恩返ししたい」と思っていたから。もうひとつは、妊活のために環境を変えたかったからです。
出身は埼玉県ですが、高校生の時に岡山学芸館高校に進学。当時は野球に没頭し、甲子園出場を果たしました。
当時は練習ばかりでつらい時もあったけど、大学進学後は「岡山で野球をやってよかった」と思うことが増えました。
そう思えたのは、人見知りだった自分が友達との会話のネタにできたり、同じ趣味を持った人に出会えたから。引っ込み思案だった自分を変えたきっかけだったんです。
また、26歳でパートナーであるレイさんと結婚。子どもを授かりたかったけど30歳を過ぎても授からず、環境を変えたら何かが変わるかなと思いました。約1年かけて引っ越しを計画。当時勤めていた佐川急便の上司に相談し、岡山県の営業所に異動しました。
―その後は、なぜ玉野市へ?
ハルさん:
不妊治療の末、何年も望んでいた子どもを授かりまして。自然豊かな場所で子育てをしたくて、海も山も近い玉野市が候補地になりました。
あとは何といっても、玉野市に住む人との出会いが大きかったです。
母校に恩返ししたいと思っていたけど、今すぐにできることがないと分かりました。であれば、岡山県に恩返ししたいと思うように。今後のヒントを得ようと「ももたろう未来塾」に参加しました。
「若者の還流と定着」をテーマに学んでいて、空き家や空きテナント問題に興味を持ち始めます。最終発表も「空き家活用」について発表しました。
小さい店をつくりながら、まちに関わる
―その他、玉野市に移住する前にやったことがあれば教えてください。
ハルさん:
NPO法人みなとまちづくり機構たまの(以下、MMK*)に所属しました。
MMKは、玉野市の移住者支援を行っている「うのずくり」をサポートしている団体です。ももたろう未来塾の同期で玉野市役所に勤めている方が、MMKを紹介してくれて。MMKの理事会に参加するなかで、UZが新しいオーナーを探している話を聞きました。
「小さな店すら運営できない人がまちに恩返しできないだろうから、UZで何かやってみたい」と思い、オープンしたのが経緯です。
―それで、パートナーのレイさんがモーニングをやることになったと。
ハルさん:
レイさんは名古屋出身だから、モーニングの文化で育っていました。岡山に来た時、気軽に行けるようなモーニングがなかったと話していて。
UZの話をレイさんに相談したら「じゃあ私やります!」と、喫茶キンバリーをUZで始めました。
過去の自分のような、挑戦したくでもできない人へ
―UZをオープンするにあたり、不安はなかったんですか?
ハルさん:
ないわけではないけど、大学生の時から「自分の店を持ってみたい」と思っていて。当時は横浜にいたから、初期投資とか家賃とかを考えたら挑戦できなかったんですよ。
―過去の自分の想いと重なったんですね。
ハルさん:
「今の仕事を辞めてから、店を開きます」だと勇気が出ないでしょ。仕事をしながら店を開けるとか、今の仕事から次の仕事への比重を変えていくとか、そういう店を作りたいなと。
それと家族との時間を一番大切にしたかったので、当時、生後半年の娘を育てながら店を運営するには、「シェアショップ」という形でまずは自分たちがチャレンジしてみようと思いました。
同時に、自分たちの代わりに使ってもらえる人がいるなら、ぜひチャレンジの場にしてほしいと思ったんです。
その人が一番輝ける方法で夢を形に
―今は法人を設立して、幅広い事業を行っていますよね。どういう時に事業が増えていくんですか?
ハルさん:
宇野港エリアで何かやりたい人に出会った時じゃないですかね。
「宇野港のハルさん」と名乗るようになってから、何かを始めたいと思っている方が相談に来たり、「ハルさんに会わせたい人がいる」と紹介してくれたりするようになりました。
自分は究極のお節介というか、何かをしてあげたい人なんですよ。目の前の人の良いところを見つけて、良いところを発揮できるようにしてあげたい。その人の良さが発揮できたら、本人は喜んでくれたり感謝してくれたりします。たぶん、人が喜んでいる姿を見たいんだと思います。
―利他の心が大きいんですね。
ハルさん:
その想いはコンプレックスから来ているんです。自分は岡山に来るまで、なかなか最初の一歩目を踏み出せなかったな……という。
「やりたいことがあるんだったら、早い方がいい」と思っているので、自分ができる方法で挑戦したい人を後押ししたいし、その人にとって、やりたいことを叶えるのに一番いい方法を一緒に見つけたいと思っています。
それぞれのまちで、個人が輝くように
―最近は西大寺でもまちづくりに携わっているんですよね。
ハルさん:
今は(一社)西大寺活性化協議会の事務局としても、まちづくりを行っています。
西大寺って、母校の岡山学芸館高校がある場所なんですよ。だから母校に恩返しがしたいという想いが、ようやく現実になろうとしています。今は西大寺観音院を中心に、分散型ホテル(アルベルゴ・ディフーゾ)*の考えを取り入れ、まちづくりをしているところです。
―宇野港や西大寺など、ハルさんが関わるまちはどんなまちになってほしいですか?
ハルさん:
一人ひとりがやりたいことをやって、輝いていたらそれでいいと思います。稼ぐためだけに商売をするというよりは、自分が好きなことのために商売をしてほしいです。
宇野港エリアは新しいことに挑戦しやすいまちだと思います。まち自体が宇野港を整備するために埋め立てて作られているから、歴史が数百年もある場所ではないのもあるかもしれない。
あと港町だから、昔から色々な人が行き来していたんですよね。その影響か、宇野港エリアにいる人たちはいい意味で周りの人に干渉しすぎない。頼りすぎていない。でも繋がり合っている。自分にとってはそれが暮らしやすいし、新しい挑戦をしやすいと思う理由です。
ただ、やりたいことを実現するまでの過程や形はまちによって異なると思っています。例えば、西大寺には西大寺に合う方法があるはずので、そのよりよい方法を地域の方と模索しています。
どのまちでも、やりたいことを素直にやって暮らしている人が増えたら、それが一番なのではないでしょうか。